第52話 「ありがとう」
どこから聞こえるのか分からない明人の声に肩を震わせ、ベルゼはしがみついてくる純彦と抱きしめてくる両親を見た。
『貴方は心優しい子。大丈夫。大丈夫よ』
『あぁ。純彦、またお父さん達と一緒にいて欲しい。ずっと一緒にいて欲しいんだ』
『お母さんは純彦が居てくれてとても幸せだったわ。だから、お願い。もう一回、お母さんと呼んでくれないかしら』
二人から感じる、懐かしい温もりにベルゼは動けない。振り払う事も出来ず、ただその場に立っていた。
足にしがみついていた純彦も手を静かに離し、彼を見上げる。
『僕、もう人を傷付けたくないよ』
純彦の涙が、地面に落ち雫が跳ねる。それを見たベルゼの目からも、大粒の涙が流れ、崩れるようにその場に座り込んだ。
『我は、強くなるため力を欲したのだ。力がなければ何も出来ない。生きる事さえ、許されぬのだぞ。それなのに──』
ベルゼが涙を流し嘆いていると、姿を消していた明人が、闇の中から姿を現した。
無の表情で何を考えて、何を思っているのか分からない。
漆黒の瞳を項垂れているベルゼに向け、明人は語るように言葉を繋げた。
「たしかに、お前の生きていた時代ではお前の言う通りだったかもしれないな。だが、もう、必要ないだろう。必要なのは、今のお前の意思と、両親への変わらぬ想いだ」
『意思と、変わらぬ想いだと?』
「そうだ。今のお前がやるべき事は、過去の自分と向き合い、認める事。もうお前は一人じゃねぇ。一人じゃねぇなら、出来るだろう」
明人はベルゼの近くにいる人達に目を向けた。
自身の息子を守り抜こうとした大事な両親、弱くて何も出来なかった自分自身。
ベルゼが人間だった頃の、大事な家族。
三人の揺れる瞳を受けたベルゼは、何も無い空間を見上げ、五芒星の光に目を細めた。
『────我の、負けだ』
悲しげに、でも、もう吹っ切れたかのように。彼は自身の負けを、認めた。
明人は「そうか」と一言口にし、カクリの方を見る。
その目線をカクリはしっかりと受け止め、小さく頷く。
まるで会話をしているような二人に、ベルゼは優しげな笑みを浮かべた。
『想いなど、必要ないと思っていたのだが、そうでも無いらしいな』
「当たり前だ。結局は、お前も自分の想いと向き合い、負けただろう」
『人間風情が、生意気に物を言うでないわ』
そんな会話を最後に、ベルゼは目を閉じ眠りに入った。
いつの間にか周りにいた人達は消えてしまい、ベルゼだけが五芒星の光の中に残される。
「カクリ」
「分かっておる。しっかりと自身の想いと向き合えたのだ。少し納得できん部分もあるが、
カクリが言うと、五芒星が時計回りにゆっくりと回り始めた。そして、徐々に下がり始める。
『カクリ』
「っ、なんだ」
ベルゼは閉じていた瞼を開け、左右非対称の瞳を向け名前を呼ぶ。それに驚きつつも、カクリは反応し声をかけた。
『────ありがとう』
放たれた言葉は暴言でも、嘲笑う物でもない。何の含みもない、純粋な感謝。
いきなりの言葉に目を見開くカクリだったが、そのあと、優しく微笑み「まったくだ」と口にした。
五芒星がベルゼを囲うと、徐々に姿が薄れそのまま消えて行く。
残された明人とカクリの姿も薄くなり、それと同時に、真っ暗だった空間が明るくなり始めた。
上空から光が差し込み、残された明人とカクリを照らし出す。
眩しさで目を細め、二人は安心したように微笑みながら、姿を消した。
☆
「大丈夫かな……」
「心配だけど、僕達は待っているしか出来ない。信じて待とう」
「うん」
倒れてしまったベルゼと明人、二人の後を追うように意識を手放したカクリを心配そうに見ている音禰と真陽留。
ファルシーも眉を顰め三人を見ていたが、ふと、なにかに気づき片眉を上げ微かな笑みを浮かべた。
「大丈夫そうよ」
いきなりそう言われ、音禰と真陽留はお互い顔を見合せたあと、再度ファルシーを見て、真陽留が問いかけた。
「何で言い切れるんだ?」
「なんででしょうね。なぜか、言い切れるのよ」
目を閉じ、信じるように言い切る。二人はファルシーの言葉を信じ、時間が経つのを待ち続けた。すると突如、明人のポケットが光出した。
「ん? なんだこれ、光ってる?」
真陽留は光っているポケットに手を入れ、何かを取りだした。
それは、レーツェルから預かった、五芒星が描かれているメモ紙が貼られた空の小瓶。光っていたのは五芒星。
「これって──あ」
小瓶がカタカタと動き出し、真陽留の手元から滑り落ちる。
割れる事はなく小瓶はコロコロと転がり、ベルゼの近くで止まった。
音禰がやれやれと言うように拾いあげようとしたが、ファルシーが「待って」と止める。
「もう、終わるわ」
何が起きているのか理解できない二人は、ファルシーの言葉に、微かな期待を込め三人を見た。すると、突如としてベルゼから黒いモヤが現れ始める。
「え、なにこれ?!」
驚きの声を上げた音禰を気にせず、モヤはベルゼを包み込む。
真陽留はこのままでいいのかファルシーを見るが、彼女は慌てる様子を見せず、顎に手を当て考え込んでいた。
「これって──」
何か分かったファルシーは、安心したような表情を浮かべ、手を横に下ろした。
「完全に、終わったみたいよ」
ボソリと呟かれた言葉に、音禰と真陽留は首を捻り顔を見合わせる。
「終わった?」
「どういう事だ」
よく分からない二人は、もう一度ベルゼの方に目を向けた。
ベルゼを包んだ黒いモヤは、徐々に空の小瓶に吸い込まれる。
全てを吸い取った小瓶は、蓋をするように五芒星の紙が動きだし、上に貼られた。
小瓶の中では黒い液体が光に反射し、キラキラと輝いていた。
ベルゼが倒れていたところには、小さな少年が涙を零しながら「お父さん、お母さん」と呟きながら眠っていた。
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