第6話 初恋の終わり
パーセル邸に招かれた私たちは、セオさまの提案どおり、海の見える広間で早めの夕食をとった。エルティア自慢の海産物をふんだんにつかった料理は、彩りも味もすばらしい。王都ではなかなか味わえない料理ばかりだった。
……その土地ならではの料理を食べるのも、旅の醍醐味のひとつよね。
オーレリアさまとセオさまのお話を聞けるのも、楽しかった。ふたりといて、退屈することはまずないだろう。ふたりとも、私の知らない世界の話をたくさん知っている。彼らの話はどれも色鮮やかで未来への希望に満ちていた。
……おふたりと一緒にいると、私もずいぶん前向きな人間になれそう。
そう感じているというのに、セオさまとは結婚できないと思うのだから、心はままならない。誰にも気づかれないように小さく息をついて、開け放たれた窓の外を眺めた。すっかり暗くなってしまって海は見えないが、波の音は聞こえてくる。
「帰る前に、すこし外の空気に当たらないか? 俺とエマ、オーレリアとアシェルでそれぞれ話そう」
「いいわね! アシェル、この屋敷の最上階から見る街並みがとっても綺麗なの。一緒に見に行きましょう!」
オーレリアさまは早速お兄さまの腕をとって、案内を始めた。お兄さまも特に抵抗することなく彼女についていく。ふたりの動きを気にしているのは、私だけのようだった。
「……エマ、こっちに薔薇が咲いているんだ。夜だからよく見えないかもしれないが……」
「まあ、見てみたいです」
セオさまに連れられて向かった先は、食事をした広間からほど近い中庭だった。ランタンに照らされているおかげで、薔薇のアーチや生垣がぼんやりと見える。潮風に、薔薇の甘い香りが溶け込んでいた。
「すてき……まるで物語の世界に来たみたい」
王都では、絶対に嗅ぐことのできない匂いだ。胸いっぱいに吸い込んで、ゆっくりと息を吐く。同時に、肩の力もすこし抜けたような気がした。
「その服、やっぱりエマに似合っている。綺麗だ」
私から一歩引いた場所で、セオさまは私の姿をあらためて眺めていた。セオさまが用意してくださったドレスは、藤色を基調とした華やかなドレスで、腰の辺りには大振りのリボンが花をかたどるような形で結ばれている。芸術的とも言えるような衣装だった。
「ありがとうございます。さすがはエルティアの衣装ですね。品格を保ちながらも斬新で……とても気に入りました」
「それならよかった」
ふと、セオさまの笑みが小さくなる。ランタンに照らされた彼の横顔は、何かを迷っているようにも見えた。
「……エマ、言いたいことがあるなら遠慮なく言ってほしい。今日はずっと、何かを秘めているように見えた」
セオさまの指摘に、はっとする。まさか、彼から切り出されるなんて。それほどに、私はわかりやすかっただろうか。
「……ええ、セオさまにお話ししたいことがあります」
言えば、彼は傷つくだろうか。この期に及んでも迷いが生じるが、ここで言わないわけにはいかない。
薔薇のアーチの下で、セオさまとまっすぐに向き合う。彼の白金の髪が、ランタンの橙色の光に赤く染まっていた。
呼吸を整えてから、意を決して、ずっと考えていた言葉を口にする。
「――セオさま、私……セオさまとは結婚できません。セオさまのお人柄は好きですし、一緒にいると楽しいことばかりですが……どうしても、私の心はある方に囚われているのです」
ざあ、と夜風が吹いて、薔薇の花びらを数枚散らした。赤や黄色の花びらが一瞬灯りに晒されては、すぐに影に飲み込まれていく。
「……それは、アシェルのことか?」
的確な指摘に、視線を伏せて頷いた。大きな溜息が返ってくる。
「そうか、うん……。なんとなく、わかっていた」
セオさまは苦笑いを浮かべていたが、傷ついたように藤色の瞳が揺れていた。私の言葉でそんな反応を引き出してしまったのかと思うと、どうしようもなく胸が痛む。
けれど、きっと謝るのも違うだろう。ふさわしい言葉が見つからないまま、沈黙に耐える。
「あいつは、一筋縄ではいかないぞ。オーレリアとの縁談の話もあがっているし……」
「ええ……たぶん、お兄さまは私のことを女性としては意識していないと思います。オーレリアさまがいらっしゃる以上、お兄さまが私を見てくれることは一生ないかもしれない。それをわかっていてもなお……お兄さまが好きなのです」
そう簡単に、捨てられる恋心ではない。私を好いてくれているセオさまにこの想いを打ち明けることは残酷かもしれないが、彼が真摯に向き合ってくれたからこそ、誤魔化さずに伝えたかった。
「……いいな、エマにこんなに好かれて。アシェルが羨ましい」
セオさまは長い息をつきながら、儚げに笑った。いつでも強気に見えた彼も、こんな弱々しい一面があるのだ。それほどまでに、私のことを真剣に考えてくれていたのだろうか。
「出会うなり求婚したふざけたやつだと思ったかもしれないが……俺なりに、ちゃんと初恋だった」
藤色の瞳が、焦がれるように私に向けられていた。異性にそんなふうに見つめられたことは初めてだ。
「はい……セオさまに想いをいただけたこと、忘れません」
言葉もなく、互いに微笑みあった。同じ想いは返せずとも、心は通いあっている気がする。
「花びらがついてる」
ふと、セオさまの手が私の頭に伸びる。アーチの下にいたから薔薇の花びらがついてしまったようだ。
「ありがとうございます」
彼は花びらごと私の髪を一房手に取ると、まつ毛を伏せてそこにくちづけた。そうして、私に求婚したときのように挑戦的に笑う。
「……君がアシェルに振られたら、もういちど求婚しに行こうかな」
「まあ……セオさまったら」
場の空気を軽くするために、あえて冗談めかして言ってくれたのだろう。セオさまには気遣われてばかりだ。
「ここまで来たからには、アシェルと女神ネージュの泉を見に行くんだろう? 静かで美しい場所だから、想いを打ち明けるにはちょうどいいんじゃないか」
「ふふ、ありがとうございます。覚えておきますね」
私がお兄さまに告白する場所まで考えてくれるなんて、セオさまはどこまでもお人好しだ。本当に、すてきなひとだと思う。
……忘れないわ、セオさまのようなひとが、私を好きになってくれたこと。
言葉もなく、セオさまとともに遠くの海を眺める。いつの間にか露わになった月が、水面に銀色の道を一筋描いていた。
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