第2話 わたしの家族
「ただいまー」
「おかえりなさい!お父さん!」
「いい子にしてたか?翠」
「当たり前じゃん。ねーねーそれよりもお土産はぁ?」
出張から帰宅したのは夜7時のこと。
玄関を開けると一人娘の翠が両手を広げて待っていた。
満面の笑みを浮かべているのにはもちろん理由がある。
出張の土産を期待しているのだ。
どうやら今回の出張先にはずっと食べたかったお菓子があったようで、一も二もなくそれを頼まれた。
もちろん買ってきてやったとも。
ニヤリと笑みを浮かべ持っていた紙袋を顔の高さにまで持ち上げた。
翠は「お父さん大好き!」と、そんな私に飛びついてきた。
翠の脇の下に手を差し込んで高く持ち上げると、翠は「きゃ〜!」と楽しそうにはしゃいで見せた。
「おかえりなさい、あなた。お疲れ様」
騒がしいのを聞きつけたのか、妻の茜が暖簾の隙間から顔をのぞかせる。
「ああ、ただいま。お土産あるぞ」
「フフ、いつもありがとう」
翠を下ろし、靴を脱いで家に上がる。土産を翠に渡しながらリビングに入ると食卓には温かな料理が並べられていた。
「ご馳走だなー」
「今回は大変だったんでしょう?労いを込めさせて頂きました」
仕事カバンを茜に渡し、ソファにどっかりと腰を下ろす。
「お父さん、もうご飯なんだからこっちに座ってよ」
「はいはい」
苦笑しながら立ち上がると食卓につく。
家族3人の食事は1週間ぶりで、とても楽しいものだった。
話には花が咲き、笑いが絶えなかった。
食事を終えると風呂の時間だ。久々に翠と入った。
小学校高学年にもなると誘っても笑顔で固辞されていたのだが、今日は「久しぶりだからね」と一緒に入ってもらえた。
湯船に一緒に浸かりながら笑う笑顔は幼い時と同じままだった。
どうしようもないいとおしさがこみ上げてとまらなかった。
就寝時。
今日は居間に布団を敷いて3人で寝ることにした。
「お父さん、本当に今日はどうしたの?」
と、翠は呆れているようだったが、
「まあまあ、良いじゃないの。あなたがもっと大きくなったらきっとこんな風に寝ることなんてないんだから」
と茜がフォローをしてくれる。
そして布団の中に潜り込み横になる。話をしながらふと翠の頭を撫でると「子供扱いしないでよ」とふくれっ面をされてしまう。
それに対し、私は笑っていた。
笑いながら、込み上げてくる涙を、気づかれないように、唇を噛んだ。
「もう眠いから、寝るね。お父さんおやすみ」
「ああ、おやすみ。また明日」
やがて翠の穏やかな寝息が聞こえてくると、私は体を起こした。
そんな私に反応するように茜も体を起こすと、
「あなた」
「茜」
「ありがとう」
そっと、布団の上で握りしめている私の手に手を重ねてくる。
「・・・すまなかった」
もう涙をこらえきれなかった。
私は大粒の涙を流し泣いた。
そんな私を慈しむように、茜は私を抱きしめてくれる。
茜もまた、泣いていた。
「助けてやれなくて・・すまなかった。怖かっただろう。苦しかっただろう」
今抱き締めてくれている体はとても温かいのに。
「あなた」
「どうして、あの日、もう1日早く帰ってやれなかったんだろう。もし、俺がいれば、お前達をあんな目には・・絶対に遭わせなかったのに」
家族を守って、私が死んでいたのに。
「・・あなた」
茜が強く、私を抱きしめる。
温かい体も、優しい声音も、もう本当は失ってしまっているなんて信じたくなかった。
「ずっとあなたが苦しんでいるのを見ていたの。見ていられないくらい辛かった」
「茜」
「もう苦しまないで。これで、もう私たちは十分よ。あなたには幸せに生きて行って欲しいの。だって」
頬に手をかけられ顔をゆっくり上げさせられた。
茜は泣きながら微笑んでいた。
「私も翠もあなたが大好きだから」
額をこつりと押し当てて、流れ落ちる涙を拭いもせず、茜は言った。
「あなた、愛してるわ。だから幸せに生きて下さい」
「・・・あかねっ」
何故。
何故、理不尽に奪われなければならなかったのだろうか。
私たちは平凡に毎日を生きていただけだったのに、ある日突然全てを失った。
私は全てを奪われた。
ある日、見知らぬ誰かに。
「俺も、愛してるよ」
嗚咽を堪えながら私は茜の頬に手をかけた。
そして温かな唇に、口付けた。
「さあ、寝ましょう」
優しく髪を梳かれ私は子供のように頷いた。
私と茜の間に翠を挟み、手を繋いで、家族3人で最後の眠りについた。
それだけで私は、とても幸せだった。
「お目覚めですか?」
目を覚ますと側には白衣を着た一人の男性が立っていた。
一瞬、誰だろうかと本気で思った。
「・・・え?」
「上田さん、良い夢は、見られましたか?」
差し出された手を無意識に掴むと、ゆっくりと起こされた。
「ご家族の方とのお時間は如何でしたか?」
ああ。
そうだった。
私は全てを思い出した。
「ありがとうございました。とても、とてもしあわせでした」
「そうですか。それは、良かった」
男性は柔らかに笑った。
私は立ち上がるともう一度男性に頭を下げた。
深く、深く。
頭を下げ、感謝を伝えた。
そして店を後にした。
家に帰るとカーテンと窓を開け、私は仏壇に向かった。色あせた写真には妻と子供の姿が変わらず写っている。
「茜、翠。今日は久しぶりにお前たちに会ったんだ。忘れかけていたよ、あんなに幸せだったことを。耄碌してしまったな、すっかり俺も爺さんだ」
線香の煙がゆらゆらと立ち上る中、写真の中の二人に話しかけた。
「これでもう思い残すことはない」
私は心の底から満足し、笑った。
眦から一滴の涙が零れ落ちていった。
「やっぱり駄目だったか。」
新聞に目を通しながら青柳有美は呟いた。
訃報欄につい先日対応した老人の名が載っていたのだ。
彼は三十年前のある事件の当事者だった。
出張から帰宅した日、彼が目にしたのは惨殺され変わり果てた姿となった妻と娘の姿だった。
血の海に横たわる二人、家中荒らされ金品は強奪されていた。
全てが奪われたのだ。
且つ、犯人はついに逮捕されなかった。
よくぞ今まで生きていたと思う。余程の精神がなければ、もっと早い段階で家族の後を追っていただろう。
何が心残りだったのか。きっと本人にしか分かり得ないことがあったのだろう。
それがあの夢の中にあった。
上田は帰る時、まるで憑き物が落ちたように晴れやかな顔をしていた。
心残りは消えたが、同時に生きて行く理由がなくなったのか。
だから、死んだ。
それが良い事なのか悪い事なのかはわからない。
だが、
「もし犯人が見つかったら代わりに復讐しておいてやるよ。じーさん」
有美はタバコを咥え火をつけた。
そして祈る。
どうかあの孤独な老人が、家族と再会出来ているように、と。
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