第3話 雪解けの祝祭

 祝祭は、賑やかな音楽と本物の花を使った花吹雪とともに開幕した。街の中心の広間には、焼き菓子や果実酒を売る屋台が所狭しと並んでいる。石畳でできた広間の中心では、早速若者たちが手を取り合って踊っていた。この間、お兄さまに教えてもらったあの踊りだ。


「なんて活気があるんでしょう。すてきなお祭りですね、お兄さま」


「長い冬が終わったことを祝うお祭りだからね。……今年は雪のせいで命を落とした住民はいなかったんだよ。本当によかった」


「あ……」


 ここは、旧ラーク子爵領。お兄さまのご両親やご親族が雪崩で命を落とした場所だ。つらい過去をお持ちであるだけに、住民たちの無事が殊更にめでたく思えるのだろう。


 かける言葉に迷っていると、お兄さまがぱっと顔を輝かせて私の手を引いた。


「エマ、花の形のクッキーがある。君は甘いものが好きだろう? 食べてみよう」

 

 お兄さまに導かれるがまま、屋台のひとつに近づく。ふわり、と甘く香ばしい香りが漂ってきた。お兄さまはクッキーの詰まった袋をひとつ購入すると、早速袋の口を開けてクッキーを取り出す。


「細やかで綺麗です。食べるのが勿体ないくらい」


 花びらのひとつひとつまで丁寧に作り込まれているそれは、職人技の光る繊細な代物だった。王都で店でも出せば大流行しそうだ。


「まだ温かいよ。ほら、口を開けてごらん」


 口もとにクッキーを差し出され、おずおずとかじりつく。お兄さまから直接食べさせてもらうのはなんだか気恥ずかしい。


 だが、口の中に優しい甘さが広がった瞬間、そんなことは気にならなくなった。軽く噛むだけでほろほろと崩れていくような食感と、その後に鼻に抜ける紅茶の香りがなんとも素晴らしい。これは絶品だ。


「おいしい! おいしいですわ、お兄さまも召し上がってみてください」


 ひと口ぶんを飲み込んだあとに、お兄さまにも勧める。お兄さまが甘いものを好んで食べているところは見たことがないが、これだけおいしければお口に合うはずだ。


 だが勧めたときには、お兄さまは私が先ほど齧り付いたクッキーを口の中に放り込んでいるところだった。まさか食べかけを奪われるとは思っておらず、目を丸くしてしまう。


 ……た、食べかけを食べるなんて、そんなの、間接的にくちづけをしているようなもので……!


 頭の中が沸騰するようにぐるぐるとしたが、当の本人はいつも通り爽やかな微笑みを浮かべている。


「本当だ。紅茶の香りがしておいしいね。気に入ったなら、あとで屋敷に何袋か届けてもらおうか」


 ……気にしている私が馬鹿みたいに思えてきたわ。


 ひょっとして、お兄さまが無自覚なのではなく私が意識しすぎなのだろうか。もやもやとした気持ちを誤魔化すように、今度は自分の手でクッキーを一枚口に運んだ。お兄さまは「よほど気に入ったんだね」とにこにこしている。


 その瞬間、どん、どん、と何回か破裂音が響いた。どうやら、祝砲を打ち上げているようだ。祝祭が本格的に始まる合図に、広間の人々が色めきたった。


 祝砲を待っていたかのように、広間に設置されたランタンに次々と明かりが灯っていく。色ガラスを使っているのか、橙、赤、緑、青、黄色と色鮮やかな光があちこちに浮かび上がった。


「きれい……」


 広間を橙色に染めていた夕日はすっかり見えなくなり、青紫の空に星が瞬いていた。高い建物から花びらを落としているのか、絶えず広間には花吹雪が舞っている。この世のものとは思えないような絶景だった。


「この景色を、ずっとエマに見せたかった。……一緒に見られて、幸せだよ、エマ」


 彼はそっと私の腰に手を伸ばしたかと思うと、寄り添うように距離を縮めた。私も彼の肩にもたれかかるようにして、美しい景色を目に焼き付ける。


「私も、幸せです。……ずっとこうしていたいくらい」


「エマの気が済むまでこうしていよう。欲深い僕に合わせると、君をいつまでも引き止めてしまいそうだから」


「お兄さまが欲深いと思ったことはありませんけれど」


「……君にまつわることでは、僕は恐ろしいほど欲深いよ」


 ふ、と彼は自嘲気味に微笑んだ。珍しい表情だ。いつでも優しい彼が不意に見せる翳りは、とても鮮烈で見過ごせるものではない。


 何を、聞いてみようか。星と花びらを眺めながら逡巡していると、ふいに、広間に叫び声が轟いた。


「だ、だれか……! 助けてくれ! さっきの祝砲のひとつが暴発して、怪我人が出た!」


 幻想的な雰囲気から一変、広間に緊張感が走る。


「暴発……? 怪我人ってどのくらいの……?」


「大変! 礼拝堂へ行って、助けを呼ばないと!」


「うちのひとは!? 大丈夫なの!?」


 漣のように不安が伝達する。広間は瞬く間に混乱に陥った。助けを求める声に応じて、何名かの住人は反射的に駆け出している。


 お兄さまは私の肩に手を置くと、真剣な眼差しで言い聞かせた。


「エマ、僕は状況を確認してくる。君はリリアとともに屋敷に戻っていなさい」


 遠目から私たちを見守っていたリリアと護衛たちが、いつの間にかお兄さまの意図を汲んだようにそばに控えていた。だが、私だけのうのうと帰ってなどいられない。


「お兄さま、私も行きます。怪我人がいるのなら、私の『ルナの祈り』が……治癒の力が役に立つはずですわ」


「エマ、立派な志だが危ないからだめだ。君は屋敷にいてくれ」


 思ったよりもお兄さまは頑固だ。現場には向かわせてくれないだろう。


「わかりました……では、街の礼拝堂に怪我人を運んでください。礼拝堂でなら『ルナの祈り』が効率的に使えますから」


「エマ……君はもう聖女候補じゃないのに」


「聖女候補ではなくなっても『ルナの祈り』に恵まれている事実は変わりませんわ。困っている人を助けない理由にはならない。……行ってください、お兄さま。どうかお気をつけて。礼拝堂で落ち合いましょう」


 肩を掴むお兄さまの手を引き剥がし、両手で包み込む。彼は納得してないような表情だったが、妥協はしてくれたようだ。


「……くれぐれも無理はしないでほしい」


「お兄さまも」


 ぎゅう、とお兄さまの手を握りしめ、そっと離した。そばに控えたリリアに目配せをし、早速礼拝堂へ向かって歩き出す。お兄さまも、街の男性たちとともに現場へ向かうようだ。


「リリア、あなたは屋敷に戻って聖典と私の書きつけを持ってきてちょうだい」


「はい、お嬢さま。直ちに」


 リリアは慎ましく受け応えると、足早に屋敷に向かって駆け出した。


 背後には、私の護衛として従者が何人か残っている。


「礼拝堂へ先触れを出して、今から怪我人が運ばれてくると知らせてほしいの。元聖女候補のエマ・エル・アスターもお手伝いに参ります、と伝えてちょうだい」


「はっ」


 従者のひとりが、礼拝堂へ駆け出した。今のやりとりを聞いていたのか、周囲の人々がちらちらとこちらを見ていた。


 ……『ルナの祈り』を使うのは久しぶりだけれど、できることはすべてしなくちゃ。


「……行きましょう」


 ぎゅう、と指先を握り込む。この手に先ほどまでお兄さまが触れていたと思えば、不思議と力がみなぎるような気がした。

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