球技大会、魑魅魍魎死闘編

肩こり。

「どうしたの? オサムきゅん」


 ボロアパートから学校までの道のりを、オサムとキララが二人並んで登校していた。


 キララにとって至福の時間なのだが、今朝のオサムは首を上下に振ったり、腕をぐるぐると回す挙動を繰り返している。


「寝違えたの?」

「いや──」


 そう言ってオサムは、自身のうなじを何度か揉んだ。


「──そういうわけではなさそうなのだが、どうにも違和感がある」


 オサムは肩こりに悩まされる年齢ではないのだが、後頭部から肩にかけて妙な重さを感じているのだ。


 例えて言うなら、マングースを飲み下したニシキヘビに巻き付かれているかのような──。


「あら──」


 キララは妖しい笑みを浮かべてオサムを見上げた。


「それは大変だわ。じゃ、キララにお任せよっ、きゃっ💕」


 ◇


 一般的に高校生の二学期はイベントが多い。


「──ということで、クラス対抗球技大会の種目は野球になりました」


 教壇に立った双葉アヤメの言葉に、男子生徒達は盛大なブーイングで応えた。


「はあ? 嘘だろ。ダルすぎんだけど」

「俺、グローブとか持ってねーし」

「サッカーにしてくれっ!」

「──中止でいいのに──くそ」


 アヤメとて自分に文句を言われても困るのだ。


「球技大会実行委員会の決めたことだから──し、仕方ないって言うか……」

「えっと、質問」


 白鳥ミカが小さく手を上げた。


「うちら女子は何すんの?」


 昨年の球技大会は男子がサッカーで、女子は体育館でバレーだった。


「──野球」

「あ?」

「こ、今年は、男子も女子も野球なの」


 男子生徒だけでなく、女子生徒達もブーイングに加わり始める。


「やったことないってば」

「女子まで野球なんて聞いたことないんだけど」

「最悪ぅ。私、休もっかな」


 実行委員会の決定を聞かされた時からネガティブな反応を予期していたアヤメは、次なる発表をするのに幾らかの勇気を必要としていた。


 そのせいだったのかもしれない──。


 気がつくと、双葉アヤメは窓際の後方へ目を向けていた。


 ──うう──怖い──あふぅ──おしっこも──。


 窓際の最後尾座席には、抗議の声を上げるクラスメイト達に和することもなく、頬に大きな縫い傷のある男の真剣な眼差しだけがあった。


 ──た、たすけて……。


 怯えたアヤメの視線に気付いたのか、オサムは頭を上下させて一つ頷いた。


 ──と、戸塚くんっ!?


 中学時代のトラウマで、彼女は集団の発するネガティブな感情に接すると、異様に動悸が早まり尿意も高まってしまうのだ。

  

 ──逃げちゃいそうな私を、遠くから励ましてくれてるんだわ……。


 高校へ進学したら二度とカースト底辺には落ちないと、固く決意したあの日のことを思い起こし、大きな胸の奥に眠る小さな勇気を振り絞った。


「え、えっとね、みんな。話はそれだけじゃないの」


 流行りのキーワードに飛びつくバカが、球技大会実行委員会の多数派を占めてしまったのだろう。


「"SDGs達成期日が迫る昨今、私達学生にも出来ることはないかと考えました”」


 アヤメは趣旨説明の記載されたプリント用紙を読み上げる。


 読んでも意味が分からなかったので内容を覚えていなかったのだ。


「”先般、不祥事で廃部となった野球部が残した用具類を有効活用し──”」


 つまりはエコである。ジーク、SDGs!


「”また、男女混成でチームプレイすることこそが──”」


 つまりはダイバーシティである。ジーク、SDGs!


「”体育館を利用しないため照明も必要なく──”」


 つまりはサステナブルである。ジーク、SDGs!


「”なお、LGBTに配慮するため──”」


 全員がぽかんと口を開いて聞いていた。


 SDGsだか何だか知らないが、あまりに無茶な球技大会になりそうだったからである。


「さすがに、それ無理あるでしょ?」

「男女混成だったらさ、女子がボール打てるわけないじゃん」

「そおだよ〜」

「つうか委員長だったらさ、こんなおかしな話は抗議してくれよな」

「分かる」「だな」


 ──う、ううっ。

 ──まずいわ。やっぱり私に矛先が……。


 再びアヤメは、オサムの方に視線を送る。


 ──お願い、戸塚くん。

 ──こうなったら、あなたの暴力とお金が頼りなの……。


「とづ──」


 追い詰められたアヤメがその名を呼ぼうとした時、再びオサムが頭を上下させて頷いている。

 何度も何度も何度も、全てを任せておけというかのように──。


 ──はっ!?

 ──”何があってもボクが味方だ”──ということ? 

 ──だから、まだ挫けるなってことねっ!


 アヤメがぐっと拳を握り顔を上げると、弾みで胸がぶるるんと揺れた。


「ま、待って、みんな! 色々と問題はあると思うけど、今回の球技大会は優勝したら──」


 通常、球技大会優勝の景品は、賞状とお菓子セット程度である。


「副賞として、冬休みのスキーツアーが贈呈されます!」


 PTA会長の経営する観光バス会社が協賛してくれたのだ。


 当初、学校側は安全面等を考慮し申し出を断るつもりだったのだが、PTA会長の兄である区議からの口添えがあって結局は受け入れている。


「まじかっ、すげええ」

「クラス全員でスキーってことか!」

「修学旅行は、二日目が火事だったしな」


 途端に教室内のテンションがあがっていく。


 ホッと胸をなでおろしたアヤメは、最後の課題をクリアすべく口を開いた。


「あと一つ──、決めておきたいことがあります」


 ここを切り抜けたなら、球技大会におけるクラス委員としての役目は終了である。


「監督です!」


 チーム編成、練習、当日の指示に至るまで、監督という面倒な役目を背負った人間に丸投げすれば良いのだ。


「立候補──は、さすがに居ないと思うので、投票か、じゃんけん、それかくじ引き──」


 だが、その時──、


「──え!?」


 一人の男が、肩をぶんぶんと振り回しながら、両手を天高く振り上げた。


 ──ううっ、戸塚くん……。

 ──投票とかじゃんけんだと、

 ──クラス委員の私が恨まれるかもしれないと考えて……。


 告白を無下に断ったうえ、BJと蔑んでいた同級生の優しさに、思わずアヤメは腹部に疼きを感じてしまい別の意味で尿意が高まってきた。


 さっさと自主HRを終わらせて、トイレに駆け込む必要がある。


「き、決まりました。このクラスの監督は──」


 戸塚オサムである。

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