血を流すのはいつだって
そう遠くない昔、クレアという女の子が生まれた。彼女は両親に愛されて育った。そんな彼女は今、19歳になった。学校も卒業し、両親が経営している食堂で働いている。
クレアは顔が一段と整っている訳でもなく、一段と頭が良い訳でもない。しかし、彼女はその持ち前の人柄の良さと愛想で食堂の看板娘として食堂の名を広げていった。
そんなある日、ある若者が店の看板を見て立ち止まり、店に入っていった。
「いらっしゃいませ、お好きなところにおかけくださいね」
クレアはフードを被った若者に声をかけた。が、若者はキョロキョロとするだけで動こうとしない。こういうところは初めてなんだろうな。そう思い、クレアは若者にもう一度声をかける。
「こういう食堂は初めてですか?」
「あっ、はい……」
若者の返事を聞くとクレアはニコリと人懐っこい笑顔を浮かべた。
「では、こちらに座りませんか?」
クレアが案内したのはカウンター席だった。
「ここなら、私もおしゃべりできるので。おしゃべりはお嫌いですか?」
「いえ」
緊張しているであろう若者の緊張をほぐして、楽しんでもらいたいというクレアの気持ちを知ってか知らずか若者はそこに腰を落ち着けた。
「はい、お兄さん。お水です」
「あ、ありがとうございます」
運ばれてきた水をおずおずと若者は飲む。
「クレアーー」
「あっ、呼ばれてる」
厨房から父の声が聞こえた。行かなければいけない。
「お兄さん、メニューはそこにあるので決まったら声、かけてくださいね」
そう言ってクレアは父のいる厨房へ向かった。
「なぁに、お父さん」
「それ、お客さんのとこ運んでくれ」
「はーい」
クレアはホカホカと湯気が立ちのぼり、トマトがゴロゴロと入ったソースがかかっているパスタを、注文した常連のお客さんのところに運ぶ。
「はい、どうぞ。いつものです」
「おぉー!いつもながら美味そうだな、クレアちゃん」
「父が厨房で喜んでますよー」
「クレアちゃんはなんか作らねぇのかい?」
「私は接客専門ですよ」
「今度作ってくれよ」
「気が向いたら作りますねー」
常連のお客さんといつも通りの会話を済ませ、カウンターに戻り、目の前に座る若者に話しかける。
「さっきの話聞こえました?」
すると若者はメニューからふっと視線をクレアに移し、返事をする。
「はい」
「いっつもあの話するんですよ、しかも大きな声で!」
「よほどこのお店が好きなのでしょうね」
そう言って若者は微笑んだ。クレアはその時、初めて若者の顔を正面から見た。クレアの中の時計はしばらく動かなくなった。呼吸をすることさえも止めてしまった。さらさらとフードから零れ落ちる黒髪に、飲み込まれてしまいそうなくらい深く黒い瞳。どこにでも存在する色の組み合わせ。でも、この顔は絶対にどこにもいない。クレアが今まで見た人の中でも群を抜いて整っている。こんな人、普通にうろついていてはいけないなと思った。
若者はぼーっとするクレアを見て首を傾げている。クレアはハッとし、誤魔化そうと声をかける。
「そ、そういえば、決まりましたか?」
若者は再びメニューに目を向け、指を指す。
「この、オムライスをお願いします」
「分かりました。ふわとろオムライスですね?」
「はい」
「伝えてきますね」
そう言うと、クレアは足早に厨房へ向かった。
「お父さん、ふわとろオムライス1つ」
「おー」
「クレア、このお皿、向こうで拭いて片付けてちょうだい?」
洗い物担当の母がクレアに頼む。食器棚はカウンターの内側にあり、クレアはその内側に立ち、接客担当兼食器担当をしている。
「はーい」
食器が積み上がっているカゴを持ってカウンターのところに戻る。と、お客さんが「ごちそうさん」と声をかけてきた。
「はい、ありがとうございました。また来てくださいね」
「美味しかったよ」
そう言ってお客さんは出ていった。クレアは片付けにかかる。テーブルに置いてあるお金をエプロンのポケットに入れ、食器を母の元へ運ぶ。そして、テーブルを拭けば完成だ。
「ふぅ」
カウンターの中に戻ると若者と目が合った。
「どうしました?」
「いえ、働き者だなと」
「そんなことないですよー」
よく、お客さんに言われる言葉を聞き流しながらクレアは食器を拭き始めた。
「そういえば、お兄さん。あまり見ない顔ですね」
「そうですか?」
「えぇ、だってお兄さんみたいなかっこいい人がいたらあっという間に噂になってますよ」
クレアがそう言うと、若者はフードを被り直した。
「そ、そんなことありませんよ」
「お兄さんは旅人さんですか?」
「そういうことにしておきます」
おや、これはあまり話したくないのだろう。そう思い、話題を変える。
「そうだ!なんでうちのお店に来てくれたんですか?なにか目を引くものでもありましたか?」
「えーと」
そう言うと若者は下を向く。これも話したくないのだろうか。
「クレアー」
また、父がクレアを呼ぶ。オムライスが出来たのだろう。
「きっとオムライスですよ、お兄さん」
若者に笑いかけると、クレアは厨房に行った。すると、案の定ふわとろオムライスがとても良い香りを漂わせて、クレアを待っていた。
「持ってくねー」
「あぁ。あとお客さんどれくらい?」
「注文する人はいなさそうだよ」
「はいよ」
クレアはオムライスにケチャップをかけて若者のところに持っていった。
「はい、お兄さん。ふわとろオムライスです」
「ありがとうございます」
若者はそう言いながら目を輝かせていた。それを見たクレアは、この人はオムライスが好きなんだな、と思った。
若者はオムライスの卵を割る。ふわぁと湯気が溢れ出てきた。なんて美味そうなんだ。そして口に運ぶ。
「!……美味しい」
目をキラキラとさせて美味しそうにオムライスを頬張る若者を見て、クレアは幸せな気分になった。
「お兄さん、本当に美味しそうに食べますね」
話しかけると若者はパッと顔を上げる。
「とても美味しいです!」
「ふふっ、お父さんにその顔を見せてあげたいくらい、いい顔ですよ」
でも、あんまり見せたくないなとクレアは心の奥底で思った。なんだか独り占めしたい。
「……このお店に入ったのは、メニューにオムライスが入っていたからなんです」
「へぇー、お兄さんの家ではあまり食べないんですか?」
「はい、なかなか言い出せなくて。その、オムライスって少し幼いイメージがあるんです。妹にはかっこいいところを見せたいので」
「あら、妹さんがいらっしゃるのね。羨ましいわ」
「貴女は一人っ子ですか?」
「えぇ。だから、この店は私が継がないと無くなっちゃうんですよ」
「それは残念ですね」
それから若者は黙々と食べ、何か用事があるのだろう。急いで帰っていった。
「あの人、かっこよかったなぁ」
クレアは思わず声に出して言ってしまった。
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