第六章 聖女選定のやりなおし

第1話 ふたりでひとりの聖女

 ウィロウ男爵と神官長との間でやりとりされた金銭の記録と「聖女選定の儀ではイザベラ・エル・ウィロウに便宜を図る」という旨の契約書は、それからまもなく王室へ提出された。


 ルカ神官は染められた髪の一部を不正の証拠として提出し「真の聖女はエマ・エル・アスター公爵令嬢である」という主張を掲げ、聖女選定の儀を国王陛下の目前でやりなおすことを求めた。異例の事態だったが、儀式のやりなおし自体は前例があることが手伝って、聖女選定の儀のやりなおしは円滑に決まった。


 儀式の日取りは聖女の任命式のひと月前。ここで選ばれた娘が、当代の聖女として王太子殿下と婚約し、ネージュ教の頂点に立つことになる。


 ……やれることはすべて、やったはずよ。


 儀式当日の朝、すっかり秋めいた神殿の中庭を眺めながら息をついた。


 殿下がお兄さまを公爵邸へ送り返して以来、私の部屋もイザベラの部屋の隣に移され、幽閉されることはなくなった。ルカ神官は非常に不満そうにしていたが、彼の前では弱っている演技を続けていたため、ルカ神官はどうやら私が抵抗を諦めたものと思っているらしかった。


「あなたのその格好、久しぶりに見た」


 衣装部屋から、黒髪をひと束にまとめ上げたイザベラが出てきた。今日は私もイザベラも、懐かしい聖女候補の装束を纏っている。


「そうですね、なんだか落ち着かない気持ちです。イザベラはずっと聖女の装束を纏っていましたから、あまり変わりはないでしょうか」


「そうね。白くてあんまり可愛くない服って点ではまったく同じだわ」


 イザベラは自然な様子で私の隣を陣取って、中庭を見下ろした。


 イザベラに講義を行うことふた月。私たちの距離はずいぶん縮まったし、彼女は驚くべき早さで聖典を学んでいった。できることはすべて、やったはずだ。


「……いよいよね」


「はい」


 お互いに、別のひとの顔を思い描いているのはいうまでもなくわかった。この夕方に国王陛下の前で髪を収め、儀式をし、明朝になれば女神さまの氷の花によって聖女が選ばれている。私たちの望む結果になれば、明日には愛しいひとのもとへ帰ることができるのだ。


「エマが教えてくれたんだから、大丈夫ってわかっているけれど……それはそれとしてちょっぴり緊張するわ」


「イザベラの努力を女神さまも見届けてくださっているはずです。きっと、報われます」


「そうね。……そう、信じてる」


 ふっと、夜闇を照らす炎のような赤い瞳がこちらに向けられる。凛とした、美しい目だった。


「ここまでありがとう、エマ。こんなこと言うのも恥ずかしいけれど……あなたみたいな友人ができて、本当によかった」


「それはこちらの台詞です。私と友人になってくださってありがとうございます、イザベラ」


 にこりと微笑んでから、どちらからともなく抱きしめあう。まるでイザベラが自分の片割れのような、強い絆を感じた。


「どんな結果になっても、私たちはふたりでひとりの聖女。そうでしょ?」


「はい。あなたがいることを、とても心強く思います」


 手を取り合ったまま、再び視線が重なる。緊張をほぐすように、ふたりで静かに笑い合った。


 やがて、置き時計が小さな鐘を鳴らす。聖女候補としての始まりの日を思い起こさせるような音色だ。


「時間だわ」


「参りましょう」


 手を取り合ったまま、私たちはふた月を過ごした聖女の部屋を後にした。


 ◇


「それでは、聖女選定の儀を開始する」


 神殿の儀式の間、王家と神殿の護衛、聖女候補の両家と関係のない中立の貴族家の護衛により厳重に守られた部屋の中で、聖女選定のやりなおしは始まった。


 私とイザベラは広間の中心に設置された椅子に座り、私たちの前には雪の結晶の刺繍が施された豪奢な箱がふたつ、用意されていた。


 この儀式の証人は、国王陛下である。陛下の目の前には、二つの小箱を載せるための小さな机が用意されていた。


 聖女選定のやりなおしが公表されたときには、王国中に激震が走った。今も、民がもっとも関心を寄せている話題であることに間違いはないだろう。今度は間違いが起こらぬよう、小箱を開けるまで、この広間から誰も出てはいけないことになっていた。国王陛下ですら例外ではない。


 ルカ神官が、銀の鋏を持って私とイザベラの前に歩み寄り、うやうやしく礼をする。彼が、私たちの髪を一房切る役目を担っているのだ。本来であれば神官長の仕事だが、神官長はルカ神官に暴かれた不正によって投獄されているため、大神官であり、不正を暴いた立役者でもあるルカ神官がこの重要な役目を国王陛下よりおおせつかったのだ。


 ルカ神官がイザベラの髪を解き、艶やかな黒髪を一房手にする。よく検分するように目を凝らした後、銀の鋏を長い黒髪に通した。


 その黒髪はすぐさま小箱へ収められ、国王陛下の目前に献上された。不正を防ぐため、やりなおしの儀では小箱に蓋はされない。黒髪が顕になった状態で、陛下の目の前の机に、イザベラの小箱が置かれる。


 続いて、私の番だった。ルカ神官は貴重なものに触れるかのような繊細な手つきで私の髪を一房取ると、丁寧に鋏を立てた。雪がこぼれ落ちていくように、小箱の中に白銀の髪が収められる。


 イザベラのときと同様に国王陛下の目前に小箱が並べられた。


 ふたつの小箱が揃ったのを機に、陛下はそれらを両手にひとつずつ持つと、祭壇まで移動した。それらを祭壇の上にそっと置き、白い床に跪く。陛下に倣うようにして私とイザベラも、祭壇の前へ移動し、床に膝をついた。


「女神ネージュ、当代の聖女に相応しい者に氷の花を与えたまえ」


 国王陛下の言葉に続いて、一部の神官たちによる聖歌の斉唱が始まった。この聖歌の中で、私たちがそれぞれ祈りの言葉を唱えれば、儀式は終了だ。


 まずは、イザベラから祈りの言葉を唱える。


「女神ネージュさま、あなたの白銀の恵みが、広く遠く、すべての者に届きますように。日々の祝福に感謝いたします」


 指を組み、まつ毛を伏せた彼女の清廉さに、広間がざわめくのがわかった。完璧な祈りだ。聖女として申し分ない。


 続いて、私の番だった。イザベラと同じように、定められた祈りの言葉を口にすればいいとわかってはいても、脳裏に過るのはどうしてもお兄さまのことだった。


「女神さま……どうか、白雪に傷つけられた者たちまで、あまねくお救いくださいますように。……あなたの祝福を人々に広く行き渡らせるにふさわしい者を、どうかお選びください」


 私は、あのひとのためならば祈りを捨てられる娘です。


 イザベラが眩い光の聖女として人々に祝福を届けるならば、私はその影でいい。影の聖女として、祝福の象徴と呼ばれる雪で傷ついたひとを救いたい。


 ……お兄さまを、救いたいの。


 その瞬間、すっと、粉雪が混じるような涼やかな風が通り抜けたような気がした。思わず、顔を上げて祭壇の前に置かれた箱を見やる。


 イザベラも同じ感覚を覚えたのか、私と同様に祭壇の前の箱を見つめていた。


 それは、奇跡としか言いようがない光景だった。


「あれ……は……」


「なんて美しいの……」


 鳴り響いていた聖歌がぴたりと止んだかと思うと、儀式を見守る神官たちから、感嘆の溜息が漏れ聞こえてくる。私も、信じられない思いで祭壇を見つめていた。


 ふたつ並べられた小箱の片方に、ちらちらと粉雪が舞い落ちている。蓋の開けられた小箱の中から何か光る物が顔を出したかと思うと、それはぐんぐんと伸びて、見事な大輪の花を咲かせた。透き通る氷でできた、女神ネージュにしか作れない花だ。


「……っ!」


 思わず、私もイザベラも立ち上がる。見間違えようがない。氷の花が咲いた、あの小箱は――。

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