ウツツノユメ

鈴音

 読者諸兄よ、夢は見るか?


 きらきらと天上を見るような夢、ぐっすり眠って見るような夢、はたまた素敵なお姉様に見せてもらうような夢。世の中には、素敵な夢がたっぷりとある。


 しかし、悲しいかな、全てが全て良い夢では無いのだ。夢はいつか潰えるし、覚めてしまう。それに、良き夢と思っていたものが酷い悪夢で心の臓がずきずきと傷んでしまうなんてこともあるのだ。


 はてもさてもまぁまぁまぁ、すべからく夢は煩雑としてわやわやとしている。そんな夢が現実になってしまったらどうなるのか?私が体験した、夢のような、現実で起きた、夢の話をしよう。


 私は昔から不思議な夢ばかり見る。よく言う予知夢や、現実か虚実かわからぬ夢や。親しいものはそれはデジャヴだ、寝てる時に見ているのなら間違いなく虚実だ。なんてのたまうが、とんでもない。あれは、真に現実たる夢である。


 ことに気づいたのは、1匹の猫との出会いだ。その猫は、なんとも不思議なことに「こけこっこぉ」などと鳴き、地面を泳ぐように半身をアスファルトに沈めていた。わぁ、なんて可愛らしい猫様だ。撫でてやろう!なんて近づいてよく見ればこれなのだから、当然腰を抜かして尻もちをついた。


 だが、不思議なことに私の体は沈まない。こけこけ鳴きながら猫は近づいて、目を細めて撫でられるのを待つもんだから、そっと手を添えると、ずぶずぶと猫はアスファルトに潜っていき、結局消えてしまった。


 なるほど、これは夢か!と無理に納得しようとしたが、痛みはあるし、よく見れば私は制服姿で、腕時計の文字盤は既に8時20分を示していた。


 これはいけないと軋む足を引き摺って学校に駆け込んだ。


 そこには、いつもの日常があったのだ。当たり前のように友達がいて、担任がやってきた。が、その担任もまた様子がおかしい。でっぷり肥えた中年のハゲ教師は、いつものように汗をかきかきふぅふぅいいながら…ではなく、すらっと引き締まって細長く、僅かも薄くなっていない髪をかきあげ、爽やかに挨拶をしてきたのだ。


 おや、奴はとうとうセクハラか冤罪かで捕まったか?なんて考えたが、周りの生徒の反応は至って普段通り。よく見ればあのハゲの面影が3ミリくらい残っているし、見た目に合わないシャキシャキした喋り方は変わらず耳によく馴染んだ。


 おかしい、これは何かがおかしい。これは現実で、フィクションではない。昔読んだ作品で、現実が夢に犯されるなんてものは見た事があるが、残念ながらこの現実はそれほどSFじみた技術は無い。


 そもそも、これが本当に夢なら全てがおかしくなっているはずだ。どういうことなのだ?…あれ?そういえば、私は大学生ではなかったか?どうして忌々しくも懐かしい高校に、しかも後に本当に捕まったはずの担任がいるのだ?


 妙に現実臭いだけで本当に夢なのか?


 そんなことを悶々と考えていると、どうやら一日に鳴り響くチャイムの限界がやってきたようで、部活動に所属していない私は恐ろしき学校校舎から吐き出されることとなった。


 帰り道は、朝よりも酷かった。可愛らしい柴犬も、何故か放牧されている牛も、病院に連行されている兎も、みんな等しく鳥の鳴き声で鳴くのだ。だのに雀や烏は変わらずちゅんちゅんかぁかぁ鳴くものだからいつからここは鳥籠になったのだと嘆くばかりであった。


 それと、街中にいる人間がとても心臓に悪い。よくあるレトロなゲームのバグのように虹色に輝いたり、体が上下で分裂していたり、突然ふわぁーっと飛び上がったかと思えば高速で地面にずががががとめり込んだり。


 しかもそれまでは平然と歩いて、さも普通の人間であるぞと言わんばかりなのに、突然そうなるのだから、驚いて何度悲鳴をあげたことか。日頃よりあまりよろしくないご近所評がより下がってしまう。


 色味のおかしくなった木とか、身の丈より大きなアリがコンクリートをクッキーのようにさくさく食べ始めたりと、もうつっこむところがありすぎて疲労困憊になりながら、何とか安寧の地たる我が家に帰ってきた。


 が、残念なことに我が家のペットの猫もこっこぅと愉快に鳴いていた。幸い、この少し阿呆な猫は床に沈まずとてとてと可愛らしい足音で私に擦り寄ってきた。


 ようやく猫の温かみを感じることが出来て、ほっと一息つけた。その後にわかったが、この家の中で変になったのはこの猫だけのようだ。


 ご飯を食べて、風呂に入って、もう寝てしまおうと布団に潜り込む。体は元気でも、心は非常に疲れていたので私は数分もせず夢の世界に潜っていった。夢の中なのに、眠っているような不思議な感覚であった。


 …先程、夢の中なのに。と言ったが、どうやらこれは覚めない悪夢ではなく、いと素晴らしき現のようだった。


 いつものように阿呆な猫が、ぺちぺちと顔を叩いて起こしてくれた。いつもと違うのは、にぃにぃと可愛らしい鳴き声ではなく、けたたましい雄鶏の鳴き声であったことだ。


 私は残念な思いで、随分軽くなった体を持ち上げた。いつもより、かなり早い時間に目が覚めたようだ。


 呑気に何度も欠伸をしながらリビングに向かうと、まだ朝食の時間では無いため、テーブルには何も無かった。


 親が起きてくるのは、まだもう少し先の時間、猫も先程から腹が減った飯よこせとやかましいので、戸棚から餌を出し、人間も餌を食おうとパンを焼いてジャムを塗って食べた。


 ジャムの中に、何やら蠢く目のようなものが見えたが、きっといちごの種だろう。


 そうしていつもよりうるさい朝食を終え、せっかくだからと早めに家を出て付近を散策しながら学校に向かうことにした。


 家から高校までは、ほぼ一本道。その道中に橋があり、長いサイクリングロードが通学路を横断している。


 そのサイクリングロードを、適当にふらふら歩きながら河川敷に面白いものでも落ちてないかと見て回った。あったのはいつも通りエロ本とよくわからんがらくたと、ゲーミングきのこと逆立ちをしながら奇声を上げて爆走するおばあちゃんだけであった。


 結局まだまだ夢の中か…肩を落としながら、通学路に戻ると、きゃっきゃと楽しそうにコスメだのファッションだのの話をするギャルがいた。2人のギャルは、西洋甲冑と具足をがちゃがちゃ言わせながら、時折険悪そうに剣を抜き、睨み合っていた。


 こんな異様な風景にも、馴染みそうになっている自分がいることに、ここで気づいた。なんてことだ、こんな狂った日常が続いてたまるか!


 私は2人のギャルから離れると、急いで学校に向かった。しかし、街はいつもと変わらず非日常であった。


 哺乳類が鳥のように鳴き、人々はバグり、あらゆるものが崩壊しているのに、気づけば直っている。


 どれだけ走っても、頭を振っても、この現実は変わらない。


 もう、いい加減にして欲しい!気が狂いそうだ!私は叫びながら走った。学校までひたすら走り、勢いよく扉を開け、中に転がり込んだ。


 しかし、どれほど私の気が狂おうが、この街の日常は変わらない。


 あぁ、もう嫌だ。早く目覚めてくれ。


 たったの2日で気が狂い、何度助けを乞うても目が覚めず、うわ言のように嫌だ嫌だと言い続けて、3ヶ月が経ってしまった。


 何よりも嫌なのは、日常は変わらず、訳の分からないものは平然といて、しかし増えることなくただそこにあり続けた。


 あぁ、もう散々だ!何度爪を剥がし、髪を掻きむしったかもわからない。自殺を試みては失敗し、強い痛みの為にと傷をつけても瞬きの間に治る。その癖痛みだけはじくじくと残り続けるのだから睡眠は浅くなった。


 何を食べても気持ちが悪い。すっかり空っぽになったはずの胃袋からは、無限に吐瀉物が溢れてくる。


 もはやこれまでと、部屋から出ることすら拒んで、布団の彼氏と成り果てた。髭も髪もどんどん伸び、汗をかいても糞尿を垂れ流しても体は健康そのもの。汚物に埋め尽くされた部屋で、私はとうとう意識が飛んだ。


 …真っ暗な世界をかき分けるように進み、微かな光が見えた。その光を目掛けてぐっと手を伸ばし、掴んだその時。目が、覚めた。


 体を持ち上げると、部屋はすっかり綺麗になっていた。肉体は健全な大学生のそれ。とうとう、帰ってきたのだ。あの狂った夢の世界から!


 安堵のため息をつくのもつかの間、アラームが鳴り響く。もう、起きて準備をしないといけない。今日は1講からあるのだ。着替えて部屋を出ようとした時、我が名の猫がするりと部屋に入ってきた。


 そっと抱き上げて、じっと見つめあう。久しぶりに、こいつの可愛らしい鳴き声が聞ける!私は、喜んで猫の頭を撫でた。そして、猫もまた嬉しそうに一鳴きした。


「こけこっこぉ」

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