原因。

「実に遺憾なのだが──」


 白衣を着た恰幅の良い男が、電子カルテを真剣な眼差しで見詰めていた。


「現代医学では治療不可能だ」


 そう言って息を吐くとようやくモニタから目を離し、座り心地の良さそうな椅子の背もたれに体重を預けた。


「ほう──。つまりは、不治の病というわけか? 病院長」


 院長室には応接セットがあり、足を組んだオサムがソファに座っている。


 病院長から依頼を受けた非合法「バイト」で大きな成果を上げて以来、彼が経営する病院グループでオサムは幾つかの優遇措置を受けていた。


 おまけに、彼のグループが保険制度を悪用し暴利を貪る証拠まで握っている。


 最もそのお陰で、指名手配中である美木多みきたは万全の治療を受けていた。看護師達から苦情が絶えない点は悩みの種となっていたが──。


「いや、不治というわけではない」


 全ての検査で正常値を示しており、少なくとも疾病疾患等が原因ではなかった。


「話を聞く限り生活習慣にも問題がない。となれば、本態性肩こりとも異なる」

「ふむん、そうか。とはいえ、肩こりというレベルを超えているのだが──」


 オサムは常軌を逸した身体能力と精神力があるために、日常生活どころか150キロの剛速球を投げてしまったが、一般人であれば家で大人しく寝込むであろう症状である。


「──やはり、心因性ストレスが原因か」

「わははは」


 病院長は木箱から葉巻煙草を取り出し、大口を開けて笑声を上げた。


「やるか?」

「いらん」

「高いんだぞ、これ。──まあいい。ともあれ、お前にストレスなぞ貯まるはずが無かろう」


 口に咥えた細身の筒先に着火すると、辺りに芳醇な香りが漂い始めた。


「──頭に来たら、バァン!バァン!」


 右手を拳銃にして、子供のように撃つ真似事をした。


「まったく、羨ましいほどにホモ・サピエンスとして健全な生き様だわい。叶うならワシも我が手で始末したい連中がまだまだ──」


 自身がホモ・サピエンスか否かについて議論の余地はあったのだが、病院長と遺伝子工学について語り合うつもりはなかった。


「邪魔をした」


 病院長の下らない話を遮って、オサムはソファから立ち上がる。


 異様な肩こりの原因が分からないのならば長居は無用だろう。球技大会優勝に向けて、オサム監督にはやるべきことが山積していた。


「お、おい、待て待て。原因不明とは言っとらんだろうが」

「──ん?」


 扉に手を掛けて外に出ようとしていたオサムが振り返った。


「お前も知っての通り、ワシは公明正大な医者であると同時に──」


 不正に手を染め私腹を肥やし続ける男が、口をすぼめて甘い紫煙を吐き出した。


「正真正銘、真の霊能者でもあるのだぞ。わははは」


 ◇


「チクッたんだよ」


 所用があるらしく先に帰ったオサムに代わり、練習後の後片付けに追われて帰りの遅くなったアヤメとミカは駅前のマックで夕食を取っていた。


 アヤメは早く家に帰りたかったのだが、大事な話があるというミカに付き合ったのだ。


「(もぐもぐ、ごくん)──ええっ!? 水島くんが?」

「うん、らしいよ」


 昨年末に起きた野球部の不祥事──。


 三年生だった野球部員の一部は薬物の使用に留まらず、大麻の栽培にまで手を出していたのである。


「先生に言いつけたってこと?」

「──違うけど、その方が良かったかもね」

「じゃあ、誰に?」

「週刊誌」


 親、学校、警察ではなく、なぜか水島充は週刊誌を選んだ。その方が密告者として身バレしないと考えたのかもしれない。


 だが──、


「バレた?」

「そう。──ってか、アヤメは知らなかったの?」

「う、うん」

「マジか。めちゃくちゃ噂になってたんだけど」


 当時のアヤメは、噂──というものに一切の耳を閉ざしていた。


 今でも他人がする噂話は彼女の古傷を刺激する。白鳥ミカと交わすこの会話も、あまり望ましい内容ではなかった。


「それで一時期は荒れてたけど、二年になって──」


 氷室がいかなる理由で、水島に近付いたのかは分からない。


 ともあれイケメン氷室と繋がり、なおかつサッカー部に入ることで、元野球部だった連中以外から一定の信任を得ることに成功したのだ。


 かくして、エロを追求するサッカー部男子が誕生したのである。


「そう──。だから、あの先輩達に目を付けられてるのね」


 オサムの剛速球を目にして以来、三年A組のバカな野次は止んだが、より陰湿な形で練習への妨害工作が始まっていた。


「勝ちたいのと、あとは廃部の恨みつらみが大きいよね。逆恨みもいいとこだけど」


 元野球部員達は、やり場のない怒りをぶつける相手を見付けたのだ。


「ま、却って、うちらのやる気がカチ上がったけどさ」


 人は理不尽を前にすると、必然的に対抗心が芽生えてしまう。


「つーわけで、明日も頑張ろっか、アヤメ」


 自分にも理由は分からなかったが、近頃のミカは妙な充実感に満たされている──。


 ◇


「おい、待てよ」


 マックを出た二人は駅前を離れ、人通りの少ない路地裏を歩いていた。


「ひぃっ」


 唐突に背後から声を掛けられ、アヤメは短い悲鳴を上げる。


 他方のミカは振り返ると──、


「あ? なんすか? 先輩」


 後をつけてきたとおぼしき元野球部員達に挑発的な声音で尋ねた。


「チッ、クソ生意気そうな女だぜ」

「うちら帰るんで急いでるんすけどぉ。ってか、これナンパ?」

「ば、バカ。違わい」


 慌てた様子で、最も大柄な男が手を振った。


「その、何だ。そのぅ──」


 数瞬ためらった後に、その男はようやく踏ん切りをつけたのだろう。


 深々と頭を下げると、全員がそれに倣った。


「頼みがあるッ!!!」

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