EPISODE Ⅰ ALL YOU NEED IS CHANCE


 神解こうかいという地は、何処か物憂げな響きをたたえていた。

 

 極東の島国、日本。その近畿地方に、ひっそりと佇む港町、唖々噛對(ああかむ)。大解湾おおかいわんの静かな波が、古都の壁をなでるようにやさしく打ち寄せる。


 その町の一角、雑居ビルの四階に、幽玄な光を放つ部屋があった。表札には「幽合会(ゆうごうかい)」と記され、静かにそこに存在していた。


「こんなヤバイ案件、うちみたいな小さい会社で対応出来ないですよ」


 資料を読みながら淡々と言い放つのは、

綺麗な長い黒髪に、どこか人間味のない冷徹な目をした、女性にしては長身の片田へんでんという掃除屋クリーナーだ。


「いやいや、ネームド級だったら片田さん達の方が、専門でしょう?」 


 紙タバコを燻らせ、灰色の短い頭髪を手で掻きながら、公安四課の魚家うおいえが問いかける。


「一般人十五人に、凶商三人解体バラされてるようなやっかいな案件を、たやすく受けれませんよ、うちは」


 片田は、バラバラに惨殺された三人の虚無僧の写真資料を見ながら、魚家に言い返した。


 凶商とは、凶異商会きょういしょうかいウイルスに感染し突然変異した人間(変異者)を排除する、対変異体民間武装組織の最大手企業、いわゆるゼネコンのような立ち位置である。


「参ったなあ、バラされた凶商三人は中々の手練れでしてね、頼れるの幽合会さんしかいないんですよ〜」


 高い委託料を払ったのに返り討ちに合い、

おまけに死傷者が出て、人手が足りないと凶商に断られたとは言えずに、困り顔で魚家が片田に懇願した。


 幽合会ゆうごうかいとは、片田が所属する対変異体民間個人事業者組織。


 幽合会に武装の二文字がついていないのは、大規模、大人数の戦闘は想定していないため、主に単体、小規模な標的を想定している。例えば、軍隊並みの兵装や銃火器は別のライセンスがいるためである。いわゆる一人親方や個人商店、中小企業の小の方だ。


 そう言われてもという顔で眉間にしわを寄せ、資料を見る片田と魚家が頼みますよ、無理です、と押し問答を繰り広げる最中、事務所の扉が開いた。


「公安が、何のようなの?」


 ミディアムボブの金髪に碧い瞳、透き通るような白い肌、まるでフランス人形のような端正な顔立ち、黒いスーツに身を包んだ、小柄な女性が入って来た。


「ユーコさん、魚家さんからやっかいな依頼なんですけど」


 片田が資料をユーコに渡しながら言った。

ユーコ•那加毛、幽合会代表。片田の上司である、まあ二人しかいないのだけれど。


「神解公園の奴ね、へぇー凶商三人もられたんだ」


 素早く資料に目を通し、特に興味を惹かれないという仕草で、片田に資料を渡し返そうとしたユーコの手が、身体をバラバラにスライスされた、惨殺死体写真の所で留まった。


「ユーコさん頼みますよ、凶商三人よりユーコさんと片田さんの方が頼りになりますから…お願いします」


 魚家がユーコに申し訳なさそうに、芝居掛かった仕草で懇願する。


「高いわよ?」


 ニチャリと不敵な笑みを浮かべたユーコが、魚家に含みを持たせて問いかけた。


「田島は暫定ネームドでネームドじゃないんで、これぐらいで」


 ヤバい、ぼったくられるかもしれないと焦りながら、ユーコにハンドサインで魚家が交渉する。


「はぁ、しょうがないわね、一つ貸しよ」


 ユーコは溜め息まじりにかぶりを振った。


「いつもすいません、ユーコさん助かります」


 やっかい事が解決したと魚家は、笑顔でユーコと片田に挨拶してから、それじゃあ失礼しますと嬉しそうに幽合会事務所から退散した。


 ユーコと片田は、開いたPCのディスプレイを見つめながら依頼された標的のデータを頭に叩き込む。


「田島ひろし、四十六歳独身、先月食品工場をリストラされてますね」


 無表情で片田が言った。


「失うものがない無敵の人かな?」


 屈託のない笑みでユーコが片田に問いかける。


「どこで感染して変異体になったか、全く分からないですね」


 片田は、解雇された食品工場周辺の地図をみながら答えた。


「まあどうあれ、凶商3人殺れる能力があるなら、こちらもそれ相応の武装が必要ね」


 そういうとユーコは、ズボンのポケットから銀色に光るスマートフォンを取り出して、片田に車を事務所の前に回しといてと指示してから、何処かへ電話をかけながら幽合会事務所を後にした。



 ユーコ達の事務所から、車で十五分ぐらい離れた場所にある雑居ビル。その雑居ビルの地上一階に、長方形のデカい看板に漢字で武器屋と書かれた錆びれた店がある。 


 その店先に、片田が運転する幽合会社用車の黒い4WDが停車した。後部座席右側のリヤドアーが開いて、ユーコが車を降りた。


「車で待ってて」


 ユーコは、そう運転席の片田に少し機嫌良く言って、武器屋の中へ入っていく。


 店内は無数の武器で埋めつくされていて、

銃や刃物、鉄球に鎖が付いたモーニングスターや、あらゆる骨董品から最新のアサルトライフルまで揃っている。店の奥にあるレジカウンター内側の椅子に、男が一人、座っている。


 周りを気にする様子もなく、スマホのディスプレイを凝視していた。読めそうにない、おそらく英字で描かれたデスメタルバンドのロゴが刺繍されたキャップを被る、長髪の小柄な男の方へ、店内の商品には目もくれず、ユーコは迷わず進んで行った。 


「ハンセンミサワの三冠戦」


 男の前に立ち、ユーコがぼそりと言った。


「プププ、プロレスニュース+1」


 男がすっと椅子から立ち上がり、甲高い声で叫んだ。 


 合言葉だったようだ。


 男はスマホをズボンのポケットに慌ててしまい、店内に他の客が居ないのを確認してから、レジカウンターの机裏側にあるボタンを押すと、店の窓、入り口にシャッターが降りてきて、あっという間に外から店内が見えない密室になった。


「で、何が欲しい?」


「そうね、対変異体バスターライフルと…対変異体用の軽量ハンドガンが欲しいわ」 


 男はバックヤードへ続くのれんを潜り、あーでもないこーでもないとゴソゴソ探してから、大小のハードケース二つをカウンターの上に置いてユーコに見せた。


「ウィー!」


 男が右手でブルズホーンを作り、天高く振り上げる。


「あ、あれ、ハンセンはウィーじゃなくて、ユースって言ってたらしいわ」


 ユーコが憐れむような視線を男に向けてから、小さいハードケースの中身を確認した。


 キャップの男は、驚嘆の形相を浮かべ膝から床に崩れ落ちて固まっている。


「なるほど……充電式プラズマ振動弾か、余り撃てないけど、まあ、これならいけそうね、ありがとう支払いは公安に付けといて」


「ユ、ユィ〜……ス」


 男の力ない声が、店内にかすかに響く。


 ユーコは大きいハードケースの中身を確認してから、カウンターの裏側にあるボタンを押した。


 シャッターロックが解除され、跪いたまま固まる男を置き去りにして、大小のハードケースを両手に持ったユーコが、黙礼してから店を出た。



 ポートピアアイランドは、神解市中央区の神解港内に作られた人工島。


 神解大橋及び、港島トンネルによって神解市中心部と結ばれ、都市機能を一通り備えた、日本で最先発のウォーターフロント都市である。


午後20:00時過ぎ──────


 一台のバスが、ポートピアアイランド北西に位置する神解キャンパス前に停車した。



15分前──────


 ささいな事だった。


 田島ひろしはバスの最後尾から一つ前の窓際にある、二人掛けの席に座り俯きながら独り言をぶつぶつ呟いている。最後尾のソファーの様に長い座席に座っていた。


 黒髪マッシュの大学生と連れの茶髪のマッシュが田島の方をチラチラ見ながらコソコソ話している。


「ヤバいのキタ」


 半笑いで田島をチラ見し、嘲笑しながらスマホのカメラで動画を回して田島を撮影していた。


 車内には田島と大学生二人組、運転席の後ろ側に老人が一人とパート帰りの妙齢の女性が二人、さらに会社帰りのサラリーマンの中年男性が一人、バス中央の左側一人掛けの座席に座っている。


 田島は、後ろ側で自分にスマホを向けている黒髪マッシュの大学生の方をチラッと一瞥した。


「ヤベッ」


 と、スマホのカメラを田島から一旦外し

両足の間に隠したが、またすぐに田島を撮影しだした。


 その時だった、田島の左手人差し指と中指から伸びた刃物状の鋭利な触手の様な指で、スマホごと黒髪マッシュの大学生の顔面を貫いた。


「……あ……ああ……」


 茶髪は頭部が鋭利な刃物状の指先で貫かれている。


 さっきまで楽しげに会話していた友達が、何か分からない伸びてきた物に串刺しにされ、顔面からドロドロ赤い鮮血を垂れ流す様を見て、口を開けたまま絶句した。


「なんだあ、何かお、おれに文句でぼあるのか?ガキ?」


 田島は、顔色一つ変えずに茶髪の両目を鋭利な指先で串刺して、下にゆっくり鋭利な刃を引いて殺した。 


 田島はそのままゆっくり席を立ち、運転手以外の無抵抗な乗客達を、無表情、且つ淡々と刃物状に変化した指先で次々に串刺し、切り裂き、惨殺していく。


 走行するバスの車内は驚くほど静かな地獄だった。


 バスが神解キャンパス前に着いて、車両前方の降車口がバタンと開いた。


 ゆで卵をスライサーで輪切りにした様なバス運転手の顔面が、田島の左手から伸びた鋭利な刃状の指先から、どさどさと地面に降車した。



 田島が、乗客達を殺した返り血で泥々になりながら、バスを降りて神解公園へ歩き出したその時だった。


 ドスンという鈍い衝撃音とともに黒い4WD車のフロントバンパーに、田島の左脇腹がめり込んだ。


 田島の身体は轢かれた衝撃で空中に投げ出され、5メートルから7メートルぐらい先の歩道脇の草むらに突っ込んだ。


 黒い4WD車の、運転席側のリヤドアーが開いて、黒いスーツに身を包んだユーコが降りてきた。 


 街灯に照らされた金髪は、ほぼ真っ白に見え、碧眼が凶々しく光っている。


「あなたが田島ひろしね、探したわ」


 ユーコが運転席にいる片田にアイコンタクトを送り、右手のハンドサインで合図した。


 少し間をおいてから、片田が車を発進させ、その場から離れて行く。


「あんたに聞きたい事が三つあるわ」


 ユーコが田島の方へ歩きながら聞いたが返事はない。


 草むらから大きな影が出現し、変異した姿の田島がユーコの方へゆっくり移動してきた。


「だ、誰だおまえは、マアイ、イイカ、コロスか?」


 田島の両腕から伸びた触手が、かなりの速度でユーコにその鋭利な先端を振り下ろし、襲いかかる。


 触手の刃先がユーコの左腕に直撃して、左肘から先を綺麗にスパッと地面に切り落とした。ドサッと、乾いた音と共にユーコの左腕が地面に転がる。


 途切れた左腕の白いブラウスが、赤く染まり血液が地面に流れ落ちていく。


「質問に答えないのね」


 ユーコは、顔色一つ変えずに右手で黒いジャケット内側にあるガンホルスターから、対変異体用軽量ハンドガンを抜いて、引き金を引いた。


「ギヤがわあああアヅい」


 田島の被弾した部分が、黒い血を垂らし、赤く焼けただれている。 


「どう?質問に答える気になった?」


 至って冷静で冷淡かつ冷酷にして迅速に、月光がユーコの金髪を白く照らす中、転がった左手を素早く回収して、切り離された左肘から、極めて細かい白い無数の蟻の様な糸が現れ、切り落とされた左腕と結合していく。


 ユーコは、自らを「再生者リジェネレーター」と称し、いかなる傷をも修復する、奇妙な能力を持っていた。まるで機械のように、切り落とされた腕は数秒で再生し、あたかも何事もなかったかのように再び機能していた。


「ギギギ……誰だおマエは……」


 片膝をついてユーコに撃たれた銃創からドス黒い血を流しながら、田島が少し後退りながら問いかける。


「質問してるのは私よ」


 ユーコが銃のモードスイッチを変えると、プラズマの様な蒼白い閃光が田島に向かって走った。 


「がああああああ……」


 田島の悲鳴が暗闇に響き渡る。


「まずどうやって変異したの?」


 冷淡な碧眼が田島を捉えたまま、ユーコが問いかける。


「医者だ、医者に治療されて俺は……」


「何処で?」


玉重たまおもにある治療院だ、名前……は……グギギ」


 ユーコの右側下方の足元から、田島の触手がヒュルンと伸びてきて、突然ユーコの右足首を掻っ切った。


 ユーコは右側にガクンと体勢を崩しそうになったが、左腕の時より数倍速いスピードで、極めて微量な出血に抑え、瞬時に白い糸が切断部分を結合し、再生させて倒れそうになっていた体勢からなんなく復帰した。


「しつこい」


 ユーコは、右手に構えた銃を田島に向けようとしたがその刹那、田島の触手がユーコの左胸と腹部中央を貫いた。


「くっぅぅ、いっっ」


 田島の触手がユーコの体内を貫いたその衝撃で、後方へ倒れる最中、ユーコは右手で握った銃のトリガーをそらに目掛けて引いていた。


 空虚な夜空に、雷の様な蒼白い光の柱が顕現けんげんした。その瞬間、田島の半身が物凄い轟音と共に衝撃波にさらされて消失した。


 田島の残された、ほとんど存在すらしない半身から、焦げ臭い悪臭が漂う。


「遅いッッッツ!」


 仰向けで倒れたまま叫んだユーコの怒号が、辺りに響き渡る。


 ユーコは左胸と腹部中央に突き刺さる田島の触手を引っこ抜いた。


 身体に空いた血で滲んだ暗い穴を、細かい白い糸が隙間を埋める様に結合し、再生していく。


「スーツ……経費でまた買わなきゃ」


 スーツに空いた穴を、残念そうに見るユーコがゆっくりと立ち上がった。


「すいませーん、ユーコさーん」


 片田が、後方からバスターライフルを担いで歩み寄って来た。


「あんたねえ、もう少し早く撃てなかったの?」


 ユーコが訝しみながら片田の顔を覗きこんだ。


「なんかこう、ここっていうタイミングが掴めなくて」


 と、申し訳なさそうに片田がぺこりと頭を下げながら答えた。


「最悪よ、スーツ穴だらけで肝心な事聞く前に、あんたがバスターライフルで吹っ飛ばしちゃうから」


「いやいや、いくら再生者リジェネレーターのユーコさんでも、あのままなら危なかったでしょ?」


「私はチープなスリルに身を任せただけよ」


 と、ドヤ顔で見つめてくるユーコに、片田は、あーまた始まったよと表情を曇らせ、苦笑した。


 真っ黒い灰の塊に成り果て、生命活動を停止した田島の死骸を前に、二人は責任をなすりつけ合う押し問題をしばらく展開してから、何事もなかったかの様にその場を後にした。


「で、どうするんですかこれから?」


「まあ標的は始末したし、とりあえず戻る、事務所に」


 車内で、ユーコは後部座席で穴が空いたスーツを恨めしそうに眺めながら、らスマホを操作する。


「テンテンテン、テ、テテテー」


 車内に哀しげなGet wildなピアノの音色が充満していく。


「シチーハンター!?」


 暗い車内に片田の声だけが響いた。


「チーじゃないティーよ」


 極めて冷静なユーコのツッコミに、仄かに片田の耳が紅く染まっていく。


 何事もなかったかの様に片田が、強く右脚で車のアクセルペダルを踏み込んで、アスファルトをタイヤが切りつけた。


──────

See you in the next hell…

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