第6話 青柳有美とある夜の日

「今晩付き合えよ」

昔からの知人である榊からの電話を取った向こうの開口一番がそれだった。

「いつもの場所で待ってる」

返事をする前に電話は切れ、青柳有美は深い溜息を吐いた。


指定されたのは榊と会う時にいつも来ているバーだ。

店に入ると榊はすでにカウンターでグラスを傾けており、ドアの開閉で鳴るベルの音に反応してこちらを振り返る。

有美に気付くとひらりと手を振った。

自分が女ならお持ち帰りされてしまいそうなくらい様になっているな、などと考えながら有美は榊の隣の席に腰を掛けた。

「よお、先生」

低く艶のある声がお決まりの言葉を紡いだ。相変わらず過ぎてつい笑ってしまう。

「そっちこそ久しぶりだな、先生」

「相変わらずだな」

「忙しいだろうにこんな所で油売ってていいのか?」

慣れ親しんだ皮肉めいた言葉に相槌を打ちながら「いつもの」とバーテンダーに酒を頼む。

カウンター内の彼は品の良い笑みを浮かべ、空のグラスを手に取ると慣れた手つきでシェーカーを振り出した。

「店は軌道に乗ったようだな」

「お陰様で」

タバコを咥えると榊が火を灯したジッポライター差し出してくる。

躊躇いなく顔を寄せタバコに火を付けると息を吸った。

「あんたのおかげで客は途切れないよ」

そこでコースターに乗せられたグラスが音も無く差し出され、有美はそれを手に取った。

榊のグラスに自分の持つグラスをカチリと押し当て、一口煽る。

「うん、相変わらず美味いね」

「ありがとうございます」

品の良いバーテンダーは愛嬌のある笑みを浮かべた。

有美がグラスをコースターに置くと大きな氷がカラリと音を立てて動いた。

「で?」

「で、とは?」

「何かあるから呼び出したんだろ」

俺を、と有美は呟いた。

棚に並べられている沢山の酒瓶を眺めながらまたタバコに口をつける。久々の呼び出しなのだ、何も無いはずがない。

「穂紬を通さない依頼がしたい」

「だろうな。で、内容は?」

「俺の知り合いの娘に夢を見せてやって欲しい」

「・・・・・・・何、訳あり?」

極々普通の内容に拍子抜けし、有美は思わず榊に視線をやった。榊は遠くを見るように前を向いたままこちらを見ない。

「治らない病気でな、最期に楽しい気分を味あわせてやりたい」

「個別だと割高になる。それなら店を通した方が」

「金はいくらかかってもいい、穂紬を通したくないと言っただろう。それにお前も稼ぎたいだろ?」

有無を言わせない口調に有美は数度目を瞬かせた。

つまり、踏み込まず言われた通りのことだけをやれと、榊はそう言っているのだ。

この男にとって自分は便利な道具でしかない。分かってはいたが、虚しさに襲われ有美は歯をくいしばる。グラスに視線を移しカラカラと氷の音を立ててから、有美は酒を一気に煽った。

「分かった」

タン、と小気味好くグラスを置き立ち上がる。

「おい?」

「要件はそれだけだろ。帰るわ」

「ちょっと待てよ」

一歩を踏み出した時、手首を強く掴まれた。

「なに」

億劫に顔だけ振り返ると榊は苦笑いを浮かべていた。

「座れよ」

「話は終わったんだろ、詳しいことはまた連絡・・」

「いいから座れ」

まるで子供をたしなめるような物言いに有美は小さく舌打ちすると、無言のまま立ち上がったばかりの椅子に腰を下ろす。

「・・何だよ」

「お前から見て穂紬の様子はどうだ?」

それが本題か。

有美はちらりと榊に視線を投げる。榊はこちらを見ない。

思考を巡らせてから有美は微かなため息を吐いた。

「・・・・本人に聞けよ」

「あいつはだんまりだからな、俺には何も言わないんだよ」

「そうか、俺にもだよ」

有美は再びタバコを取り出した。また榊がジッポを差し出そうとするがそれを制し自分のライターで火を付ける。

煙を吐き出すと呟くように言った。

「ただ、店とは別に妙な仕事はしてる」

「妙な?」

「多分能力を使ってる。相手は刑事だ」

「刑事・・」

有美はバーテンダーに目配せし、人差し指を立てた。心得たように彼は頷くと再びシェーカーを優雅に振り出す。

そしてさっきと同じように静かにコースターに乗せたグラスを差し出してくる。

「金がいるからな・・・あいつは」

「今の仕事では足りないのか」

「さあね、俺はノータッチなんだ。全部あいつが抱えてる、罪も罰も」

俺も同罪なのにな、と有美は一人呟く。

グラスを煽ると芳醇な酒の香りが鼻腔を抜けていく。滑らかな舌触りを堪能しながら持っているグラスを軽く揺すった。

「何であいつはああなんだろうな、誰かに助けを求めたっていいだろうに」

「有美」

「精神力と忍耐力が強すぎるのも問題有りだ。俺と同じ細胞を持った人間のはずなのに・・・誰よりも遠い所に居るよ」

自分なら助けを求めるだろう。

あまりの苦しさにきっと息すら出来ないと思う。それなのに穂紬は一片の苦しみすらこちらに見せない。

この件に関して、当事者であって当事者でないのが自分なのだ。


罪を背負うことすらさせてもらえない無力に、何度歯噛みしただろう。


「有美」

「だからと言ってそれを放棄するつもりはない。俺の罪は俺の罪だ。どれだけあいつが抱え込もうとしたって放してやるつもりはさらさらないさ」

有美は持っていたグラスをまた揺すった。

氷がカラカラと涼やかな音を立てるのを聴きながら、目を伏せる。

そう、放してやる気など毛頭ないのだ。

穂紬一人が苦しむなんて許さない。

まるで世界中の全ての罪と罰を抱えようとでもしているのか、自分の片割れは不器用で融通がきかないにも程がある。

そして最近はその酷さに拍車がかかってきているに間違いないから。

「そうか」

榊が小さく呟く。

有美は唇の端で僅かに笑ってみせた。

誰かが止めてやらなければならない。

そしてそれは、自分でなくてはならないのだ。

この位置を誰にも譲りはしない、決して。


「面白いな、お前達は」

「面白い?何がだよ」

「全く違う」

双子なのにな、と榊は笑った。

笑いながらグラスに残っていた酒を一気に煽ると椅子から立ち上がり「また連絡する」と言うとそのまま店から出て行ってしまった。

いつもながらの唐突さに有美は榊の消えた扉を数秒見つめ、それから苦笑した。

前に向き直ると同じく苦笑を浮かべたバーテンダーと目が合う。

「・・弟分は大変だよ」

と言ってみた。するとバーテンダーは、

「全くですね」

と伏せ目がちに笑った。


店を出ると有美は空を見上げた。

たとえ今は解決の糸口すら見えなくとも、いつか必ず終わらせてみせる。

「何せ諦めの悪さだけは折り紙つきだからな」

いつまでも続けさせはしない。

全ては必ず終わりを迎えるのだ。

足掻いてやろう、誰もそうしないのならせめて自分だけは。


そして有美は空を見上げた。

星空は、美しかった。

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