第四章 FOUR

 由沙を隣に乗せた竜二の車は、細い道をスピードも落とさず走り抜けていた。

 山に端に沈みかけた夕日が、紅となって景色に溶ける。

 窓から吹き込んでくる爽やかな風と共に、スピーカーから少し懐かしい洋楽が流れていた。

 時刻は六時を大分回った頃。ラッシュになる大通りを避けて、チャコールグレーのスポーツカーは、車の少ない道を選びながら目的地を目指した。


 「田辺は、ハーバーサイドと言うホテルに泊まってる。ちょっと寂れた感じの、ビジネスホテルだ。立派な博士様が泊まるにしちゃ、しけたとこだぜ」

 ハンドルを切って左折した後、竜二はニヒルな笑みを口許に浮かべて言った。

 何時もは薄っぺらな優男と言う感じだが、こういう笑い方をすると野性的味が増す。

 表情一つで、大胆不敵な男に変身するのだから、竜二も不思議な男だ。

 由沙は、窓枠に肘を付いて凭れながら、自分より遙に年上の男を横目で見た。


 田辺が見つかったという報告を聞いて、由沙は一緒に同行させて欲しいと願い出た。最初は渋っていたが、どうしても真実を自分の耳で知りたいと言うと、彼は暫く考え込んだ後OKしてくれた。


 危険なのは分かっている。真かゆかりと一緒に、部屋に留まっていた方が安全な事も。

 でも、それが嫌だった。これは、自分の問題だ。勿論何が出来る訳でもないだろうが、それでも自分の足で行動したいと思ったのだ。


 風で髪が踊り、頬をくすぐる。鬱陶しいそれを手で払いのけ、こうして自分の身に起こった事の奇妙さを改めて感じた。

 たったこの間まで、ごく普通の高校生だったのに・・・・・。


 成績も良く、真面目な優等生。

 正義感が人一倍強くて、悪い事は許せない性格。自分より遙に大きな男の子相手でも、間違っていると思ったことには黙っていられない。

 それが、自分だと思っていた。


 委員会の仕事、自治会の決められた作業、家事炊事。そんなものに追われていながらも、それなりに楽しく過ごしていた日々。

 クラスメートに煙たがられていたが、由沙は別に辛いとは思っていなかった。勉強も出来たしスポーツも得意だったから、自分を卑下する必要はなかったのだ。

 正しい事をしている、そう思って胸を張っていた。

 ゆかり達と出会うまでは、全てが順調に進んでいたのだ。


 それなのに・・・・。


 何時の間にか、とんでもない人達と関わる事になってしまった。

 彼女らは、由沙の知らなかった世界に住む人達。

 平気で人を傷付け、必要とあらば殺人まで犯す。恐ろしく冷淡な世界で暮らす、由沙から見れば真っ黒と言っていい類の人間なのだ。

 本来なら、絶対に受け入れることが出来ない人達の筈。


 自分はそんな人達と行動を共にし、様々な悪を目の前にしながら、学校では何事も無かった振りを通す。良子を巻き込んだと言うのに、知らない顔をしている。

 偽りの生活を送っているETSの人間。

 自分も少しづつそういう世界に染まっていくようで、それが譬えようもなく怖かった。まるで、自分が自分でなくなっていくような気分になるのだ。


 「部屋は、708。田辺は、既に部屋に戻って来ているらしい。まず、俺と真が踏み込んで奴をふんじばる。由沙は、ゆかりと一緒に待機。事が上手くいったら、真を呼びにやる。シールドを張っておけば、暗殺者も近づけないだろう」

 ホテルの駐車場に着くと、竜二は一番奥の目立たない場所に車を停めて言った。


 それから素早く車から降り、ホテルの方へ歩いて行く。入れ代わりに、何処から現れたのか、ゆかりがさっと車に乗り込んで来た。

 ジーンズにぴったりとしたピンクのキャミソール、白いレースのカーデガンを羽織ったスタイルだ。

 いきなりの出現で、まだ心の準備が出来ていなかった由沙は、そわそわと落ち着きなく体を動かす。


 ──────竜二に付いて来た事に関して、何か言われるかもしれない。


 由沙はそう思って身構えていたが、彼女は別に何も言わなかった。

 ゆかりは、素早く運転席に座って、シートを手前にずらす。それから無言のまま、バックミラーの角度を直していた。

 「何してるの?」

 由沙は、ゆかりの行動に気付いて尋ねる。

 ブレーキを何度が踏んで確かめた後、ゆかりは笑みを浮かべた顔を由沙に向けた。

 「決まってんじゃない。いざと言う時の、逃げる準備よ」

 「逃げるって・・・、あなた免許持ってないでしょ?」

 驚いて、由沙は目を見開いた。


 ゆかりは由沙と同じ十六歳だ、当然車の免許なんて持っている筈がない。

 しかし、彼女は笑いながら、車のサイドボードにあった物を由沙の眼前につきつけた。

 「運転くらい出来るわよ。免許だって、ほら」

 そう言って彼女が見せてくれたのは、確かに免許証。顔写真も、ゆかりのものだった。

 けれど、名前が違う。北村舞、十九歳になっている。


 「・・・・これって」

 「偽物じゃないわよ。戸籍だけの人物ではあるけどね・・・・」

 ゆかりは事もなく言って、免許証をまたサイドボードに戻した。

 「あんたも、ETSに入れば貰えるわ。但し、その前に過酷な教習があるけどね。仕事に必要な免許なら、何だって取れるのよ」

 「ETSって、一体どんな会社なの?」

 「ETSはね、どんなことでも合法的に出来る会社よ。色々な政府機関とも繋がりがあるの、だからこんな事くらい朝飯前。それこそ、社にとって都合のいい人物を、総理大臣にする事だって可能だわ」

 由沙は、そのスケールの大きな話しに、思わず唖然としてしまった。

 そんなに凄い力が有るなら、国だって動かせるんじゃないだろうか?


 「そうよ、今の日本にとって、ETSは無くてはならない会社だと思うわ。なんたってスパイから工作、情報操作まで、裏の仕事は殆どうちの会社に舞い込んで来るんだもの。そんな会社にスカウトされたんだから、あんたも光栄に思う事ね」

 けらけら笑って、ゆかりは由沙の肩を叩いた。


 それからしばらく待つ事、首尾は上手く進んだようで、ホテルの入口の方から真の姿が現れた。彼女は車から見える位置まで来ると、何か忘れ物でもしたような素振りで引き返して行く。

 それを見て、ゆかりは車のキーを引き抜いた。

 「行くわよ」

 由沙を促し、車から降りる。ホテルの玄関に向かいながら、ゆかりはキーのリモコンで車のロックをかけた。


 ホテルに入ると、フロントの前を素通りしてエレベーターに向かう。ゆかりが力を使っていたのか、フロント嬢はこちらを見向きもしなかった。

 しばらくグレイの絨毯を歩いた後、グリーンの扉で遮断されたエレベーターの前まで来て、二人は足を止めた。


 エレベーターは、八階で止まったままだ。

 ゆかりの白い繊細な指が、上の矢印が描かれたボタンを押す。五百円玉程の四角いランプに、赤い色が灯った。

 一時ほどして、エレベーターが降りて来る。誰かが乗り込んで来るんじゃないかという心配は、どうやら必要なさそうだった。

 二人を乗せると、今度は小さな箱が上昇して行く。


 ゆかりは鏡張りの壁に凭れ、何か考え込んでいるようだった。・・・ただ、口許の笑みは何時も通り。

 ピンポン。低い音と共に、エレベーターが止まった。まずゆかりが下りて、由沙もその後に続く。そのまま、彼女の行く方へついて歩いた。

 普段は必要ないくらい喋る人が、さっきから妙に無口だ。

 由沙はそれが薄気味悪くて、ぶるっと体を震わせた。なんだか、緊張してくる。


 「失礼ね、敵地に乗り込む時は、下手に喋ったりしないのが原則よ。何処に何があるか分からないでしょ」

 ゆかりが、聞こえるか聞こえないかという小ささで答えた

 由沙はそれを聞いて、なるほどと納得する。確かに、ぺらぺら喋るような状況ではなかった。

 そこまで考えて、ふっと思い出したようにゆかりを見る。

 心を読まれた事に、余り違和感を感じなかったのだ。

 それどころか、タイミングよく言葉が返って来たので、喋っている時よりスムーズに感じられた。


 「だから言ったじゃない、慣れればどうって事ないって。あんたとあたしは、意識レベルが近いんだから、普通よりもそれが上手くいく筈よ。そのうちあんたには、あたしの意思が直接聞こえるようになる。そうすれば、デュオだって組めるって訳」

 「デュオ?」

 グレーの絨毯が敷かれた通路を、708の部屋に向かって歩いている間、由沙は声のトーンを気にしながら怪訝そうに尋ねた。


 「あんまり口を開かないでよ、あたしはセンサ-があるから、周囲の状況はすぐ察知する事が出来るけど、あんたはそうじゃないのよ。誰に見られるとも限らないし、なるべく口を開けずに喋る訓練もしておいた方がいいわよ」

 ゆかりは前置きにそう言ってから、改めて由沙の質問に答えた。


 「デュオってのはね、意識レベルが近い者同士が、互いに協力して仕事にあたるって方法。トランシーバーとかコンテナーとかと同じETS用語よ。・・・例えば、トランシーバーとコンテナーの場合、コンテナーがドライバ-ー受信者)、トランシーバーがナビゲ-タ-(送信者)っていう関係になるの。車に乗ってる状況を考えて。ドライバーは運転してて、ナビが地図を見て道を示す。それと同じこと。ドライバーを主体として、ナビが色々補助を行う訳。そうすると、仕事もよりスムーズになるでしょ」

 「・・・・なんだか、良く分からないんだけど」

 「委員長の癖に、頭悪いわね」

 ほっと大袈裟に溜め息を突き、わざとらしく肩を竦めるゆかり。

 由沙は、むっとしてゆかりを睨んだ。


 「つまり、トランシーバーがコンテナーの目や耳になり、必要な情報を直接送る訳。トランシーバーは遠くにいても、コンテナーを媒体として能力を発揮する事が出来る。つまりトランシーバーも、コンテナーの目で見て耳で聞いて、その感覚を使って感じる事が出来るようになるの。コンテナーはトランシーバーの指示に従って、敵の様子を知ったり自分が進む方向を決める。早い話し、二人で一人て関係ね。それが、デュオを組むって事」


 と言われても、由沙にはやはり理解出来なかった。

 なんとなく意味は分かるのだが、納得する事が出来ない。

 由沙が無自覚の能力者である限り、理解出来ないのは当然だった。

 「まあいいわ、あんたもそのうち分かるから・・・・」

 目的の部屋まで来たので、ゆかりは話しを終わらせた。

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