第44話 好きなんだ

 頭の中がふわふわする。

 動きたくない。

 でも、ずっとこのままで良いかと言われれば、そうでもない。


 身体の上には何かずっしりとかけられてる。

 これは布団?

 まるで旅館で用意されるヤツみたいで、なんか微妙。


 この匂いは……

 なんだろう、アルコール、無機質。

 よく分からない。


 それで、さっきから生暖かい風が、僕の顔に当たってる。


 なんだか生き物みたいで、不規則で生々しい。


 でも、どこか懐かしく感じる。


 これは……


 パチッ


「……何してるの?」


 顔が近いよ、篠宮さん。


「……あっ」


 バッ!


 一瞬固まってたけど、すぐに離れた。


「うぅ……ご、ごめん……」


 ジ~


 篠宮さん。

 この子いま、目を閉じて、寝てる僕に顔をゆっくり近づけてた。


 邪魔な髪は後ろに流して、明らかに、僕と……


 ……まあいいや。


「ここは……」


 保健室。

 一応、前にも来たことがある。

 病院の診察室にいるみたいな、あの薬品っぽい独特な匂いがする。


 そっか、あれから僕は……


「っ……いつっ」


 全身が、すごく痛い。


「あっ、まだ寝てた方がいいよ」

「いや、大丈夫……っ」

「ダメだよ。ほらっ、冬木くんは怪我人なんだから、安静にしてないと」


 骨とか折れてるのかな。

 ちょっと動いただけですごい響く。


「うぅ……」

「大丈夫じゃないよね」


 いや、少し傷むだけで、平気。

 そんなに心配しなくていいから。


「……冬木くん」


 ギュッ


「別にこれくらい……あっ」


 篠宮さんが、


 篠宮さんの顔が、また近い。

 

 篠宮さんも気づいた。

 僕の肩に触れたまま動かない。


 そのままお互い、固まって。

 

 ど、どうしよう……

 合った目が、放せない……


 サッ


「ご、ごめんね、また……」

「あっ、いや、僕の方こそ……」


 久しぶりに目が合った、気がする。

 篠宮さんと触れた、気がする。


 この感じ……

 懐かしさもあるけど、やっぱり緊張の方が……


 落ち着こう。

 一度気を取り直して、


「はあ……」


 改めてみると僕ってボロボロ。

 いたるところに包帯が巻かれて、我ながら酷い惨状。

 保健室にいるけど、これって歩けるのかな。


 これじゃ、2週間前に逆戻り。

 むしろ今回の方がひどいかもしれない。


「あの、篠宮さん」

「ん? なにかな?」

「その、僕ってここでどれくらい寝てた?」

「んーとね、3時間くらいだよ」


 3時間……

 窓から差し込む濃い目のオレンジ色。

 すっかり夕暮れだ。


 久しぶりに見ると、夕日って綺麗。

 こんなに大きかったんだ。


 ……そっか。

 僕、また篠宮さんを……


「冬木くん?」

「ごめん……余計、だったよね」

「へっ?」


 気の抜けた返事。


「尾崎先輩のことだよ。告白しようとしてたところに、僕が割って入って」

「こ、告白⁉ なにそれ⁉」


 せっかくの機会を邪魔してさ。


 ……って、


「篠宮さん?」


 なにその反応? 

 やっぱり違う?


「私! 告白なんてしてないよ!」 

「違うの? でも篠宮さんって、先輩のことが好きなんじゃ……」

「いやいやいや! 違うよ! どうしてそうなるのかな⁉」


 すごい否定してくる……

 なんだ、やっぱり違うのか。

 でも……あれ?


「えっ?」

「えっ?」


 謎の間が、僕たちを支配する。


「た、楽しそうにしてたし……」

「違うよ! あれは演技! そう! 全部演技だよ!」

「演技? あれが?」

「そうだよ! だって私、すごい営業スマイルだったよね! もう誰からどう見ても完全に接待モードだったよ! 冬木くんも見てたよね⁉」


 ん? 営業スマイル?

 あれってそうなの?


「えっ、まさか冬木くん……本気にしてたのかな?」

「い、いや、だって仲良さそうにしてたし……」

「してないよ! 先輩に合わせてただけだよ! もうっ! なんで分からないのかな⁉ 冬木くんすっごい鈍感だよ!」

「そんな、篠宮さんにだけは言われたくない……」

「んなっ⁉ それはどういう意味なのかな⁉」


 そう、だったのか……

 ホッ、なんか安心した。

 そっか、アレは全部篠宮さんの演技で……


 でも、そもそもなんでそんなことを?


「はあ……それで話を戻すけど。私ね、最初から尾崎先輩のこと怪しいと思ってたんだ」

「怪しい? 怪しいって、なにが?」


 何の話?

 

「決まってるよ。冬木くんを襲った不良たち。その首謀者が尾崎先輩だったんだ」

「えっ? それってどういう……」


 僕をリンチした不良とあの人に関わりが?


「取り巻きにはあんな命令出しておいて、自分は一切手を汚そうとしないなんて、卑怯だよね」


 えっ、そうなの?


「そう、怪しいのは雲を見るより明らかだよ。だってあの人、冬木くんが離れた途端、急に私に絡んできたよね」


 言われてみれば、確かに……


「今まで話したこともなかったのに。私が冬木くんにフラれて落ち込んでるところを狙って」

「それは、その……ごめん」


 何も言えない。


「何かと冬木くんのことをネチネチ言ってくるし。『俺はあんな酷いことは絶対にしない』 『あんなヤツよりも俺といた方が何百倍も楽しい』 『俺の方が~』 とかとか言って、絶対意識してるよ」

「それは、単に篠宮さんを励ましてただけなんじゃ……」

「人が弱ってる時に。しかも冬木くんまでバカにして……私がどれだけ我慢したことか、冬木くんは知らないよね!」


 そ、そうなんだ……

 篠宮さん、なんか怒ってる。


「ホントに苦労したよ。証拠を集めるために先輩と仲が良いフリをしてね」


 なるほど、名探偵的な。


「映画を観に行った時もそうだよ。実は明代ちゃんたちにこっそり尾行してもらってたんだけど……あの時わたし、冬木くんと同じで不良に絡まれたんだ」

 

 知ってる。

 昨日からその噂でずっと持ちきりだからね


「それであの人たち、なんか変なお面つけた」

「あっ、僕の時もそうだったよ。たしかキツネのお面」

「そうそれ! キツネのお面つけてた! 狐顔三人衆! もう怪しさ満載だよ!」


 あの人たち、顔を見られないようしてた。

 お祭りでゲットしたみたいなデザインのお面で。


 篠宮さんの時もそうだったのか。

 人数もそうだし。

 そっか、篠宮さんを襲った不良って、僕をボコったのと同じ不良だったのか。


「すぐに先輩が助けてくれたんだけど、すっごい演技臭かった。アレは漫画の見過ぎかな? 緊張感が全くなかったし、迫力だって全然……もう絶対演技! バレバレだよ!」

「そ、そっか……」


 たしかに、3対1で撃退したっていうのは僕も疑問に思ってた。

 1人ずつかかって来るとかならともかく、普通に考えて勝てるワケがない。


 漫画の世界じゃあるまいし。

 それが全部自演っていうなら納得がいく。

 

「そもそも尾崎先輩みたいな学校の人気者が、私みたいな地味な女に絡んでくること自体怪しい。絶対になにか裏がある。疑わない方がおかしな話だよ」


 篠宮さん、目を細めてる。

 自分は騙されてないぞって、そういう目をして遠くを見てる。


 最初から疑ってたのか。

 いや、警戒心が高いのは良いことだと思うけどさ。


 でも、もっとこう、なんだろう。

 キミが思ってるより自分の容姿が良いってことを──


「とにかく! 女の勘をあなどらないでほしいかな!」


 フンス!


 篠宮さん、なんか胸を張ってる。

 エッヘンって。


 なにその仕草。

 なんでそこで威張るの?

 いや、篠宮さんらしくて可愛いけどさ。

 

「あっ、そう言えば篠宮さん。あれから僕ってどうなったの?」

「ん? なにが?」

「いや、なにがって、僕が気を失った後のことだよ。あれから記憶が途切れてるんだけど……」


 ん、左目は何ともない。

 相変わらず片目だけの負傷。

 ラスボスにならなくて済んだみたい。


 でも、おかしいな。

 あの時の僕、たしかやられる寸前だった。

 不良たちに容赦なくボコられて、絶体絶命だったはずなんだけど……


「あー、それならね。明代ちゃんが助けてくれたよ」

「えっ? 明代ちゃんが?」

「そう! 1人で先輩を含めた不良たちをバッタバッタと切り伏せて! それはもう爽快に……って、冬木くん? なんでそんなに驚いてるのかな?」

「い、いや、だって……」


 明代ちゃんが僕を?

 僕って、あの人にかなり嫌われてるはずなんだけど……


 昼間、あんだけ僕をボコっておいて、放課後には助けてくれる。

 まるで意味が分からないよ。

 

「明代ちゃんね、ずっと校舎裏にいたらしくって、思いっきり勘違いしてたらしいんだ」

「勘違い?」

「うん。本当は何かあったら、すぐに明代ちゃんが出てくるはずだったんだけど……その、明代ちゃんってたまにおっちょこちょいな所があるんだよね。ああ見えて意外と抜けてるって言うか、あはは……」


 そうなんだ、意外。


「でもホントにここぞって時にはものすごく頼りになるんだ。もうすごいんだよ! 明代ちゃんが竹刀持つとホントに強いんだから!」


 フンス!


 篠宮さん、また威張ってる。

 まるで自分のことみたいに。


 そっか。

 まあ、剣道部主将だからそりゃあ強いよね


 なるほど、本来は明代ちゃんが出る手はずだったのか。


「だから冬木くんが出てきた時は、私すごいびっくりしたよ。なんで冬木くんが……っ⁉ って」

 

 まあ、言われてみればたしかに。


「それにあの時、もし冬木くんが来なかったら、ちょっと危なかったかも。だから改めてお礼を言うね。ありがとね、冬木くん」

「いや、そんな……僕の方こそ。明代ちゃんを呼んでくれなかったら、今頃どうなってたことか……」


 篠宮さんが呼んでくれたんだよね。

 正直こっちも危ないところだったし、感謝してもしきれないよ。


「それでね、先輩たちのことなんだけど……実は友ちゃんがこっそり撮影してたんだよね。一部始終をしっかり取ってあるから、今ごろ先生たちに見せて講義中だよ」


 なるほど、春風さんが盗撮してたのか。

 それって、篠宮さんの腕を引っ張ったこととか、僕がボコボコにされてるところとか、その他モロモロ?


 どうしよう。

 だってあの時の僕、バッチリ泣いてるんだけど……


「あっ、冬木くんもあとで観る? 友ちゃん写真部だからよく撮れてたよ。明代ちゃんも遅れた分大活躍だったし!」

「いや、いいよ」


 自分がボコられてるところなんて、観たくない。


「それで先輩、推薦が決まってたけど、もしかしたらそれも危ないかもね。まあ、それだけのことをしたんだし、当然の報いだよ」

「そっか……」


 篠宮さん……


 あの時とは違うんだ。

 頼りになる友達がいて、たとえ何かあっても自分で何とかできる。

 別に僕がいなくても、もう……


 僕なんて必要ないんだ、最初から。


「あれ? 冬木くん、なんだか元気ないね。もう問題は全部まるっと解決したよ? もっと嬉しそうにしてくれても……」

「じゃあ、どのみち余計だったね」


 その、僕のやったことって。


「ん、なにかな? 余計って?」

「別に僕が行かなくてもよかった。僕が来なくても、篠宮さんならきっと自分で何とかしてた」


 なのにわざわざボコられに行くような真似を。

 ただ前に出るだけで何もできない。

 これじゃ、あの時と同じだよ。


「……ううん、そんなことないよ。私、すごい嬉しかった。冬木くんが来てくれて、冬木くんが私ために、やっぱりあの時と変わらないんだって」


 そう、変わらないんだ、僕は。

 何もかも、ね。


「ねえ、冬木くん。あの時もそうだったけど、なんで助けてくれたのかな?」

「……えっ?」

「ずっと気になってたんだ。冬木くんってさ、私が危ない目にあってたら、誰よりも早く助けに来てくれるよね。それってなんでなのかな?」

「それは……」


 その、


「好きなんだ、篠宮さんのことが……」


 ずっと。

 

「ごめん、ただそれだけ。他に理由なんてない」


 今もまさにそうだけど、浅ましいよね。

 僕って。


「そ、そうなんだ……そっか、冬木くんも、私のこと……」


 篠宮さん、


「な、なにかな? 無言で私を見て……」


 その、


「あっ、まさか……」

「……その、ごめん」

「えっ?」

「篠宮さんのこと、ずっと無視してた」


 あんなに徹底して。

 悲しい顔をさせた。


「冬木くん……」

「前に泣いて欲しくないって言ったのに、結局このあり様だ」


 しかも、よりによって、そうさせたのが僕自身だ。

 僕の言動で篠宮さんを傷つけた。


 情けないよね。

 尾崎先輩がどうこうじゃなくて、悪いのは紛れもなく僕だ。


「全部自分でやっておいてアレだけど、結構ひどいことをしてたと思う……」


 だから、


「……ごめん」


 篠宮さん。


「っ……ホントだよ。私がどれだけ冬木くんを心配したと思って……なのに冬木くん、また綾瀬先輩と仲良くしてたよね!」


 あっ、さっきまでの優しい篠宮さんが……


「私、嫌だって言ったよね! 冬木くんって何度も呼んだよね! なのに冬木くん! 全部無視した!」


 うん……


「冬木くん、あのね。いま私、すごく怒ってる! すっごく怒ってるよ!!!」


 ……ごめん。


「私をずっと無視したこと、絶対に許さないから! いくら謝っても無駄だから!」

「……ホントにごめん」


 もうそれしか言えない。 

 それだけ篠宮さんに対して酷いことをやったんだから。

 

「だから……キスしてよ」

「……えっ?」


 今なんて?

 篠宮さん、キスって言った?


「その……キスしてくれたら、少しは大目に見てあげるかも……」


 な、なにそれ……


「うん。冬木くんは今回脅されてたワケだから、仕方がなかったっていう側面もある。情状酌量の余地はあるよ。だから……」


 それでなんでキスすることに?

 それってつまり篠宮さん、僕とキスしたいってこと?


「どうするのかな? それで全部許したりしないけど、少しはマシになるかもしれないよ」


 そんな、いきなり過ぎて、心の準備がまだ……


 っていうか、もう目を閉じてるし。

 もうする気でいるよ……

 

「早く決めなよ。それとも何かな? 冬木くんは私とキスするのがそんなに嫌なのかな?」

「そういうワケじゃないけど……」


 僕だって出来ることなら……

 でも、そういうのってさ、夫婦や恋人同士がやるモノであって、何でもない僕たちがやることでは……


 って言うか、それ以前に恥ずかしくて死にそう……


「じゃあ、このまま冬木くんが来ないなら、あと5秒で終わります。はい、いーち、にーい」

「わ、分かったよ、する、するからさ」


 今の僕に人権はない。

 篠宮さんがそうしたいなら、大人しく従うまで。


 そう、別に。

 ただそれだけだから。


「じゃあ、んっ……」


 篠宮さん、僕の方を向いてジッと目を閉じてる。

 でもそれ以上は近づいて来ない。

 僕からしないとダメなのか。


 篠宮さん、柔らかそう……

 僕、初めてなんだけど。

 キスなんてしたことないから、どうすれば……


 篠宮さんはどうなのかな。

 仮に初めてだとして、それが僕なんかで。


 まあ、篠宮さんがそれでいいなら、別に。


 あと、少し、


 もう、少し……


 ──バンッ!


「──おい! 起きたんならさっさと出ていけ! 下校時間はとっくに過ぎてんだ!」


 ピシャリッ


「あっ……」


 

 ほ、保健室の、先生……

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