誰だって夢はある。

 各クラスの生徒数は三十五名から四十名だが、野球はスターティングメンバーとして九名が揃えばプレイできる。


 控え選手を含めたとしても十五名程度で、十分にチーム編成は可能だろう。


 だが、実行委員会の要請により、試合には全員が参加することと定められていた。


「──なるほど。実に大会の趣旨に忠実なレギュレーションだな」

「うん、そうだね」


 放課後、帰ろうとしたところをオサム監督に引き止められたアヤメは、大会規定の記載されたプリント用紙の束を机の上に置いた。


 三十ページにも及ぶ気合の入った大会規定書が、今期の実行委員会が謎に本気なことを示している。


「つーか、あいつらって暇なのかな?」


 女同士の友情──ではなく、オサムとアヤメを二人きりにさせない目的だけで教室に残った白鳥ミカは、球技大会や野球など一切の興味が無かった。


 さらに言えば、優勝の副賞であるスキーツアーもどうでも良い。


「ど、どうだろうね。私には分からないけど──」

「ふむん、トーナメント方式で学年別の一位を決めた後、一年生チームをシードにして決勝トーナメントというわけか」


 大会規定書を興味深そうにめくりながらオサムが呟いた。


「一日で消化すべき試合が十七試合もある。だからこそ決勝以外は三イニング制なうえに時間制限付きなのだな。だが、全員参加は──」

「あ、それは大丈夫」


 そう言ってアヤメが黄色い付箋の貼られたページを開いた。


「──なるほど。通算でということか」


 最終試合までに、全員参加という条件を満たせば良いのだ。


「となると、スターティングメンバーは運動部と野球経験者で固めて、あとは必要最小限の交代に留めよう」

「は?」


 真剣な表情で語るオサムに対し、ミカは首をかしげて尋ねる。


「オサム──、ひょっとして勝ちたいわけ?」

「無論だ」


 そう言ってオサムは重々しく頷いた。


「このクラスを必ず優勝に導く」

「ええっ?」「はい?」


 予想もしなかった優勝宣言に、アヤメとミカが顔を見合わせた。


「だが、ボクだけでは不可能だ。──ともかく人気が無いからな」


 かつてオサムが所属していた組織と異なり、学校内では「人気」という得体の知れないパラメータが、他者を動かす際の必須要素になると理解していた。


 そんな彼も、アヤメ、ミカ、京極という支持者は得ているし、イケメン氷室やサッカー部男子もオサム寄りになりつつはある。


 とはいえ、オサムという奇妙な存在を他のクラスメイト達は、未だに異物──あるいは不気味な存在だと感じていたのだ。


 すこぶる空気が読めない男という点も、同世代からの支持を得る点ではマイナス要素だろう。


「ゆえに、二人の協力が必要だ」


 双葉アヤメは陰キャ系の女子と男子、白鳥ミカは陽キャ系に対して一定の影響力を保持している。


「ボクを助けてほしい」


 このストレートな物言いと真剣なオサムの表情に、対照的なルックスの少女達はそれぞれの解釈をした。


 ──まとまりの無いクラスを、変えようとしているの!?

 ──だ、だとしたら、戸塚くんって……。


 クラス委員のアヤメは、何度か歯がゆい思いをしたことがある。


 ──そっか。オサムって勝ちにこだわる男なんだ……。

 ──やっぱ強い男ってそうだよね。


 ともかく強い男を求める白ギャルのミカは、ますますオサムに惹かれ始めていた。


「わ、分かったわ、戸塚くん!」

「えっと、野球とか知らねーけど、あーしも頑張るっ!」


 二人は力強く返事をした。


「そうか──ありがとう」


 心を込めオサムは頭を下げる。


 ──ふう。これでスキーツアーの可能性が高まったな。


 彼は是が非でもクラス全員で、スキーツアーに行きたいと考えていたのだ。


 ──やはり、ボクの顔ではモテない。


 昨夜、巨乳彼女が永遠にゲットできないという悪夢にうなされたオサムは、肩が異様に重いのは心因性のストレスではないかと推測していた。


 戦友リカルドとの約束を果たせていないことが心の負担となっているのだ。


 ──ならば、ゲレンデマジックに賭けるほかあるまい。


 肩を回していたら、なぜか監督にされてしまい戸惑っている最中のことだ。

 

 モテを追求するネットリサーチで目にしたフレーズを、オサムは天啓のごとく思い起こしたのである。


 ──顔面を覆い隠すゲレンデならば、ルックスが悪くてもモテるらしい。


 そこへクラスの女子達と訪れたなら、自分にもチャンスが巡ってくると考えたのだ。


「よし。まずは、このクラスの野球経験者が誰かを──」


 ◇


 校庭に建つ真新しい部室棟とは別に、体育館の隣には平屋の部室棟がある。


 部員と用具類が多かったために、以前は野球部が棟全体を使っていた。


 だが、昨年末に三年生が起こした薬物関連の不祥事で、あっさりと廃部が決定されて以降は誰も寄り付かない場所となっている。


 彼自身もずっと見ないようにしてきたのだ。


 体育館に入る際は部室棟から懸命に目を反らし、ささやかな夢を抱き練習に励んだ日々を忘れ去ろうとしたのである。


 決して強豪校というわけではなかったし、自分の実力が甲子園やプロに及ばないことは分かっていた。


 それでも──ひょっとしたら?


 と、漫画のような奇跡を夢想するのは十代の特権だろう。


 だが、全ては終わった話である。


 威張り散らかしていた連中が起こした不祥事で、問題の早期収束を図った大人達の都合で──少年の抱く夢想は唐突に打ち砕かれてしまった。


「ちっ」


 部室の扉に手を掛けたところで小さく舌打ちをした。


「意味なんかねーのにな」


 球技大会で野球をする──。


 そう聞いた時、正直に言えば彼の胸は高鳴った。


 だから、こんな場所に来てしまったのだろう。


「──くそ」


 扉を開けたところで、先に在るのは誰も居ない空間だけだ。


 上級生の怒鳴り声も、うわ言のように水と呻く仲間も、データまとめに勤しむ女子マネも──何もない。


「何で──何しに──来たんだ──俺──」

「いや、ホントに」

「え?」


 唐突な背後からの声に、驚いて振り返った。


「──京極、ゴリラ」


 京極と伊集院が並び立っている。


「なんか、しけたつらしてんな〜。それより、さっさと行こうぜ、テニス部」


 お調子者が明るい声を上げた。


「いや、今日はさすがにサッカー部サボれねぇって──」

「水島ぁ」


 サッカー部男子こと、水島充は──、


「本日のアリアちゃんは、なんと試合ユニだ。練習着ではないっ!! 最大露出っ!」

「よし、すぐ行こう」


 どこまでもエロに弱い男である。

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