第四章 TOW
それから数日は、何事もなく過ぎていった。
相変わらず、真とゆかりは昼と夜の交代で由沙のガードしてくれている。
竜二は、残ったメンバーと交代で由沙の父親の捜索に出かけ、由沙は毎日学校へ通う。
気がつくと、何時だって由沙は蚊帳の外だった。
そのせいか、守られて過ごすのも、なんだか気が重くなり出していた。
自分の事なのに。
ゆかりは、何も出来ないんだから黙って見ておけと、例の辛辣な口調で言うだけなのだが・・・・・。
その日、珍しく竜二と一緒だった。
ゆかりと一緒に学校から戻って見ると、真ではなく竜二が待っていたのである。
何時もなら、真とゆかりが交代で由沙のガー
ドをするのが当たり前になっていた。
けれど今回は、人探しが得意な真が田辺という男の行方を追っていると言うことだった。
それから、真がトランシーバーのゆかりも調査した方が早いと言い出したらしく、散々文句を言った後、ゆかりも一緒に出掛けて行ってしまったのだ。
結果として、竜二が由沙のガードに回る事になった。
鞄をソファーの上に置き、由沙は制服のままキッチンの向かう。そこから、竜二に向かって大きな声で呼び掛けた。
「何か飲む?」
竜二は由沙より八つも年上だが、どことなく親しみ易い所があって、由沙も遠慮なく気軽な話し方をさせて貰っている。
どちらかと言えば、同性でありながら真の方が、一緒にいて緊張してしまう部分があった。
なんと言うか、奥に踏み込んではいけないような、ガラスで出来た透明な壁のようなものを感じてしまう。
あの綺麗な目でじっと見つめられると、どうにも居心地の悪い気分にさせられるし。
「悪いな、コーヒーが飲みたい。うんと濃いやつ」
すぐに竜二の声が返ってくる。
由沙は沢山あるコーヒー豆からキリマンジャロを選んで、コーヒーメーカーにセットした。
コーヒー好きのゆかりは、常に何種類かの豆を常備している。
ゆかりは、中でもブラジルが好きなようだった。
竜二は、キリマンジャロ。真は、コーヒーより紅茶が好き。
コーヒー豆だけでなく、三人の味の好みまで分かるようになった今日この頃。
複雑な気分になる。
ゆかりは、由沙に自分の身の周りの世話をさせていた。そんな事もあって、なんとなく成り行きからチームの食事の準備もするようになり、何時の間にか家政婦と化してしまった状況なのだ。
考えてみると、由沙がこの部屋で暮らすようになってから、ゆかりが家事らしい事をしている姿を見た覚えがなかった。
炊事洗濯どころか、脱いだ服は投げっぱなし、食べた皿も置きっぱなし、掃除もしていなかったらしく、あちこちに埃が雪のように積もっていた。
彼女曰く、今まで食事は全て外食で、洗濯は全てクリーニグ、どんな状態であろうと取り敢えず眠る場所さえ空いてればいいのだ、と何時もの偉そうな口調で話していたが。
やはり、人は見かけでは決められない。
由沙は、溜め息をつきながらつくづくと思う。
あんなに何もしない人が、よく今まで一人で暮らせたものだ、と。
コーヒーが出来上がったので、食器棚からカップを出して注いだ。次に、冷蔵庫からオレンジジュースのボトルを取り出し、自分用のグラスに注ぐ。
ジュースを冷蔵庫に戻した後、小さめのトレーにカップとグラスを乗せて部屋に向かった。
見ると竜二は、ジュ-スの空き缶を灰皿にして、ぷかぷかと煙草なんか吹かしている。
「おっ、サンキュー」
由沙がテーブルにカップを置くと、彼は煙草を空き缶の淵に押しつけ、運んで来たカップに手を伸ばした。
由沙は、テーブルを挟んだ彼の正面に座り、トレーを脇に置く。そして、眼鏡の位置を直しながら僅かに目を細めた。
「竜二って、煙草を吸うの?」
辺りに充満した煙を手で払い、少し咎めるように言う。
すると竜二は、肩を竦めて口をへの字に曲げた。
「こいつは、俺の精神安定剤なんだ。俺が何時もどんなに我慢してるか、ちっとは分かってくれよ。どいつもこいつも、禁煙禁煙って言いやがってよ、喫煙者を人間じゃねぇような目でみやがる。差別だぜ全く・・・・」
コーヒーを口に運びながら、忌ま忌まし気に吐き捨てる。
今日の竜二は、珍しくサングラスをかけていない。さらりとした前髪が目を隠すくらいに延びてはいたが、彼の顔が何時もよりよく見て取れた。
こうやって見ると、確かにハンサムっだった。にやにやしていなければ、俳優と間違われるかもしれない。
ゆかりにしても、真にしても、竜二にしても・・・・。
────ETSって、顔で選ぶのかしら?
そんな疑問を感じたが、すぐにそうではないと気付いた。
何故なら、自分もまたスカウトを受けていたのだ。
「そのわりに、ここでは余り吸わないじゃない」
自分もグラスに口を付け、上目使いに竜二を見る。
軽く言葉を返しながらも、自分が年上の男の人とこんな風に気軽に喋っている事が、由沙にはなんだか不思議に思えた。
クラスの男子とも、これほど気軽に喋ったりしない。元々男の子には興味なかったし、喋るのは苦手だったら、クラス委員としての仕事の時以外殆ど話し掛ける事もなかった。
・・・・まあ、男子の方が由沙を避けている感じもあったが。
「そりゃお前、ゆかりに文句言われるからじゃねぇか。あいつこそ、煙草を吸う奴は人間の屑、みたいな態度を取るからな。能力者が煙草を吸うのは、一般人が煙草を吸う以上に愚かな行為なんだそうだ」
「ふーん、竜二ってゆかりの言う事には、何でも従うのね」
少し意地悪く言うと、彼はにやにや軽薄に笑った。
「ゆかりだけじゃないぜ、俺は世の中の女の子には全て優しい男なんだ。特に、可愛い女の子にはね。だから、お前の言う事にも何でも従っちゃうぜ」
低く甘い声を出し、前髪を気障に掻き上げる。
きらり、窓から差し込む西日で、金の指輪が光を反射して輝いた。
今時黒のスーツにサングラス(今はかけていないが)なんて、どういう趣味をしているんだろう?
由沙は、竜二を上から下まで眺め回して思った。
それに、この軽い雰囲気はどうにかならないものか・・・。
「私、そういう軽薄な冗談って嫌いなの」
彼女が言った途端、にやにや笑いを浮かべていた顔が、今度は拗ねた子供のような顔になる。
竜二はどさっとソファーの背にもたれ、足をだらし無くテーブルの上に投げ出した。
「ちぇっ、お前って可愛くないな。生真面目っつうか、やっぱ委員長してるだけの事はあるぜ。でもよ、そんなんで楽しい?・・・・あっ、お前、ひょっとして男嫌いじゃねぇか?俺と居る時と、ゆかりや真と居る時と、なんか違うような気がするぜ」
「それは、あなたの態度に問題があると思うわ」
憮然と言いながら、テーブルに乗った竜二の足を睨みつける由沙。
竜二はぶつぶつ言いながら、足をテーブルから下ろした。
が、すぐに思い直したように、にやっと笑みを浮かべる。
「嘘、嘘。本当は、ちょっと可愛いって思ってんだぜ。なあ、コンタクトにした方がいいんじゃないか?コンタクトにしろよ。なんかさ、そのオバサンみたいな眼鏡、どうにかした方がいいぜ。それに、そのお下げもダサくない?コンタクトにして、髪を下ろしたらいい感じになると思うけど。あと、もうちょっと笑えよ。お前、笑うとすげぇ可愛いと思うし。俺としては、可愛いお前が見たい訳」
「ふーん、そうやって何時も女の子を口説いてるの?」
あくまでも由沙は、竜二の言葉を信用していない。
彼は大袈裟に顔を顰め、ぽりぽりと指で頬を掻いた。
「お前、絶対男に偏見を持ってるだろ?そんなんじゃ、彼氏が出来ねぇぜ」
「煩いわね、別にいらないわよ。大体、私は元から可愛くないもの。あなただって、本当はゆかりのような美少女の方が好きなんでしょ。知ってるのよ、何時もゆかりしか目に入ってない癖に・・・・」
「へぇ、意外にちゃんと見てるんだな。どうしてどうして、中々観察眼が鋭いじゃねぇか。こりゃ、案外いいエンジニアになるかもな」
竜二は、冗談っぽく言って笑った。
「だけど、ちょっと外れ。気にしてるのは確かだが、そういった浮いた話しじゃねぇよ。それに、お前は気付いてないみたいだけど、俺から見たら、ゆかりよりお前の方がずっと可愛いと思うぜ」
竜二の言葉に、由沙は深い溜め息を返しただけだった。
「あっ、信じてねぇな。確かに、お前とゆかりと真が人形のように立ってたら、みんなゆかりや真に注目するかもしれねぇ。でもよ男の側から言うと、実際動いてる三人を見たら、きっとお前が一番目立つと思うぜ」
「信じられないわ」
由沙は、じろりと竜二を見上げて言った。
どう考えても、あの二人の方が目立つに決まっている。
「・・・まあ、言っても分からないかもな」
由沙の視線から逃れるかのように、竜二はカップの方へ目を逸らせた。
竜二の言う通り、由沙は鏡に映る自分の姿しか見た事が無いのだから、彼の言う事が信じられなかったとしても仕方無い。
しかし、もし誰かと話している自分を見れば、少しは自惚れもしただろう。
一瞬一瞬で移り変わる表情。純粋な心を宿す一途な目。その目は、生命の強さを秘めて挑戦的に輝く。
不器用な中に見え隠れする優しさも、本当は傷つき安い繊細さも、照れ隠しの無愛想さも、竜二はちゃんと気付いていた。
確かに、クラス委員としての由沙は、堅物で扱い難い相手かもしれない。しかし、深く係わっていけばいくほど、由沙という少女はまた違う輝きを持って映るのだ。
由沙自身は気付いていないが、彼女は意識せずに周囲の人を巻き込んで行く。
無事でいるとほっとし、無謀な行動にはらはらさせられ、落ち込んでいればつい慰めたくなる。明るく笑った顔が見たいと思い、突っ張って意地を張ってる時には、思わずつついてみずにはいられない。
そうした輝きは、真やゆかりには見受けられないものだ。
わざと素っ気ない態度を取ったりする所が、また妙に可愛らしかった。
けれど由沙は、やっぱり竜二の言葉など信じていないのか、あっさりとその言葉を聞き流して話題を変えた。
「ねえ、あなた達って、今までどういう風に生きてきたの?ETSのエンジニアって、どういう人達なの?」
グラスをとんとテーブルに置き、少し改まった口調になる。
途端、竜二の表情が僅かに曇った。
「由沙、俺達の過去は聞きっこ無しだぜ。俺達は、過去を捨てた者だ。ETSに集まるエンジニア達の多くは、過去なんて思い出したくないのさ。だから、過去を消して生きて行く」
「過去を消す?」
確か、真も同じような事を言っていた。しかし由沙には、それがどういう意味か分からなかった。
自分の過去を捨てるなんて、とても想像出来ない。
辛いことを忘れたいとは思うけれど、それじゃあ自分が今まで経験した様々な出来事も、全て否定してしまう事になるのではないだろうか?
由沙の思い出は、少なくとも辛い事ばかりじゃなかった。
「死んだ者となり、後は偽りの中で生きる。名前も経歴も全て、自分を作り変えて生きるのさ。勿論、普通の暮らしの真似事くらいなら出来る。が、一度ピジョンから指令が出ると、何が何でもその仕事をしなければならない」
「そんなので、楽しいの?」
由沙の言葉に、竜二は苦く笑った。
彼の瞳の中に、暗い影が宿る。
「楽しいとか、そういう問題じゃない。俺達は、そこでしか認められない。能力者としての自分が認められない限り、俺たちに救いはない」
「・・・・救い?」
「なあ由沙、お前は無自覚で育ったから、元々自覚のあったエンジニア達の気持ちは分からないんだろうが、一般人の中で暮らす能力者は悲惨だぜ。自分の力を隠して、ばれないように何時もびくびくしている。もし見つかれば、悪魔のように嫌われ罵られるからな。だから俺達は、能力を持って生まれて来ただけなのに、自分は人とは違うんだと劣等感を抱く。同時に歪んだ優越感も・・・・・」
竜二は苦い表情のまま、ポケットに手を突っ込んで、中から銀色に光るクロスのペンダントを取り出した。
それをぎゅっと握りしめ、またポケットに滑り込ませる。
「神がこの世に居るのなら、何の為に俺たちにこの力を与えたんだろうな。特殊な能力なんて、弱い人間には余る力だ。余る力を与えられた者は、不幸になる事しかできない。正しくても正しくなくても、力を使った時初めて罪に気付く」
「・・・・・どういう意味?」
由沙には、彼の語る言葉の意味は、半分も分からなかった。彼が何を思い、何を言おうとしているのか・・・・。
もう一度苦い笑みを浮かべて、竜二は肩を竦めた。
「馬鹿な男の愚痴だ。聞き流してくれ」
ぽつりと言い、コ-ヒ-を啜る。
しばらく、二人の間に重い沈黙が落ちた。
「お前を見ていると、なんとなく昔知っていた子を思い出す。純粋で優しい娘だった。俺に、生きる力を与えてくれた子だ。多分今でも、この世で一番好きな娘だ」
「なっ、何よ、急に・・・・」
由沙はちょっと顔を赤くして、ぶっきらぼうに返す。それから、照れ隠しに愛想のない言葉を言いかけ、ふっと口を閉ざした。
竜二が、不思議な目で自分を見ていたのだ。
まるで、大切な妹でも見るような目。
「・・・・何?」
由沙は、竜二の表情に戸惑った。彼が、こんなに優しい目を持っていた事に、今初めて気付いたのだ。
お人好し。真とゆかりが口を揃えて言う言葉が、頭の中に浮かんでくる。
「・・・・由沙」
竜二は一度口を開いて、言いにくそうに閉じた。それから、また口を開く。
「ゆかりの事、頼むよ。あいつは屈折した生き方をしたから、俺たちにはどうしようも出来ないくらい歪んじまった。でもお前なら、あいつの心を元通りには出来なくても、これ以上曲げないように出来るんじゃないかな」
何を言い出すのかと、少し驚いた。
竜二がゆかりに対して、何故そんな事を言うのかも分からない。
「私に・・・・・」
────そんな事が、出来る訳ないじゃない。
心の中で呟く。
ゆかりと同調した事で、由沙は計らずも彼女の内面を見てしまった。
ゆかりは、複雑なタイプの人間だ。誰がが何かしようとしたって、自分の方から拒否してしまうだろう。
由沙はそう言おうとしたが、竜二の言葉に遮られてしまう。
「お前に会って、あいつちょっと変わったんじゃないかな。何って言うか、お前に対して心を開いてるような気がする。誰にも開く事が出来なかった心を、お前は開く事が出来るんだ。由沙は、あいつの心を開く鍵を持ってるんだよ」
珍しく真面目な竜二の顔を見て、由沙は言葉を飲み込んだ。
いや・・・、これが竜二なのかもしれない。彼には何処か、真やゆかりとは違う、人の暖かさみたいなものがあるようだった。
────エンジニアって、みんな自分を隠して生きているのだろうか?
由沙が知っているETSのエンジニアは、三人しかいないのだが、なんとなくそんな事を考える。
それが本当だとしたら、エンジニアに対して何処か哀しいものを感じてしまうのだ。
・・・・それにしても、竜二は何故そんなにゆかりの心配をするのだろう?
一体、彼にとってゆかりは何なんだろう?
何故彼は、ゆかりの為にこんな切羽詰まった顔をするんだろう?
竜二の勢いに押されながら、様々な疑問が頭に浮かぶ。
「俺では、あいつを救えない。あいつは、俺を憎んでいる。だから、何も出来ない俺の代わりに、冷たく暗い海の底から引き上げてくれ。虫のいい願いだってのは分かる。だが例えお前を俺たちの居る闇の世界に引き入れる事になっても、それでも、ゆかりの側にいてやって欲しいんだ。それでお前が苦しむなら、俺を恨んでもいい」
竜二の顔を真っ直ぐ見つめ、由沙は自分の中の疑問をぶつけた。
「竜二、あなたにとってゆかりは、一体どういう存在なの?」
「・・・ゆかりは。・・・ゆかりは、俺の・・・」
不意に、竜二のポケットから電子音が響いた。
彼の携帯電話が鳴ったのだ。
竜二は素早くポケットから電話を出して、ピッとボタンを押した。
「俺だが・・・・」
しばらく電話の相手と遣り取りした後、彼は通話を切って由沙に顔を向けた。
電話をポケットに仕舞いながら、やりと不敵に笑う。
「由沙、真達が田辺を見つけた。これから、奴を絞りに行く」
由沙は、はっとして竜二のにやけ顔を見た。
────田辺康弘が見つかった。
これで、謎が全て解けるかもしれない。
由沙の頭はすぐにそれで一杯になり、さっきの会話はもう頭の隅へ追いやられてしまっていた。
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