第19話


「そうなのです。廊下を五往復、五往復目でしてよ……!素晴らしいでしょう!?わたくし、廊下を歩いてますのっ」


「へぇ……そ、そうなの」



クルクルと回りながら喜びを全身で表現しているセレニティを見て、ジェシーは顔を引き攣らせている。


セレニティが実際にやっていることは廊下を歩いているだけだ。

ただ普通に廊下を歩いているだけで涙を流しながら喜んでいるのである。

王太子の婚約者になった訳でもなく、誰かに褒めらたわけでも生死の境を彷徨っていて生還した訳でもない。


ずっとセレニティの側にいるマリアナですら若干、引いている。



「なのに足が疲れていませんの……!不思議ですわ。皆様、このような感覚でお過ごしになっていたのですね」


「え……」


「はっ、そろそろ廊下だけではなく階段を上り下りしなければなりませんわね」


「階段を……?」


「その前にあと三往復だけ、廊下を歩いてもいいかしら?ジェシーお姉様も一緒にいかがでしょうか?とても楽しいのよっ」


「わ、わたくしは……遠慮しておくわ」


「あら残念。マリアナ、行きましょうか」


「は、はい!」



その日、シャリナ子爵邸は奇行を繰り返すセレニティの話題で持ちきりであった。

百八十度変わった態度と異様なテンションの高さ。

元のセレニティもここまでお転婆ではなかったようだ。

しかし全て怪我をしたせいになっている。

今のところ、別人だと疑われる様子はない。


この日から部屋でしていた食事もダイニングに出てするようになった。

包帯を巻きながらセレニティが以前よりもずっと行儀良く椅子に座って、楽しそうに食事している様子を見ている家族の手は自然と止まってしまう。

次々に小さな体に吸い込まれていく食事。

何を食べても「美味しい!」と感激するセレニティに料理長も戸惑いつつも嬉しそうだ。

セレニティの様子に慣れたマリアナだけはいつも通り「食べすぎてはいけませんよ」とセレニティに耳打ちして注意している。


包帯をしているだけで以前とは何も変わらない生活。

そして両親はそんなセレニティに確認するように問いかける。



「……本当にいいのか?セレニティ」


「あら、何がでしょうか?」


「スティーブン様のことだ」



父の声にセレニティは五個目のパンをおかわりするために給仕に声を掛けていた。

まん丸なパンが皿に置かれていくがマリアナの視線が鋭く背に突き刺さったため、セレニティはしょんぼりしながら「もう大丈夫ですわ」と告げた。



「朝も話したと思うが、スティーブン様がセレニティに謝罪をしたいと屋敷を尋ねてくる。昨日まではあんなに拒絶していたのに本当に大丈夫なのか?」



スティーブンがやって来てからセレニティが手のひらを返したように拒絶をしないかが心配なのだろう。

セレニティはテーブルにあったグラスをゆっくりと傾けた。



「えぇ、直前になって拒否したり隠れたりいたしませんわ。ご安心くださいませ」


「そ、そうか。ならいいが……」



しかしスティーブンの名前を聞いてすぐに反応したのはジェシーだった。



「まさかあのスティーブン様!?スティーブン様がシャリナ邸にいらっしゃるということ!?」


「そうよ、それに大切な話があると言っていたわ」


「だけどあれはただの事故よ!スティーブン様が悪いわけじゃないわ」


「ジェシー……?」


「たまたま運が悪かっただけ!そうでしょうっ!?」



早口で必死に訴えかけているジェシーを見て両親も戸惑っているようだ。

やはりスティーブンにセレニティを近づけたくないという意思を感じさせる。

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