第40話 「無力化する」

 明人は音禰の声に合わせるように、瞼をゆっくりと開けた。漆黒の瞳に、不安そうな表情を浮かべている音禰と真陽留の顔が映る。

 その目は虚ろで、状況を確認するように視線をゆっくりと動かしていた。


 やっと意識がははっきりとしてきた明人は、上半身を起こす。その時、自身の右手を見下ろした。

 二人は不思議に思い、視線を辿った。そこには、音禰が明人の手を大事そうに握っている光景。


 沈黙する三人、時間が止まったような空間。誰も口を開かない中、音禰だけが顔を赤くし、慌てたように手を離した。


「あ、い、いや、これは違うの!!」


 音禰はよくわからない言い訳を並べ、一人で慌てている。そんな彼女の様子を表情一つ変えずに、明人は自身のお腹辺りを撫でた。


 音禰は赤い顔のまま、なんの反応も見せない明人を見て頬を膨らませる。否定しつつも、何も反応がないのは嫌だと複雑な表情を浮かべた。

 真陽留は呆れた顔を浮かべ、慰めるように音禰の肩にポンッと、手を置く。


 明人はそんな二人の様子など気にせずため息を吐いたあと、ファルシーに目を向けた。


「あら、何かしら」

「おめぇ、わざと逃がしたのか?」

「そんなわけないじゃない、さすがに……」


 明人がファルシーを睨んでいると、音禰が震える両手を伸ばし彼の頬に添えた。


「あっ?」

「相想、私の事、覚えて……ないよね」


 名前を呼び確認しようとするが、記憶が無いのは予め聞いていたためすぐに自信をなくす。悲しげに目を伏せ、手が落ちかけた。

 そんな彼女の様子を見た明人は、頬に添えられている手を優しく包み込み目を彼女と合わせた。


「たしかに、ほとんど忘れている。だが、少しくらいは思い出したぞ、舐めんな。…………音禰」


 付け足すように明人が目を逸らし名前を呼ぶと、その事に音禰は嬉しさと感動が入り交じった綺麗な笑顔を浮かべる。我慢できず、彼女は思わず明人に抱きついた。


「なっ、おい!!」

「相想、相想!!!」


 抱きつきながら涙を流す音禰は、何度も何度も。存在を確認するように名前を呼ぶ。


 明人はこのような経験が今までなかったため、どうすればいいのかわからず、行き場のない手を真陽留の方向へと伸ばす。声には出さず口パクで『た、す、け、ろ』と言っていた。


 珍しい状況に、真陽留の中で面白さが目覚め、嫌味ったらしい笑みを浮かべたあと、顔を逸らし「ファルシーちゃん、今回の事なんだけど〜」とわざとらしく話題を逸らした。


「クソがっ!!!」


 明人は音禰に聞こえないような小声で真陽留に怒りをぶつけた。それを、彼は今までの仕返しというように舌を出し無視し続ける。


 そんな二人のやり取りなど知らない音禰は、今も明人の本名を何度も呼んでいた。絶対に離さないというように抱きしめながら。

 それに耐え切る事が出来なくなった彼は、音禰の肩を掴み、自身から無理やり引き剥がす。


「ちょっ、何するのそう──」

「るっせわ」


 乱暴に引き離してしまったため、音禰は顔を歪ませ文句を口にしようとしたが、彼が顔を背けてしまったため続きを言う事は躊躇われた。

 それでも気が収まらない音禰は、文句を言わない代わりに目線だけで訴えようと見つめている。すると、髪から覗いている耳がほんのり赤くなっていることに気づく。

 音禰はそれを目にした時、控え目に笑みを作り、嬉しそうに「しょうがないなー」と明人から離れた。


「何笑ってやがる、てめぇ」

「なんでもないよ。相想はツンデレさんなんだねって思っただけ」


 音禰が口にした言葉で真陽留とファルシーは吹き出し、明人は石のように固まった。


 そして──


「っ、誰がツンデレだぁぁぁぁぁぁああああ!!!!」


 明人の怒声が小屋の中に響き渡り、音禰含む彼以外の人達の笑い声が、外にまで漏れる。

 林に広がっていた重苦しい空気は、そんな三人の笑い声により、少しだけ軽くなった。


 ☆


「なるほどな。カクリは悪魔に連れ去られたか」


 三人は明人がいくら待っても落ち着かず、ずっと笑い続けていた。

 堪忍袋の緒が切れた彼は、顔を怒りで赤くし右手を振り上げ真陽留の頭にげんこつを落とし、強制的に黙らせた。


 頭に大きなたんこぶを作った真陽留がふてくされながらも、明人が気絶したあとの事を伝た。


 真陽留の中に残っていた微かな悪魔の力が失ったことや、カクリが連れ去られてしまった事。それと、狐の面を見せながら『力を失った神』についても同時に伝えた。


「狐の面……力を失った神か。見栄を張っているだけか、それとも本当に殺られたか。いや、あの化け狐がやられるわけねぇな」

「当たり前よ。レーツェル様は方、見栄を張っているだけよ」


 ”力を失った神”とはレーツェルの事。彼は正体不明で、年齢、過去、存在など。分からない事ばかりだが、明人はそんな彼が殺られるなどありえないと考えていた。

 ファルシーも腕を組み、死んでいないと疑わない。


「だが、狐面を取られたとなると、危険な状態なの変わらないはずだよな? 力が暴走するんだろ?」

「そうよ、今どこで何をしているのかわからないけれど、力を抑えるので必死のはず。だから、早く悪魔をどうにかして戻りたいわ」


 二人の会話を聞いていた音禰が手を上げ、おずおずと問いかけた。


「あの、そのレーツェル様って、力を抑えないといけないほど強い人って事?」

「厳密に言えば人ではないけどな」

「そこはどうでもいいだろ……」


 明人は訂正するところをしっかりと訂正し、真陽留が呆れ気味にツッコミを入れる。


「どっちにしろ、あの化け狐なら自分でどうにかするだろ。今俺達が考えなければならんのは悪魔とカクリの行方だ」

「手がかりはあるのかしら?」

「待ってろ。契約している以上、カクリの気配を微かにでも感じる事が出来るはずだ」


 言うと、明人は目を閉じた。三人は明人の邪魔をしないように口を閉ざし、待ち続ける。


「気配、感じるのかな」

「出来ると思うわ、あの二人なら。それに、子狐ちゃんの力は一般的な妖より強い。それだけではなく、今回はベルゼという、悪魔の中でも最恐の力を持つ者の気配も一緒。問題はないはずよ」


 ファルシーの説明に音禰は納得したものの、真陽留は疑問が出てきた。


「お前は感じる事が出来ないのか? そんなに言うのなら、お前でも気配を感じ取ることは可能だと思うんだけど」


 真陽留からの質問にファルシーは沈黙。目を逸らすように顔を背け、適当に「今日は天気がいいわよぉ」とほざく。

 彼女の様子にため息が漏れ、真陽留は自身の頭を掻く。


「わかんねぇのな」

「うるさいわよ。そもそも私は他人の気配を感じ取るのは苦手なのよ、体がムズムズするから普段から感じ取らないようにしているの」

「そんなことできるのか?」

「ふん」

「見栄っ張りは悪魔じゃなくてお前かよ」

「お黙りなさい」


 そんな会話をしていると、明人がやっと目を開け「うるせぇ」と二人に怒りの声をぶつける。


「「すいません」」

「それで、気配は感じ取ることは出来たの?」


 咄嗟に謝った二人と、明人に問いかける音禰。明人は腕を上にあげ体を伸ばし、小屋の後ろに目線を向けた。


「小屋の奥に、何かある。そんな気がするだけだな」

「小屋の奥? なにかあるの?」

「わからん。小屋の奥になんて行ったことが無いからな、気のせいかもしれないと思う程弱い気配だし、確証はない」

「なら、気の所為なんじゃねぇの?」

「気の所為かもしれねぇが、それでも可能性の一つとして考える必要がある。今は情報がまるでない。そうやってなんでも気の所為で済ませたら何もわからずただ無駄に時間が過ぎるだけ。少しの情報も取り逃さず、考える必要がある。後先考えてから発言するんだな」


 真陽留の言葉を肯定、今の現状の説明、否定と。

 しっかりと説明した明人に対し真陽留は何も言えず項垂れ、音禰も苦笑いを浮かべた。


「あれ、相想ってこんなに嫌味ったらしかったっけ。なんか、レベルが上がってない?」

「どこでレベル上げを行ったんだか。あぁ、この小屋がレベル上げの宝庫だったのか納得」

「俺はお前の頭脳がレベルアップしてくれる事を心から祈っているよ。この小屋にその効果があればいいな」


 考えながらも音禰と真陽留の会話はしっかりと耳に入っており、明人は倍の嫌味で返す。もう何を言っても駄目だなと、二人はこれ以上何も言わなくなった。

 そんな様子など一切気にせず、明人はファルシーに質問する。


「今ここで力を使えるのは音禰とファルシーだけだろ。さすがに結構きついな。ファルシーのバフを何とか利用し、悪魔を無力化しねぇと」

「無力化? 倒すとかではないのかしら?」

「今の俺達では悪魔を倒すのは不可能だ。ファルシーもカクリも戦闘用のスキルを持っている訳じゃねぇし、人間である俺達では返り討ちにあって終わり。だから、俺達は俺達のやり方であいつを無力化する」

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