第四章 FIVE

 コンコン、ゆかりが扉を軽くノックをする。少し間が空いた後、すっと部屋の扉が開かれた。

 扉を開けたのは、真だ。彼女はゆかりと由沙を中に促し、扉を閉めると素早く鍵とチェーンロックをかけた。

 部屋は、狭いシングル。ノーメイクで頼んであったのか、ベッドは乱雑に乱れたままだった。

 机の上に小さなボストンバッグ、壁に紺の背広がハンガーにかけて吊るしてある。

 他には、ベッドの脇に薄いアタッシュケースがあるだけだった。


 「たっ、田辺って人は?」

 ユサは、ゆかりの後ろから恐る恐る周囲を見回しながら、それでも強い口調を保って尋ねた。

 「ここだ」

 部屋の隅で銃を片手に立っていた竜二が、にやりと笑いながら側のクロ-ゼットを示した。

 どうやら、その中に押し込まれているらしい。


 ゆかりが、真に向かって顎を杓った。

 頷くと、彼女は窓に寄って、締めてある分厚いカーテンに隙間がないか確認する。きっちり締めた事を確認し、ゆかりにもう一度頷いて見せた。

 次に、竜二がクロ-ゼットの扉を開ける。

 そこには、小柄な男が手足を縛られ猿ぐつわを噛まされた状態で、横向きに座らされていた。


 六十歳過ぎくらいだろうか、ばさばさの髪に白髪が混じっている貧相な男だった。田辺は一瞬眩しそうに目を細めたあと、小さな目で何度も瞬きした。

 それから、青黒い染みの浮いた顔を、由沙達の方に向ける。額と眉間と口元には、消しようのない深い皺が刻まれていた。


 男の目が、焦点を合わせようと彷徨う。そのうち、一点の方向に止まり、目が驚きに見開かれた。

 彼の視線の先に、ゆかりの背から顔を除かせる由沙がいた。

 ゆかりが竜二に顎を杓ると、彼が田辺の口から猿ぐつわを毟り取る。男は喘ぐように息を吸いながら、幽霊でも見ている様子で由沙を見つめ続けた。


 「・・・・本当に、そっくりだ」

 田辺が、掠れた声を絞り出す。

 「死んだ筈の、あの女に・・・・・」

 「あの女って、杉田由紀の事ね。あんた、何処まで知ってるの?」

 ゆかりの声で、田辺ははっと我に返った。そして、自分を取り囲む人間を、戸惑った表情で見回す。

 「・・・なっ、何だ貴様等。こんな事をして、どうするつもりだ?」

 「ばーか、そんな事も分かんないの?分かんないなら、自分の胸に聞いてみりゃいいでしょ」

 あからさまに侮蔑の態度を見せ、ゆかりは冷淡に言葉を返した。

 戸惑った男の表情が、不安に染まる。それから、次第に納得した表情へと変わっていった。


 「・・・・・そうか、貴様達だな。悉く、我々の邪魔をしていたのは。貴様達、杉田に雇われたんだろ。あくまでも私の邪魔をするつもりか、忌ま忌ましい男め」

 田辺の顔が、悔しそうに歪んだ。

 ロープを解こうと暴れまわり、勢い余ってクローゼットからごろりと転がり出る。

 それでも田辺は、体をくねらせて暴れ続けた。


 「無様な男ね、そんなに杉田が憎いの?助手に先を越されたからって、未だに根に持ってる訳?おまけに、一生懸命目をかけてやっていた女を奪われ、嫉妬に狂っちゃってさ。女にいいように使われた、あんたが馬鹿なのよ」

 男の前にしゃがみ込んで、ゆかりはにっこりと優しく笑う。

 田辺は一瞬ゆかりの顔に見惚れたが、すぐに自分を取り戻して彼女を睨みつけた。


 「・・・何故、そんな事まで知ってる?」

 ゆかりの口が、更に引き上げられた。

 「悪いけど、この男と二人にしてよ」

 男を見つめながら、ゆかりが言った。

 「何言ってんだ、そんな事出来るかよ!」

 竜二が、驚いて叫ぶ。

 そんな彼の腕を、慌てて真が引っ張った。


 「竜二さん、大声を出さないで下さい」

 「あら、大丈夫よ。少しくらい大声出したって、この部屋の周囲には誰もいないんだから、聞こえやしないわ」

 「そういう問題じゃないだろ、お前また・・・・」

 ゆかりは、竜二の言葉を視線で遮った。

 笑っているのに、氷のように冷たい視線。


 「出て行って。これは、命令よ。あたしのする事に口出しする権利は、あんたには無いのよ」

 ゆかりは、本気らしい。

 竜二が、小さく舌打ちした。

 それから、腹立たし気に壁を叩いて、そのまま部屋を出ていく。真も、すぐにその後に続いた。

 「あんたもよ」

 ゆかりは、由沙を見ずに告げた。

 けれど、由沙は動かない。いや、動かないと言うより動けなかったのだ。

 何かが、行かせまいと足を縛って、がんじがらめにしているようだった。

 大きく溜め息をつく。それから、意を決してその言葉を吐いた。


 「私は、直接の関係者よ。私も立ち会わせて」

 くるり、ゆかりの顔が由沙の方へ回る。

 しばらく、二人は無言のまま見つめ合っていた。

 それから少しして、ゆかりはにやっと笑って肩を竦める。


 「・・・・まあ、あんたには権利があるわね。どうぞ、居たいなら居てもいいわよ」

 意外にも、ゆかりはあっさりとOKしてくれた。

 ほっとした由沙の肩から、すっと力が抜ける。足を縛られたような感覚は、綺麗に消え去っていた。


 「竜二に何か言われたようだけど、あんたもとんだお人好しね。まあ、だからあの人とも気が合うんでしょうよ。あたしがこれからする事に立ち会おうなんて、あんたどうかしてるわよ」

 冗談めかして、ゆかり。

 言葉こそは軽いが、由沙には何処か暗い影を宿した言葉のように聞こえた。

 しかしゆかりは、そんな彼女の不安にはお構いなしに、田辺の方へ身をかがめる。


 「・・・・さてと、あんたは国立臨床科学研究所の博士ね。あんた達、どうして今更杉田の研究データを狙ってる訳?」

 「何の事だ?」

 田辺の顔に、うすら笑いが浮かぶ。

 若い娘が二人残った為か、彼は急に大胆不敵な態度になったようだ。

 ゆかりの目が、僅かに細められる。


 「あんた達が、由沙の頭の中のチップを狙ってる事ぐらい、こっちは先刻承知よ。で、何の為に、由沙を殺そうとしてたの?」

 ゆかりは、少し声のトーンを落として質問を続けた。

 トランシーバーでも、相手が考えていなければ情報は引き出せない。彼女は質問することで、相手の意識をそちらに向けようとしているのだろう。

 由沙はそう思ったが、本当の所ゆかりは、由沙に聞かせる為に直接田辺から言葉を引き出そうとしているようでもあった。


 「知らないな」

 男は笑ったまま、嘗めるような嫌らしい目で、ゆかりを上から下まで眺め回した。

 それから、やけに傲慢な口振りで言う。


 「君達がしている事は、犯罪だよ。捕まれば、即刻刑務所送りだ。こんな事は、止めたまえ。この縄を解いてくれれば、悪いようにはしない。さっきの男達にそそのかされているんだろ?今なら間に合う。なんなら、私が面倒を見てやってもいいんだよ」

 「何言ってるのよ!あなた達の方が、犯罪を犯してるんじゃない。お父さんは何処?どうして私を狙うのか、全部ちゃんと答えなさい!」

 かっとした由沙は、思わず怒鳴りつけた。それを、ゆかりが手で止める。

 それからゆかりは、制服のポケットから拳銃を取り出し、男の顎へと突きつけた。

 「つべこべ言ってないで、知ってる事を言いなさい」

 「なんだそりゃ、おもちゃじゃないのか?」

 田辺が、一瞬顔を引きつらせる。それでも、馬鹿にしたような口調は保っていた。


 「答えたら、許してあげてもいいわ。でも、答えないならもっと酷い目に会うわよ」

 ぐりぐりと、手にした銃を田辺の首筋に押しあてるゆかり。彼女のそうした仕種は、まるで脅しに馴れた者のようであった。

 彼は顔を顰めながら、顎を引いて銃口から逃れようとした。

 「君、冗談は止めたまえ。こんな事をして、一体何になるんだ」

 「これで最後よ、答えなさい」

 ゆかりは引き金に触れ、にっこりと笑った。

 凄味のある笑い方だ。

 男の顔に、恐怖と戸惑いが浮かぶ。


 彼にしてみれば、全く不思議だったろう。ほんの小娘にしか見えない少女が、まるでプロの殺し屋みたいに平然としているのだ。

 由沙までも、その表情にぞっとしたものを感じた。

 不意にゆかりは、ゆっくりと銃口を下に向けた。

 男がほっとしたのも束の間、彼女は後ろ手に縛られた彼の掌に、躊躇いもなく銃弾をぶち込んだ。

 プシュッ。消音され銃声が間抜けな音をたて、男の掌を貫く。

 田辺はうめき声をあげ、苦痛に顔を歪めた。

 それから、気を失いかけた状態で、わめきごえをあげた。


 「うわああぁっ!・・・痛いっ!痛いっ!なっ、何をする!」

 わめきながら、苦痛にのたうち回る田辺。

 由沙は、田辺が暴れる度に絨毯を汚す血を見て、一瞬気が遠くなりそうになった。

 人を傷付ける行為を平然とするゆかりが、とても信じられない。


 「本当に甘い女よね、あんたは。こいつが今まで、どんなことをして来たか分かる?手をぶち抜かれたくらい、どうってことないわ。ねぇ、叔父さん」

 ゆかりは銃を玩びながら、転げ回る田辺に向かって言った。

 「立場を利用して、数えきれないくらいの女を犯してきたのよね。こいつ、サドよ。泣き叫ぶ女を、無理やり犯すのが趣味みたい。縛り上げて、顔が腫れるほど殴って、哀れな声で命乞いをさせる訳。まともなやつじゃ、萎びたものがおっ立たないってこと。犯すだけ犯した後は、金を握らせて終わり。何処で手に入れたか分からない汚い金で、何でもかたが着くと思ってんだから、脳味噌の腐ったじじいよね」

 田辺は、まだのたうち回っていた。叫び過ぎたのか、枯れた声でひいひいと喉を鳴らしている。


 「あんたはその腐った頭で、あたしを縛って犯したいと思ってたようだけど、残念ね。今縛られているのはあんたで、殴られるのもあんたなのよ」

 銃の後ろで強かに田辺を顎を殴り付け、ゆかりは高らかに笑った。

 それから、不意に笑いを止めて由沙を見る。


 「由沙、あんたが見たいってなら、今度こそ見せてあげるわ。コントローラーの力を、そしてDisastaerの姿をね・・・・」

 彼女の薄い瞳が、感情を映さない闇の色に染まった。

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