第2話 聖女の誕生

「イザベラ!」


「ええ! 私の箱だわ!」


 思わず、祭壇の前でイザベラと抱き合う。広場中の視線を集めている気がしたが、どうでもよかった。


 祭壇の上に置かれたイザベラの髪が納められた小箱には、氷でできたような透き通る花が咲いていた。紛れもなく、聖女の証である氷の花だ。


 いちど目の選定結果を覆し、イザベラが聖女に選ばれたのだ。彼女の努力が、きちんと実ったのだ。


 ……絶対に、こうなるって信じていたわ。


 誰より強い「ルナの祈り」と、わかりづらいが純真な心を持ち合わせているイザベラなのだ。正しい祈りを身につければ、きっと聖女に選ばれると思っていた。


「皆、これが見えるな。――当代の聖女は、イザベラ・エル・ウィロウとする。これ以降の変更はいっさいありえない」


 国王の高らかな宣言に、広間中から拍手が上がった。歓声が上がらないのは、彼女の悪い噂が尾を引いているせいだろう。


 イザベラにも事情があったとはいえ、巡礼の旅に出なかったことで民の期待を裏切ったことは確かだ。まずは、その悪い評判を挽回するところから始めなければならないだろう。


 決して楽な始まり方とはいえない。改心した後も、謂れのない非難が、もしかすると一生付き纏うかもしれない。


 けれど、晴れやかな笑顔で王太子殿下のそばに駆け寄るイザベラを見ていると、そんな不安も薄れてきた。あのふたりならば、支え合ってどんな困難でも乗り越えられるに違いない。


「……こんなはずはない。こんな、はずじゃ」


 ルカ神官は、ぶつぶつと何かを呟いていた。まるで何かに取り憑かれたかのような不穏な様子が、妙に気にかかる。


「広間の鍵をあけよ。聖女の誕生を各所に知らせるのだ」


 国王の一声で、幾重にも閉ざされていた扉が順番に開いていく。祭壇の奥のステンドグラスを唯一の光源としていた儀式の間だが、窓や扉が開かれていくことで徐々に明るくなっていった。


「初雪だ!」


「女神さまの祝福だ!」


 外に出た人々が、口々にそう叫んでいるのが聞こえる。もうすっかり秋だとはいえ、初雪にはまだ早い時期だ。本当に、女神さまの祝福なのかもしれない。


 ……歴史的な日になるわね。

 

 外の光を眩しく思っていると、ふらり、とルカ神官が近寄ってきた。ただならぬ雰囲気に、気圧されるようにして思わず一歩後ずさった。


「ルカ神官……?」


「何を、何をしたのですか、エマさま」


 ルカ神官の青白い手が、私の両肩を掴む。細身の見た目からは信じられないほどの、強い力だった。


「あの女に、何を吹き込んだのです? あなたが……あなたが、聖女になるはずなのに。女神はいちど、あなたを選んだのに!」


 いつも淡々とした声音で話すルカ神官にしては、信じられないほどの大声だった。だが、新たな聖女の誕生と初雪を喜ぶ人々の喧騒に隠れて、わたしたちに注目したのはほんの数人程度だ。


 ルカ神官にも、きちんと話をしなければならない。神官長が免職された今、ルカ神官がそのあとを継ぐ可能性は高い。そうなれば、彼はこれから、イザベラの第一の従者として使える神官となるだろう。


「ルカ神官……私はあなたが彼女に施さなかった聖女候補の教育を、代わりに施しただけですわ。これからは、どうか彼女を新たな主として、支えて差し上げてください。きっと、まだまだわからないことがあるはずですから」


 本当は、彼があからさまに私を贔屓していたなんて、知りたくなかった。私に期待してくれたことは嬉しいが、それはイザベラを蔑ろにしていい理由にはならない。


「清廉さのかけらもないあの女に、神聖な教えを解くだけ時間の無駄です」


「聞き捨てならない発言です。聖典の教えは、広く民のためにあるものではないのですか」


 掴まれた肩に、余計に力がこもる。指先が食い込んで鋭い痛みを呼び起こした。


「……離してください、ルカ神官」


「いいえ、離しません。エマさま、あなたはネージュ教の光だ……。いつになったらあなたはそれを自覚してくださるのでしょうか。こんなことになったのは……あなたにまとわりつく魔の者が、あなたに悪い影響を及ぼしたからですか? ――ああ、怪我をさせるなんて生ぬるいことはせずに、殺しておけばよかった」


「なんてことを……! 撤回してください。彼を……アシェルさまを蔑ろにする発言は許せません」


 怒りを隠すこともせずに、ルカ神官を睨み返す。金色の瞳が、どんどんと翳っていった。


「アシェルさま、ですか。ついに兄と慕うことはやめたんですね」


 ぞっとするほどの暗い声音だった。隠さなければならないことでもないのに、失敗した、と言う気持ちだけが沸き起こる。


「そうか……あなたはもう、出会ったときのような、清らかなエマさまではないのだ。私が光を見た、あの神々しいエマさまでは……」

 

 今までの翳った表情から一転して、ルカ神官はふと、名案を思いついたと言わんばかりに表情を明るくした。だが、獣のように光る金の瞳には、変わらずどす黒い影が浮かんでいる。


「そうだ……魔の者に穢されたあなたも、いちど女神さまの御許へ戻って、綺麗になった方がいいですね」


「何を……言っているのです?」


 ぞわり、と肌が粟立つ。周囲には人がたくさんいるのに、私とルカ神官に注目している人は誰もいなかった。


「大丈夫、女神の愛し子であるあなたは、人々を救うために必ずまた地上へ遣わされます」


「……離してください」


 このまま、ルカ神官とふたりで話をしていてはいけない気がする。本能的に危険を感じとりなんとか彼の手を引き離そうとするも、恐ろしいほどの力で肩を掴まれているせいで、少しも身動きが取れない。


「離して! ルカ神官」


「聖女ではない……聖女ではない、あなたなど――」


 ルカ神官が、歪な笑みを浮かべる。彼は右手を私から離したかと思うと、分厚い純白の神官服から、銀の小刀を取り出した。瞬く間に鞘から刀身が引き抜かれ、雪の結晶が掘り込まれた美しい鞘がからからと広間の床を滑り転がっていく。


「――聖女ではないあなたなど、もういらない。生まれ直してください。僕だけの聖女に。魔の者に穢されない、純潔の聖女に」


 振り上げられた小刀が、そこかしこから差し込んだ外の光を反射する。逃げることは愚か、声すらもでなかった。


「――っ!」


 かろうじて両手を庇うように顔の前に上げ、衝撃に備える。


 ……いや、お兄さま、お兄さま!


 走馬灯のように、愛しいひとの笑顔が脳裏に浮かんだ。彼のもとへ、帰りたかったのに。あの大きな手で、頭を撫でてほしかったのに。


 瞬間、背後から力強い手に引き寄せられ、頭上で金属がぶつかり合う音が聞こえた。

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