第81話

セレニティは元気そうなネルバー公爵を見てホッと息を吐き出した。

スティーブンもいつの間にか右頬の傷が治っている。


ネルバー公爵夫人はずっと表情を変えることなく座り、こちらに視線を送っている。

横にいる父と母からゴクリと喉が鳴る音が聞こえた。

そしてジェシーの視線はいつものように真っ直ぐスティーブンに向いている。



「大変お待たせいたしました」


「急かしてしまったようだな。少し来るのが早すぎたようだ」


「とんでもありません……!よくぞお越しくださいました」



そう言って父が頭を下げたのを見てセレニティも合わせるように頭を下げた。

椅子に腰掛けるとテーブルには紅茶や茶菓子が並べられていく。

静まり返った部屋の中、カチャカチャと食器が擦れる音が耳に届いた。



「早速だが本題に入らせてもらう」


「は、はいっ!」


「セレニティ、この度のこと心より感謝する。今日はその御礼に来たのだ」


「恐れ入ります。ネルバー公爵が元気になられてよかったですわ。ドルフ医師からは手紙で聞いておりましたが実際にお顔を拝見することができて安心いたしました」


「式典ではセレニティの行動に命を救われたと言っても過言ではない。ありがとう。あの件はワシの慢心が招いた結果だと重く受けとめている」


「全てはドルフ医師達のおかげですわ。わたくしは応急処置をしたまでです」


「セレニティの助言があったからこそ備えることができた。そうでなければワシは間違いなく命を落としていただろう」


「わたくしからも御礼を。ありがとう、セレニティ」



ネルバー公爵と夫人はそう言って頭を下げた。

そしてスティーブンも「ありがとう」と呟いてから深く深く腰を折る。

三人が頭を下げているのを見て時が止まったのではないかと思うほどにシャリナ子爵と夫人、ジェシーは動かなくなった。



「今日は大切な話があって来たんだ」


「はい。なんでしょうか」


「是非ともセレニティにはスティーブンと……」


「───勿論お受けいたしますわっ!!!」



ネルバー公爵が言っている最中に途中で遮ぎる大きな声にセレニティは肩を揺らした。

隣を見ると体を前に乗り出しつつも食い入るようにスティーブンを見つめるジェシーの姿があった。


(……この展開、どこかで見たような気がしますわ)


ネルバー公爵夫人はジェシーを見て、おもいきり顔を顰めていて般若のようになっている。

それは両親も同様でジェシーの行動に口をパクパクと動かす父と今にも顎が外れてしまいそうに開いている母の姿があった。

ネルバー公爵はジェシーに視線を一度だけ送る。

セレニティを真っ直ぐに見つめたまま咳払いをして話を続けた。



「聞けばまだセレニティには婚約者はいないそうだな。ハーモニーもセレニティを可愛がっていると聞いている。トリシャ王女やナイジェル殿下、それにブレンダとも親しいそうだな。今回の件を含めてスティーブンの婚約者に、ネルバー公爵家に相応しいのはセレニティという話になったのだ」


「是非〝セレニティ〟には、うちに嫁いできて欲しいわ」



ネルバー公爵夫人のダメ押しとも言える言葉に、ジェシーの口端がヒクリと動く。

行き場がない手は伸ばした状態のまま固まっている。

そしてセレニティもまさかの展開に言葉が出なかった。


そんな時、スティーブンのバイオレットの瞳と目が合った。

彼が悲しげに瞳を伏せている理由もわからずに、セレニティは自分と婚約することが嫌なのかもしれないと思った。

思えばスティーブンにはいつも迷惑を掛けて振り回してばかりだった。


(スティーブン様はもしかしてネルバー公爵に言われて仕方なく従っているのかもしれないわ……)


セレニティはスティーブンの意思を優先してもらうようにしてもらわなければと思いネルバー公爵達に視線を戻して口を開いた時だった。



「今日は御礼とその申し出に来たつもりだったが……スティーブンに止められてな」

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