第4話 お姉ちゃんができた日【後編】

「うるせーんだよ!馬鹿姉!」

亮太は叫んだ。

「馬鹿とはなによ馬鹿とは!あんた弟のくせに生意気なのよ!」

弥生が掴んでいた亮太の手を更に強く掴み自分の方へ引き寄せようとする。

「そんな所に下りて、落ちたら死んじゃうじない!」

「男には行かないといけない時があるんだよ!」

そして弥生の手を振り払った。

「っ、バカ!」

弥生は慌てた。何故ならそこは断崖絶壁の極めて足元が不安定な所だったからだ。

やんちゃで命知らずな亮太は「男は冒険に生きるんだ!」と周りの心配をよそに平気で危なっかしい事ばかりする。

それを弥生はいつも止めていた。

今日だってこんな崖の上に登り、そこを下りていこうとしている。どうやら何かがそこにあるらしいのだがそんな事はさせられない。落ちてしまったら本当に命の危険がある。

弥生は焦っていた。どうしたら弟がやめてくれるのかわからない。

弥生は泣きそうだった。しかしそれをおくびにも出さず、怖い顔をして亮太を引き止めていた。

「いいから!こっちに来なさいって!」

渾身の力を込めて弥生は亮太の手を引いた。

「あっ」

抵抗するタイミングがずれたのか、再度引っ張った弥生の力に負け亮太は崖の上に弥生とともにドサリと倒れ込む。

「いってー」

「・・・いってーじゃない!なんであんたはそうなの!お母さんも凄く心配してるのに!」

弥生の叱責に亮太は起き上がりながら、むくれた顔をしながら地面を見ていた。

「・・・ねーちゃん、ホントうざい」

立ち上がり服の埃を手で払うと弥生を省みず、亮太は山の方へと歩き出して行ってしまった。

弥生はムッとしながらもその後を追いかけた。


追いついても亮太は一言も話さなかった。弥生もモヤモヤした気持ちのまま家路についた。


家に着くと夕食の支度をしていた母が2人の様子を見て苦笑をする。「また喧嘩したの?」と料理する手を休めず、独り言のように言っていた。

それでも弥生はリビングのソファの上でクッションを抱え黙り込んでいる。

亮太は無視を決め込んでいるのかゲームの画面から顔を上げようともしない。

「弥生、お手伝いしてちょうだい」

「・・私、昨日やったよ。今日は亮太がやればいいじゃん」

弥生は持っていたクッションをソファに叩きつけるとリビングを出て行った。

母は弥生の背を見送ると小さくため息を吐き「亮太」と息子に声をかけた。

亮太はブスッとした顔のままゲームをしていた手を止め母の傍へと近づいた。

「じゃあこれお願いね」

「・・・・」

「今日は何があったの」

「・・・かーちゃん」

「なあに?」

「俺、ねーちゃんいらない」

「あらあら、穏やかじゃあないわね」

「だって」

「だって?」

亮太はグッと手を握り込んだ。

「俺の邪魔ばっかりする」

やりたい事が山程あるのに邪魔をするのはいつも姉だ。

姉がいなければもっと自由に行動出来る。


姉さえ、ねーちゃんさえいなかったら。

もっと俺は自由なのに。


亮太はフライパンの中の肉を炒めながら声に悔しさを滲ませた。

そんな亮太の頭を優しく撫で、母は言った。

「お姉ちゃんはね、あなたの事がとても大切なのよ。それは分かってあげてね」

「・・・そんなの、信じられねえよ」

自分の事が嫌いだからあれだけ邪魔をしてくるのだ。そうとしか亮太には思えなかった。

「二人姉弟なんだから仲良くしなくちゃ、ね。はい、炒めてくれてありがとう」

母は亮太からフライパンを受け取ると仕上げにかかる。亮太はリビングに戻るとさっきまで弥生が居たソファに座りクッションを抱き込んだ。

「姉ちゃんなんか大嫌いだ」

クッションに顔を埋め、亮太は独りごちた。

その晩、父が帰宅すると何故かケーキを人数分買ってきていた。近所のケーキ屋で、姉が大好きなのだ。

多分母が父に連絡を入れたのだろう。

ケーキを見た途端、姉の機嫌は簡単に治ってしまった。

ご機嫌な姉を横目に、亮太は終始難しい顔をしてケーキを食べきると「ごちそうさま」と早々に自室に籠もった。

みんなして姉の機嫌ばかり取って面白くない、俺にはそんな事をしてくれたことなんてないのに。

ベッドで布団に包まりきつく目を閉じた亮太の目には僅かに涙が滲んでいた。


小学校の終業式を終え、午前中で学校が終わり亮太は帰途に着いていた。

すぐ後ろを弥生が当たり前のように歩いている。それが見張られているように感じられ、亮太は不機嫌を隠さず無言で歩道を歩いていた。

丁度その時、交差点に差し掛かり信号が点滅を始める。

姉を振り切りたい、ただその思いだけでとっさに亮太は走り出した。

「ちょっ・・、亮太!」

走り出す亮太の背に慌てた姉の声が届いたが亮太は構わずそのまま駆け抜けようとした。

「亮太!危ない!」

腕を掴まれて強く引っ張られ、亮太の体は後ろに傾いだ。

もつれるように二人は歩道に倒れ込む。直後、亮太が渡ろうとした横断歩道を車が走り去っていく。

「亮太・・・」

姉の声に亮太の感情が爆発した。

「邪魔すんなよ!ねーちゃんなんか大っ嫌いだ!どっか行け!居なくなれよ!顔も見たくないんだよ!」

「亮太」

「いつもいつも俺の邪魔ばっかりして!偉そうにすんな!」

姉の手を振りほどき、亮太は立ち上がり叫んだ。

「亮・・」

「ねーちゃんなんかいらないんだよ!」

叫びきり、そして亮太は振り返らずに歩き出した。

「・・・・・ごめんね」

泣き出しそうな姉の声が聞こえたが亮太は立ち止まらなかった。


家に帰ると亮太は自室に閉じこもった。弥生の顔を見たくなかったからだった。

どれ位時間が経ったか、すっかり部屋が暗くなってもベッドに潜り込んでいると突然ドアがノックされた。

「亮太、何してるの。もうお夕飯の時間だから手伝って頂戴」

部屋を訪ねてきたのは母だった。

亮太はノソノソと起き上がり、部屋の明るさに目をくらませる。

「ねーちゃんがやればいいだろ」

「・・・何言ってるの、お姉ちゃんなんて居ないでしょう?馬鹿言ってないで早く来て、お手伝いしないなら康子と隆平の面倒を見てて」

呆れたような母の声に亮太は「は?」と口を開けた。そんな亮太に母は「早くね」と言うと行ってしまった。

「母ちゃん、何言ってんだ?」

ふと不安が過ぎり、亮太は恐る恐る部屋を出てリビングに向かった。

そこには見慣れた弟と妹の姿があった。

何かあったのか喧嘩をしている。

「やっと来た。ほら、お皿出して」

何事もないように母は料理をする手を休めずそう言うと、忙しなく夕飯の支度を続けた。

亮太の頭は真っ白になった。

なんでねーちゃんが居ないのか、しかしふと、自分に姉は居ないのだと思い至る。

そうだ、自分が長男で、兄妹の一番上なのだ。


じゃあ、ねーちゃんは?


弥生は?一体何処に?そもそも居たのか?

考えても考えても答えは出ない。

やがて父が戻ると当たり前のように亮太と弟と妹の名を呼んだ。

姉の名は終に呼ばなかった。

初めからいなかったかの如く。

その晩、家族5人の団欒をして、そしてふけた夜に、当たり前のように5人で就寝した。

混乱を極めた亮太の頭は疲れ切り、いつしかベッドの中で夢に落ちていった。



亮太は目を開いた。そしてムクリと起き上がる。軽く頭を振って意識を覚醒させようとしていると、

「お目覚めですか?」

と、声をかけられた。

「・・・・・・・・・・」

「気分は如何ですか?」

その顔は何処かで見たことのある顔だった。誰だろうとうつろな表情で考えていると彼は笑った。

「混乱されていますか?此処は夢見処 伽藍堂。私は所長の青柳です・・・思い出せますか?」

「ゆめみ、どころ・・・」

青柳と名乗った自分と同世代の彼の言葉に亮太は少しずつ思い出し始める。

そうだ、変な夢を見せると言う店に来て姉に会うのだとか言われていた。

「姉は、居ないんですか」

「・・・はい、お姉様はここにはおられません。夢で会われませんでしたか?」

「あぁ・・・・・・いえ、会いました」

夢。

あれが夢。


あれは、夢なのか。


「お会い出来たのなら何よりです」

青柳は目を伏せ手帳に何かを書いていた。シャーペンの芯がカリカリと音を立てている。

それすらもどこか遠く聞こえていた。

酷く体が重く感じられてならない。

「・・・あの」

「はい?」

「もう一度姉の夢を見ることは出来ますか」

亮太の言葉に青柳の動きがピタリと止まった。そしてゆっくりとこちらに視線をむける。

さっきまでの柔らかなものではなく、竦んでしまいそうなくらい青柳の顔に表情はなかった。

「申し訳ありませんが、出来かねます」

「・・・・駄目なんですか?」

「故人との夢は一度しかお見せできないんです」

申し訳ありませんと再度青柳は呟くように言った。

「あ、いえ・・・それならいいんです」

亮太は慌てて手を振り、ベットから降りた。

「あの、ありがとうございました」

頭を下げ、再び上げるとそこには最初に会った時と同じ笑みを浮かべた青柳がいた。

「こちらこそ。ご利用ありがとうございました」

差し出された右手を亮太は恐縮しながらも握り返し、そしてもう一度だけ頭を下げてから店を出た。

店を出てからも亮太はどこかぼうっとしながら歩いていた。

ただ、姉の最後の言葉が耳にこだましていた。あれは夢なのにまるで夢という気がしない。

胸が締め付けられるようだった。

亮太はきつく目を瞑る。

雑踏を歩きながら覚えるのは後悔だけだった。


気がつくと実家の近くを歩いていて、亮太は立ち止まり辺りを見回す。

見慣れたケーキ屋がそこにはあった。誘われるようにそこに入るといくつかのケーキを頼み買っていた。

小さなケーキの入った箱を持ち、当たり前のように実家に向かう。

家に入ると中は無人で人気はない。

「ねーちゃん」

靴を脱ぎ二階に上がる。姉の部屋のドアを開けるとそこは物置だった。

「ねーちゃん、ケーキ買って来た」

家の中をウロウロと歩きながら姉の姿を探す。

「ねーちゃん、ねーちゃん・・・ねーちゃん」

一階に降り、仏間に入り仏壇の前に座る戸を開く。

「ねーちゃん・・・・ねーちゃん、いないの?ケーキ買って来たんだ、だから」

姉の好きだったケーキを置き、亮太はボウっと写真を見つめた。

幼い少女が無邪気に笑っている。

「ねーちゃん・・・・ねーちゃん、俺」

いなくなれなんて、言うんじゃなかった。

「・・・・・ごめん」

食いしばった歯の隙間から押し殺した声が漏れる。

「ごめん、ねーちゃん」

亮太は泣いた。

たった1人の姉だった。記憶もない過去の中の他人のようだったのに、今はこんなにも姉の存在がないことが恐ろしかった。

今なら分かる。

姉は全てから自分を守ってくれていた。

危険を犯す馬鹿な弟を見捨てず側で見守ってくれていたのに。

「ねーちゃんごめん」

あんな事を言わせてしまった。

あれは夢だったけれど、きっと夢ではないのだ。

「ねーちゃん・・・ねーちゃ」

膝の上で握りしめている手の上に涙が零れ落ちた。

もう一度会いたい、会ってごめんと言いたい。

でもそれすらもう出来ない。

亮太は姉の写真を手に取り胸に抱いた。

「ねーちゃん、ごめんな」

もう忘れない。

他人でもない。

存在をなくすことはもうない。

弥生は、確かに自分の姉だった。

いつかもう一度会うことが出来たら、その時は。

「まず初めにあの時のこと、謝るな」

泣きながら笑い、亮太は目を閉じた。

「ねーちゃん、俺結婚するんだ。お祝いしてくれよな」




今日、この日、僕に姉が出来た。

もう会えないけれど忘れはしない。

大切な姉が出来た日になった。

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