第37話 「終わりだ」

 カクリは明人の言葉を思い出し、目を閉じ集中。操作するように両手を明人の方に向けていた。

 カクリの息使い、明人の唸っている声。数秒経っても成果は現れず、焦りが募る。


「大丈夫なのか、明人」


 不安を隠し通す事が出来ず、思わず口から零れ落ちた。すると、明人の身体を黒く染めている痣が突如、もぞもぞと動き出した。その動きはまるで、何かから逃げているように見える。


 真陽留はもぞもぞと動く痣に何か引っかかるものを感じ、手を伸ばし指先で触れてみる。すると、呪いは彼の体から真陽留の体へと移ろうと浮き出てきた。


「うわっ!!!」


 咄嗟に手を引っ込めた事により、浮き出た呪いはまたしても明人へと戻る。


「今の、僕に移ろうとしたのか?」


 疑問を口にした後、真陽留はカクリを見て、何か思いついたような顔を浮かべた。口元の端が自然と上がり、目を輝かせている。


「おい子狐。僕の言う通りに操作しろ」


 集中しているカクリに、真陽留は言い放つ。


「っ、何を言っている貴様! 集中している、話しかけるでない!!」

「いいから、今回だけは僕を信じてくれ。僕だってここでこいつに死なれる訳にはいかないんだ」


 必死な言葉、表情を見て、カクリは真陽留の言葉を聞くことにした。


「お主、なにか算段があるのだな」

「あぁ。いいか、チャンスは一度だ。必ず成功させる」


 その後、真陽留はカクリに作戦を伝える。もちろんカクリは手元を緩めずに聞いていた。


 今までの明人の突拍子もない作戦に感覚が麻痺しているのか、カクリは「それなら問題ない」と一回で頷く。その事に真陽留は苦笑いを浮かべ、カクリを哀れみの目で見下ろした。


 気を取り直し、彼はカクリの隣で立ち上がる。


「いいか?」

「問題無い」


 お互い目を合わせ、声を掛け合う。真陽留は先程と同じく明人に近付きしゃがみ、近くに落ちている小瓶を拾い上げる。空であることを確認すると、開いている方の手で真っ黒になっている彼の腕を掴んだ。瞬間、黒い痣は真陽留に乗り移ろうと襲い掛かる。


「今だ子狐!!!」

「分かっておる、指図するな!!!」


 真陽留に襲い掛かる黒い痣に、カクリは明人に向けていた両手を向けた。すると、黒い痣は真陽留に移り込む一歩手前で動きを止めた。


「うしっ!!」


 目の前で止まった呪いを見て、真陽留はガッツポーズ。だが、それとは裏腹にカクリは険しい顔を浮かべ、苦しげに体を震わせ始めた。


「お、おい。どうした? 早く小瓶に──」

「分かっておる!!!」


 真陽留は小瓶に呪いを入れれば良いと思っており、カクリもそれで封印が出来ると考え、操作している。だが、なぜか上手く出来ず、動きを止めているだけで精一杯の様子。


 今のカクリの様子は真陽留にとっても予想外。目の前で固まっている呪いを見るしか出来ない。

 目の前に広がる黒い闇、飲みこまれてしまえばそれこそどうする事も出来なくなる。そう思い、真陽留は歯をかみしめ後ろに後ずった。


「ぐっ、これ以上は、もたん!!!」


 カクリの体力が限界に達し、呪いは徐々に動き出してしまう。その矛先は、目の間で動けないでいる真陽留だ。

 

「なっ──」


 呪いはカクリの力を上回り、解放されてしまった。

 止まっていた黒い闇は動き出し、真陽留へと襲いかかる。

 避けようとするも、動き出すのが遅すぎた。避けきれず呪いは真陽留へと覆いかぶさった。



「――――――何やってんだよ、てめぇら」



 刹那、二人を安心させる声が二人に聞こえた。


 声と共に記憶が込められている液体が呪いにかかり、溶けるように床に落ちた。真陽留はその隙間を縫うように地面に伏せ、回避する事ができ安堵の息を零す。


「あき、と?」


 カクリは肩で息をし、後ろからの声の主の名前を呼んだ。


「くそっ。体力が限界だな、お互いに。もうひと頑張りだ。出来るな、カクリ」


 明人は片膝をつき、カクリの頭に手を置き聞いた。

 彼の顔は真っ青で、辛そうに歪められている。それでも、目だけは諦めていなく、カクリを真っ直ぐと見据えていた。


 彼が起きた事により安堵し、カクリは先程までとは違い冷静を取り戻す事が出来た。明人の言葉に力強く頷き、今だもぞもぞ動いている呪いを見る。


「よしっ。おい、真陽留。そこら辺にある記憶の欠片を呪いにかけ、空の小瓶を準備しろ」

「ちっ、わかったよ!!」


 指示をされ、真陽留はバツが悪そうな表情を浮かべたあとすぐに周りを見回し、まず中身が入っている小瓶に手を伸ばした。

 

「カクリは肩の力を抜いて、匣を開ける時と同じ感覚で呪いを小瓶に入れろ」

「わかった」


 素直に頷き、カクリは深呼吸し集中し直す。すると、今までのが嘘のようにいともたやすく呪いの動きを封じた。

 止めるだけで苦労していたカクリだったが、今は隣に明人がいるからなのか。冷静に操作できており、呼吸も一定。それでもやはり体力は限界なため、長くは持ちそうにない。


「これでいいか!?」


 手にした数個の小瓶を明人に見せながら、真陽留は早口に確認する。


「かけろ!!」


 明人の言葉に合わせ、真陽留は小瓶の蓋を開け中身をぶちまけた。

 

 液体をかけられた呪いは徐々に薄くなり、落ちる。それでもまだ完全に無くなる事はなく、最後の力を振り絞り、明人の体に戻ろうと藻掻き続けた。


 その隙に、真陽留が近くの棚に置かれていた空の小瓶に手を伸ばし、呪いに向かって投げる。


 投げられた小瓶は宙を舞い、カクリは目線を外さず呪いを操作し続け、小瓶の中へと封印し始めた。

 勢いよく吸い込まれ、小瓶の中に入る呪い。四方に飛び散ろうと広がり抵抗するが、カクリは絶対に諦める事はせず集中し続ける。


 苦し気なカクリを、明人は優しく撫でる。安心するような、優しい温もりを感じ、カクリの必死だった顔にほんの少し、安堵が零れた。


 逃げ切ろうと四方に飛んでいた呪いは、徐々に一つに集まり始め、小瓶の中に入る。明人の身体に残されていた呪いも浮き上がり始め、小瓶の中へと入った。


 呪いを全て小瓶に入れる事が出来たカクリは、体力を使い話したため膝から崩れ落ち肩で息をしている。

 明人は空中から落ちそうになっていた小瓶を右手でキャッチし、蓋を閉めた。


 中には、普通の黒い匣よりどす黒い液体がゆらゆらと揺れていた。


「はぁ、はぁ……」


 三人はまだ警戒を解かず、目線を明人の手にある小瓶に集中させる。だが、数分経っても変化はなく、明人が与える振動で動くのみ。


 カクリと真陽留は確認の意も込め、明人を見た。


「ふぅ。これで、終わりだ」


 明人から安堵の息と共に吐き出された言葉によって、二人も思いっきり息を吐き、真陽留もカクリと同じようにその場に崩れ落ちた。


「はぁ、はぁ。し、ぬかと思った……」

「ま、まったくだ。お主が変な作戦を立てなければ、このような事にはなっておらんかった」

「おめぇも頷いていただろう」

「……………」

「黙るな」


 にらみ合いながら会話する二人を、冷めた目で明人は見る。


「後先考えねぇからこうなるんだろうが。やるなら最後まで自分達の力でやれや」

「…………何か言う事ねぇのかよ。確かに、結局はお前の力を借りたが、僕達がいなかったら危なかっただろう」

「ざーーーす」

「思ってねぇだろてめぇ!!!」


 適当な礼を口にしたあと、明人は天井を仰ぎ、深い息を吐いた。額には汗が滲み出ており、相当体力が削られた事が一目で分かる。


「……とりあえず、ここから出るぞ。ソファーで休む」


 明人はふらつく足取りで談話室とも言える部屋へと移動し、ソファーへと倒れ込んだ。他二人も同じく談話室へ向かう。

 真陽留も疲れていたが寝る気にはなれず、彼の姿を確認したあとため息をつき、壁側にある本棚に近付いた。


「……心理学の本が多いな、そりゃそうか。さすがに勉強せずここまでの知識を取得するなんて出来るわけないしな」


 先程の出来事で、真陽留は明人より劣っている事を再認識させられていた。

 カクリからの信頼もあるが、明人が口を出しただけですぐに解決してしまった。先ほどの光景を思い出しながら心理学の本を一つ抜き取り、背表紙を撫でる。


「僕も、明人相想みたいだったらまた違ったかもしれねぇな」


 呟いた次の瞬間、いきなり目を見開き固まる。ぶわっと冷や汗が流れ、服が肌に張り付く。体が震え、うまく息が出来ない。


「なんっ──」


 嫌な気配と、明人の消え入りそうな声に真陽留は振り返る。目の前に広がる光景を目にした瞬間、手に持っていた本が音を立て落ちた。


「あき、と…………?」

「がっ……っ」


 明人の腹部には、鋭く尖っている黒い影が深々と刺さっており、大量の血がソファーや床を染めていた。

 小屋のドアへ目を向けると、楽し気に笑みを浮かべているベルゼの姿。影が突き刺さり動くことが出来ない明人をあざ笑い、立っていた。

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