@月*!日


 アメリカに敗れ、今までとは打って変わった”新しい”生活を強いられる時代を生きていた人々の中で、時代に残されてしまった人たちへ手を差し伸ばし、今の日本に絶望しても良いのだという太宰の「絶望賛美」は相当な力を持っていたのだろう。いつの時代になっても昔の凝り固まった考えにしがみ付き生きていこうとする人々は多く存在している。一般的にそういった人々は蔑まれる。しかし彼らはそのような行き方しか知らないのである。そんな彼らにとって太宰の考え、作品はどれほどありがたかったのだろうか。一種、唯一神とその信者のような関係である。もし仮に、この考えが多くへと広まり、受け入れられ、一般化していったと仮定したら、今の日本は無宗教国家ではなく、”太宰教”国家だったかもしれない。それもそれで面白そうな世界線である。とは言え、太宰はマイノリティーでなくてはならないのでそんな世界線はありえないだろうとも考える私がいる。


 他の感想として木曜日にやった「私の遍歴時代」の三島の初期とギリシャ神話旅行後の変化についてだが、この変化が、三島が太宰を嫌う理由の一つなのではないかと思う。三島は弱々しい自分を旅行にて変えるきっかけを得て、強い自分になろうと変化した。しかし太宰は、弱々しい自分を「ねえ 僕弱いでしょ、同情して!」といった感じで受け入れるようにして変化していった。変化後は違うが、元々は同じものから派生しており、三島の太宰嫌いは同族嫌悪からきているのではないかと思う。いわゆる高校生デビューなるものをした陽キャ(?)が陰でずっとひっそりとジメジメとした生活をしている隠キャの他の生徒を嫌う感情なのだろう。







*こちら「私の遍歴時代」三島由紀夫を読んだ時の物です。

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