春ノ雨
都の通う学校は海のそばにある。家からバスに揺られて15分、そこから歩いて10分かからないところに学校がある。そんなある朝の通学路、今まで気がつかなかった桜が綺麗に咲いていた。普通の、よくある桜よりも濃い珊瑚色が鮮やかで、普通の桜よりも大きな花を咲かせていた。それを見て、都はどこかで聞いたことのある話を思い出す。「桜が色付くのは木の下に死体が埋まっているから」・・・・・・都は桜の根元へ視線を向ける。死体が埋まっているはずはないが少し不気味に思えてきた。この桜はきっと、そこら辺にある桜とは品種が違うのだろう。でも少し、ほんの少しだけ、本当に死体が埋まっていたらと考えてしまう。「物騒だな」と呟くと、都は歩みを速めた。そのとき、突風が都を襲う。都はとっさに下を向き、制服のスカートを押さえた。そんな都の瞳に地表を舞う珊瑚色が映る。くるくると渦を巻いて花びらたちが舞い踊る。そこに次々と新たに仲間が加わっていく。都が視線を上げると桜の雨が降っていた。今時映画でもドラマでも見ない、2次元でしか見ることのない美しい光景だった。目の前をひらりと花びらが横切り、都は思わず手を伸ばす。その手は花びらに触れることなく空を掴んだ。都は急に恥ずかしくなる。美しい光景にあてられて、漫画のような行動をとってしまった。顔に熱が集まるのを感じ、思わず走り出す。学校に着いて、何か聞かれたときの言い訳を考えなければ。
……そういえば、と走りながら今朝の天気予報を思い出す。今日は午後から雨の予報だったはずだ。都はかばんに引っ掛けてある傘の存在を思い出し、速度を緩める。このまま走っていたらいつか傘が落ちてしまうだろう。それに、午後から雨が降れば満開の桜も全て散ってしまうだろう。地面の花びらも泥に塗れて再び風に踊ることもない。ならばと思い、都は顔を上げ、ゆっくりと歩くことにした。目の前の光景を忘れぬように、しっかりと、目を逸らさないように。
授業が終わり都が学校を出る頃、雨がポツポツと降り出した。予報よりも随分と遅い降水だ。待ちに待った雨に、都はほっとした。雨が降るのを嬉しいと感じるのはきっと農家の人と自分くらいだろうなと都は思う。家に帰れば楽しいことが待っているかもしれない。そう思うと少しくらい濡れたって、風で傘がひっくり返ったって平気だ。都はひっくり返った傘を直し、再び帰路へつく。朝見た桜は雨に濡れ、水溜まりに浮かんでいる。それがなんだか可哀想に見えた。それでも、泥に負けることなく鮮やかな色を保っている姿は美しかった。都は水溜まりや花びらを踏まないように気をつけながらバス停へと足を向けた。
家に帰ると、まず制服の滴を落とし、タオルで軽く拭く。荷物も濡れていないか確認し、自室へと持っていく。その間家には都1人の足音が響く。都の両親は共働きで、19時頃に帰ってくる。午前中にはお手伝いさんが家に来て家事をしてくれている。都が生まれる前から来てくれているとても信頼の厚い人だ。夕方にはその人も帰って、広い家はとても静かになる。そんな静かな家でできるだけ静かに歩き、制服のまま中庭に出る。傘を差し、東屋に着くと生垣のそばに腰掛ける。
「決断力くん、いる?」
都は生垣の向こうに側に話しかける。一応心の中でも呼んでみるが、返事は無い。今日は会えないのかもしれない、と都は思う。まあ、一度も会ったことはないが。
「決断力くん」とは都がつけた名前だ。正体不明。実在しているようだが本人は「俺は君の心だ」と言い、実在を肯定しない謎の存在である。都は彼と小学生の頃に知り合っている。姿は見たことないが。彼は都が悩んでいるときに相談にのって、決断する力をくれる。会ったことはないが信頼における人(?)だ。
そんなことを考えていると雨が強くなってきた。東屋の屋根を激しく打ちつけ、雨の音しか聞こえなくなる。道を通る車の音が少し聞こえる程度まで外の音が遮断される。しばらく雨の音を聞いていると、通り雨だったようでだんだんと雨足が弱くなり、よくある普通の雨になった。
「ふっ、静かになっちゃった」
「通り雨だったな」
「えっ、いたの!?」
急に声をかけられて都は驚く。先程まではいなかったはずの決断力くんの声が聞こえた。
「ん?まぁね」
「気づかなかったよ」
「ひどっ、いつも君の心にいるのに」
そう、こんなふうにのらりくらりと返事をする。だから都もそれに乗っかっている。
「ねぇ、聞いてくれる?」
「何、また悩み事?」
「今日のはちょっと違う」
へぇ、と決断力くんは相槌を打つ。ここで切り捨てずに話を聞いてくれるところが決断力くんの優しいところである。
「あのね、今日の朝、通学路にある桜がすごく綺麗だったの」
「いいじゃん。そういえば朝は降ってなかったな」
「そう、だから風で花びらが舞い散っててね、こう、手を伸ばしちゃったの」
見えていないと分かりながら、都は今朝と同様に空中に手を伸ばす。
「花びらに?」
「うん。それってさ、周りから見たら普通じゃないよね?」
都がそう尋ねると決断力くんは少し間を空けて「そんなことない」と言った。
「……間があったよ」
「いやだって、すごい綺麗だったろうなーと」
「今は桜の話じゃなくて、私の行動の話!」
「……桜だけの話してたわけじゃないんだけど。君その行動は別におかしくないと思うよ、俺は」
「普通?」
「うん。反射だ、そんなの」
「そっか」
決断力くんはそう言うけど、やはり気になるので都はあの行動を誰にも見られていないことを願った。
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