第5話 女優の夢
コンコン、とドアをノックする音がする。
続けて開かれたドアの向こうには一人の女性が佇んでいた。
「これは五十嵐様いらっしゃいませ。いつもご利用ありがとうございます」
「ええ。久しぶりね有美」
青柳有美は椅子から立ち上がると流れるような動作たで五十嵐と呼んだ人物の所へと歩いた。
そして傍に立つと恭しく手を差し出す。
やってきた女性は当然のようにその手を取ると、微笑んだ。
「いつもありがとう」
「いえ、それはこちらの言葉。そして・・・」
有美は女性の手の甲に触れるだけのキスをした。
「本日もお美しい」
五十嵐ルリ。
芸能界でもトップクラスの女優である。
そんな人物が何故この店にやって来るのか?
もちろん、夢を見るためにだ。
「本日はいかが致しましょうか」
「そうね、お任せにして頂けるかしら?」
「かしこまりました」
今日の大女優様ははご機嫌斜め、と。
こりゃ血の海だな、有美は内心苦笑をしたのだった。
だがそんな内心はおくびに出さず、有美は五十嵐ルリの手を引いて、施術の部屋は足を踏み入れた。
「では少々お待ちください」
五十嵐ルリを椅子に座らせ、自身は奥のクローゼットに入った。
いつもの白衣に着替え、香油で髪をなで付ける。そしてメントールのきついタブレットを二粒口に放り込んだ。
ガリッと音を立てて噛み砕き、水を飲んでからクローゼットを出る。
目の前に五十嵐ルリが立っていた。
「いかがなさいましたか?」
「ねえ・・・有美」
細く白い腕が有美の首に絡められ、五十嵐ルリの顔が有美の顔に寄せられる。
後もう五センチ近づけば互いの唇が触れ合うだろう。それほどの距離で女優が科白を発した。
「一つだけ条件があるの」
「何でしょうか?」
「新十郎を出してくれる?」
なるほど。
有美は目を細め、唇に薄い笑みを貼り付けた。
「御心のままに」
そう答えると有美は五十嵐ルリの細い腰に腕を回した。それを合図に二人の距離が縮まっていく。
唇と唇が触れ合い、徐々に深く重ねられていく。
それはあまりにも艶かしくあった。
唇が離された時、五十嵐ルリの頬は僅かに紅潮していた。
「旦那様に申し訳が立ちませんね」
「あら、お互い納得の上なら何の問題もないじゃないの?」
そして二人は離れた。
五十嵐ルリは自らベットに横たわり、妖艶な笑みを浮かべる。
「キスはしてくれるのに抱いてはくれないのね。そんなに魅力がないのかしら」
「お客様に手を出すわけには参りませんからね」
「あら。キスはしておいて?」
「あなたとのキスは親愛なる挨拶だと認識しておりますよ」
五十嵐ルリの傍に立つと有美は彼女の両目を手の平で覆った。
「それでは五十嵐様、どうぞ良い夢を」
間も無く、五十嵐ルリが寝息をたて始める。
それを確認してから有美は盛大にため息を吐いた。
「旦那と喧嘩でもしたのかね」
五十嵐新十郎はルリの正真正銘の夫である。
夢に彼を出せと言ったのは、彼に対して発散させたいものがあるという事だ。
ちなみに、五十嵐ルリの言うお任せ夢コースとはイコール人殺しの夢でもある。
夫をどう使うのか。
殺すのか、共に殺すのか。
不可侵を確約しているので確認は出来ないが夢の中で何が行われているのか想像するだけで恐ろしい。
「女って、怖ぇ〜」
美しい寝顔を晒しているルリの表情は薄っすらと微笑んでいるようだった。
翌年。
五十嵐ルリ待望の新作映画はこれまでの路線とは大幅に逸れた役所だった。
「この映画、見にいったんだ。五十嵐ルリの迫力凄かったよ」
事務所のテレビが映画の大ヒットをニュースで流しているのを見た所長殿が呑気な様子で言った。
五十嵐ルリの役所、それは殺人鬼だ。
批評家たちもまるで本当に人を殺した事があるかのようだ、と戦々恐々としながらも褒め称えていた。
「やっぱあん時は旦那を殺したのかね」
いったいどんな殺し方をしたのやら。
有美は持っていた缶コーヒーのプルトップを開け、一気に飲み干した。
真実を知るのは五十嵐ルリ本人のみである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます