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 2188年、日本。東京シティ西ブロック武蔵野エリア。

『ゲヘナ開門』以前は緑豊かな公園だった場所。その痕跡を残す雑木林の隅に、ゴシック様式の古い教会が佇んでいた。


 ステンドグラスの丸窓に左右対称に並ぶ尖塔、中央の鐘楼に鐘はなく、天に向かう十字架と礼拝堂の古いパイプオルガンが古き良き教会らしさを醸し出している。


 しかし、ここは日曜礼拝が行われるような牧歌的な教会ではない。もちろん。

 教会は、かつての教会としての役割よりもより重要な役割を果たすべく進化を遂げていた。


 より重要な役割とは、悪魔祓い。

 この世界に跳梁跋扈する悪魔に対抗するため、教会は各宗教と手を携え『国際祓魔師協会』として生まれ変わったのだ。





 時は遡ること2150年、10月31日。

 後に『ゲヘナ開門の日』と呼ばれるこの日から、世界に『悪魔』が出現するようになった。

 正確には『ゲヘナ』と呼ばれる異次元の世界から侵入してきた未知の生物エイリアン。それが『悪魔』だ。

 それまで人類がイメージとして定義し、さまざな宗教や絵画に語り継がれている『悪魔』の姿と驚くほど類似していたからだ。


 悪魔にはさまざまな種類がいる。

 状態も個体から人に憑依する霊的状態のものまでいて、人々の生活を脅かし、殺し、盗み、犯す。

 そしてついに、『聖戦』と呼ばれる人類と悪魔の戦いで、世界はようやく『悪魔』の長である『サタン』を退け、ゲヘナの門を閉じた。


 しかし、悪魔はこの世界に残ってしまった。

 人類にとって、それはサバンナの肉食動物と隣り合わせのような生活だ。

 そして厄介なことに、悪魔は銃火器だけでは消滅しない。


 悪魔を滅するには『祓魔』という作業が必要だった。

 それは古より、人類の歴史の中で細々と受け継がれてきた宗教的儀式。それがこの未知の生物を最も苦しめ、消滅に至らせる。


どの宗教のものであっても、『悪魔』には『祓魔』なら効果があった。


 世界規模の防衛のため、ただちに世界中の宗教団体――キリスト教、イスラム教、仏教をはじめ、すべての宗教が団結し、祓魔のための組織を作り上げた。


 それが、国際祓魔師協会。


 各宗教の僧は所属する宗派において祓魔師の資格を得て、国際祓魔師協会に所属する。


 各国の警察は治安維持部隊(通称SAF)という国家軍の組織となり、SAFと祓魔師協会が連携して治安を守る――それが世界の常識となった。


 しかし、いつの世も、どんなことにも例外は存在する。



 この雑木林の隅にひっそりとたたずむ古い教会は、そんな「例外の存在」の事務所兼住居だ。

 教会敷地の壊れかけた門には小さい木札がかかっている。近付いてよく見るとそこには『L&R祓魔事務所』と小さい文字で書かれているのだった。






「出ろ、出ろ、早く出ろー……」


 視界斜め左に浮かぶ空中ウィンドウに『Calling』の文字が点滅し続ける。

 空中ウィンドウをタップして一度通話を切り、再度掛け直す。

 かれこれ15分、この操作を繰り返している。


 すべての端末操作が可能な体内埋蔵型ⅯPUと空中ディスプレイが当たり前になったこの時代、通話は視界に現れるウィンドウを見ていないと気付かない。

 ゆえに、相手が寝ていればつながらない、という事態が発生する。

 あるいは無視しているか。


「まさかねえ……無視とかあり得ないわよねえ」


 すみれ色の双眸が不適に笑む。

 銀色のツインテールが揺れる顔はまさに西洋人形クラシックドール。陶器のような肌に漆黒のフリルブラウスにパニエでふくらんだレースたっぷりのスカート。いわゆるゴスロリファッションがよく似合っている。

 古い教会の奥に位置する執務室で、骨董品アンティークのソファに座る美少女は『Calling』の文字をじっと睨み、イライラと花びらのような唇を噛んだ。


〈……ふぁい〉


 やっと大欠伸の男が空中ウィンドウに映った。


「リュカ?!」

 大丈夫? お疲れさまです。心配したんですよ?――そんなねぎらいの言葉を言おうとして、 

「失敗しましたね?!」

 まったく正反対の言葉が口から出てきた。


(もーっあたしのバカバカっ)


 昨日の夕方、住宅街に出た賞金首の悪魔を狩りに行ったきり連絡がついていなかったのに。

 いつもそうだ。優しい言葉の代わりに出てくるのは厳しい言葉と憎まれ口。


「口座に賞金、振りこまれてなかったんですけど!」

(あーもうっ、さらに墓穴掘ってるっ)

 泣きたくなったが、次の相手の一言でそんな自責の念はぶっ飛んだ。


〈はは、ごめんローズ。ちょっとした手違いで、祓っちゃったんだよねー悪魔。だから賞金獲得ならず〉

「は?! ちょっとした手違い?!」


 それはつまり――


「賞金無しですか?!」

〈ごめんごめん、今、次の獲物を探索中で――〉

「そんな余裕ないって言ったじゃないですかっ。光熱費の支払い期限、明日なんですよ?! ライフラインが止まっちゃいますよっ?!」

〈ほんとごめん! まあ、我が事務所の優秀なローズ助手ならなんとか切り抜けてくれるよね?〉

 優秀な、という言葉にちょっぴり反応しつつも咳払いする。

「いっつも調子いいこと言って! あたしがどんだけ苦労してやりくりを――」


 そこまで言って、ローズはそうだ、と思い出し、左手でテーブルを規定数タップする。視界の斜め左に空中ウィンドウがもう一つ開いた。


「思い出しました! 三浦クロウ、32歳、東洋系男性」

〈え、誰それ? ローズにそんな年上の彼氏がいたなんて知らな――〉

「……冗談はそれくらいにして真面目に仕事の話をしないと賞金からのリュカの取り分を半年間10パーセントもしくはそれ以下にしますよ?」

〈なっ、それはないだろローズ!〉

「ではもう一度言いますよ? 三浦クロウ、32歳、東洋系男性。データをリュカにも送ります。すっごく賞金が高いんですが、これには理由が――」


 そのとき、通話に甲高い黄色い声が混ざった。


「やばっ、なんでもないなんでも」


 必死で画面に乘りだしたリュカの背後に、ショッキングピンクのTシャツ姿がちら、と映る。


〈ななななんでもないんだローズ、で、なんだって?〉

「……今どこにいるんです?」


 聞いたと同時に、映像だけがブラックアウトした。リュカが映像通信だけ切ったのだ。

 黄色い声はもはや隠しきれてない。早く遊ぼーよーという色っぽい声がリュカのあわてた声に重なる。


「もしもしリュカ? で? 今どこに……は? 渋谷? 燃料スタンド? 口座の残高、すでにマイナスなんで必要最低限の補給でお願いしま――」


 そのとき、リュカのうわあという叫びと同時に、色っぽい声がローズの耳元でささやいた。


〈あのねえ、あたしたち、今、デート中なの。邪魔しないでね♡〉

「は?! デート中?! リュカ?! 一体どういう――」


 ぶっ、と音声の切れるマイク音が空しく耳元に響く。

 ふるふると拳を握りしめ、ローズは応接テーブルをどんっ、と叩いた。

「ヤリすぎて死ねっ、このクソ神父!!」


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