第三章 TOW

 「杉原由沙の周囲で起こった件を、もう一度順序立てて考えてみたのですが」


 数日後、調査から戻って来た真は、ゆかりの部屋に入るなりそう言った。

 彼は、僅かな時間さえ無駄にしない性格のようだ。

 余計な事は殆ど喋らないし、用事が済めば一秒でも惜しむ様子で、早々に引き上げていく。


 「まず最初、杉原正明の部屋が荒らされました。我々がこの町に来て、七日目の出来事です。その次の日、由沙ちゃんが謎の車に襲われ、それから彼女の周囲を怪しげな者達がうろつくようになりました」

 「俺たちとほぼ同じ動きだな。俺たちは、彼女を確保する目的だが、あちらさんは違うようだ。ひょっとして、DLと関係があると思うのか?」

 竜二の質問に、真は少し考え込む。それから、ゆっくりと首を振った。


 「いえ、直接関係は無いと思います。DLなら、必ず能力者を使う筈。今回は、全く能力者の波動は感じられません。・・・恐らく、我々がこの町に来てすぐに事件が起きたのは、全くの偶然だと思いますね。だからこそ、判断が難しい」

 真は、すたすたと部屋を横切り、ソファ-に腰を下ろす。その横で竜二が、面倒臭そうに長い足を組んだ。


 ちなみにDLとは、Doram・Landと言う名のイベント会社の事だ。

 但し、それは表向きであり、実はETSと同じように能力者を抱えている、現在唯一のライバル会社だった。


 「博士の部屋からは、核心に迫るような情報は得られませんでした。ただ、僕のスクリーンで見た限り、その人物、または集団は、博士の持っている何かを探していたようですね。今までの調査から考えると、彼の研究に係わるデータではないかと思います」

 まっすぐ背筋を伸ばして座ったまま、真が話しを続ける。


 今、彼等が話し合いに使っているのはゆかりの部屋だった。

 十畳と六畳の洋室がある2DK、三人が居るのはその十畳の方だ。

 真の殺風景な部屋とは違い、テレビの他にオーディオ機器、それにゆかりの趣味かどうかいささか首を傾げたくなるような、可愛らしいカントリー風のチェストがある。

 チェストの上に花瓶があったが、何も花は生けられていなかった。


 東側の壁に木製の組み立て式の棚もあった。やや大きめのその棚には、本やらCDやらビデオがずらりと並べてあった。

 いかにも難しそうな本の横に、コミック本が乱雑に積み重ねられている所など、一見しただけでは部屋の主の性格が分かり難い。


 実際部屋の持ち主は、その通り見ただけでは分からない、複雑怪奇な性格をしていた。

 その部屋の主である野本ゆかりは、淡いブルーのソファーに身を沈め、珍しく無言のまま真達の話しを聞いていた。

 口許に、相変わらず柔らかな笑みを浮かべて。


 部屋に、由沙の姿は無い。

 精神的に疲れきっていた彼女は、隣の部屋に籠もったまま出て来ようとしないのだ。

 一応竜二が呼びに行ったのだが、乱暴に物を投げられた為、由沙の事は放っておく事にした。


 辛い思いをしているのだから、感情的になるのも仕方無い。それが、竜二の意見である。それに対して真は無関心、ゆかりは鼻で笑っただけだったが・・・。


 「由沙ちゃんを狙った車なんですが、僕はその時、謎の人物もしくは集団は、由沙ちゃんを拘束して博士を脅迫する為なのでは、と思っていました。博士の弱点は、由沙ちゃんだと思いますから。データを奪う為には、それが一番早い方法でしょう。・・・しかし、あの爆破事件を考えると、そういう単純な事ではないような気がします」。


 「確かに、由沙を拘束する為だけなら、あんな大掛かりな事をする必要もねぇよな。あれは寧ろ、由沙を殺そうとしたと思った方がいい」

 だらしない恰好でソファーに座っていた竜二が、甘いマスクに苦い表情を浮かべた。


 彼は、今日も黒のス-ツを着ており、紺のネクタイを締めていた。そして指に、ずらりと並ぶ銀の指輪。

 サングラスを外しているせいか、何時もよりは少し若く見える。

 歳の頃は二十代半ばくらい、少し目尻の下がった、フェミニスト風の二枚目だった。


 「しかし、そこで疑問が出て来るのです。彼らは、何故由沙ちゃんを殺さねばならないんでしょう?」

 「確かにそうだよな。博士の研究データが欲しいってだけなら、何も殺す必要はねぇからな。奴等は、一体何を狙ってるんだ?」


 「雑魚達は何も知らないようだし、それなら雑魚を使ってる連中を見つけるしかないじゃない。雑魚を突き詰めていけば、当然誰か出てくる筈よ。あたし達は一般人じゃないんだから、簡単なことでしょ」

 それまで沈黙を守っていたゆかりが、軽い調子で口を挟んだ。


 一瞬、竜二と真は沈黙する。

 確かにゆかりの言う通り、能力を使えば難しいことではない。

 ただ、その雑魚が多すぎて、中々上に突き当たらないのだ。


 「博士の行方は、まだ掴めていいません。誰かと一緒に、車に乗ったという場面は見えたんですが、まだそれ以上は・・・・・。正明の映像は、どうも掴み憎いのです。生に対する執着が薄いようで、そのぶん物に投影され憎いのかも。もう少し、時間を下さい」

 真は生真面目な様子で告げ、二人の顔を交互に見た。

 竜二が頷き、ゆかりは肩を竦める。


 「その前に、一度東京に飛んでみるつもりです。研究所を見れば、少しは何か分かるかもしれません。当時、研究室にあった物があればいいのですが・・・・」

 少し間を開けてから、真は抑揚のない平坦な声で告げた。


 真は、スクリーン(サイコメトラー)なのだ。そこにある物を見ただけで、誰が持ち主で何の為に使用されていたのかが分かる。

 「スクリーンってのは便利なもんだな」

 思い出したように、竜二。真は素っ気なく頷いて、表情の無い顔をゆかりの方に向けた。


 「・・・ただし、物が持つ記憶は、時が経過する程鮮明でなくなります。多分、断片的なものしか見えないでしょう。あまり、期待はしないで下さい」

 「分かってるわよ。こっちの事務所に言って、航空券を手配させておくわ。明日の朝便には、間に合わせるようする。ホテルや諸経費なんかは、後で請求して。何か分かった事があったら、どんな些細な事でも報告するのよ」

 仕事となるとゆかりも、何時もよりきちんとなるようだ。


 考えてみれば、一番年下のゆかりが一番偉そうにしているのだが、それについて二人とも不満に思っている様子はなかった。


 「俺は、もう一度杉原の身辺を探る。もし研究データを狙っているのなら、きっと何処かで誰かと接触があった筈だ」

 竜二はそう言うと、ゆかりの部屋を出て行った。

 残された二人の間に、嫌な沈黙が落ちる。


 「あたしも、ちょっと事務所へ行ってくるわ。あんたは、あたしが戻って来るまで由沙のガードをしといて」

 少しして、ゆかりが言った。

 余程真と二人になるのが嫌なのか、そそくさと立ち上がって戸口へと向かう。が、戸の前で振り返ると、思い出したようにこう言った。


 「そうそう、忘れる所だった。社長からの伝言よ。青山技師が見つかる事を心から祈っている、だって。言っとくけどあたしは、伝言を頼まれただけだからね。逆恨みとかしないでよ」

 「分かってますよ」

 真は、テーブルのコーヒーカップを見つめたまま言った。


 「あれは、事故です。・・・・そうじゃないんですか?」

 「そうよ、あれは事故よ。分かってるなら、別にいいわ」

 「分かってますよ、勿論」

 囁くように言って、長い睫毛を伏せる。

 ゆかりは肩を竦め、

 「まあいいわ」

 と言って部屋を出て行った。


 バタン。扉が乱暴に締まり、静寂が訪れる。

 真はゆかりが去った後の扉を見つめ、一人口の中で呟いた。

 「そうですね。今は、まだ・・・・・」

 それから、ふと気配を感じたような気がして、さっと振り返った。


 見ると、隣の部屋に籠もっていた由沙が、戸を少し開いて顔を覗かせている。由沙は真と目が合うと、さっと戸を閉めてしまった。

 「大丈夫ですよ、僕は何もしません。部屋に籠もってないで、出て来たらどうですか」

 しばらく間を置いてから、再び戸がゆっくりと開いた。


 由沙は先程から、戸の側でみんなの様子を伺っていたのである。

 戸口から眼鏡だけを除かせる由沙に、真は独り言のように言った。

 「信じてくれとは、言いませんけどね」

 その言い方が何となく淋しそうな気がして、由沙は躊躇いがちに部屋から出た。


 真だってゆかりの仲間なのだから、とても信じる気にはなれない。けれど、彼の周囲には、何処か言い知れない淋しさ漂っているのだ。

 何時も無表情なのは、それを隠す為なのかもしれない。


 「・・・・事故って、何?」

 由沙は真から随分離れた場所に立って、恐る恐る尋ねてみた。

 「聞いてたんですか・・・・・」

 別に咎める様子もなく、真はそう言っただけだった。けれど、それについて話す気はないらしい。


 由沙は、触れてはいけない事に触れてしまったと気付き、なんとなく決まり悪そうに視線を彷徨わせた。


 青山技師の事・・・・。


 ゆかりは、確かそんな事を言っていた。その人は、真と一体どういう関係なのだろう?

 名字が一緒なのだから、家族か兄弟か・・・・。


 そんな事をとりとめもなく考えていると、不意に真が立ち上がって由沙の方へ歩いて来た。思わず、びくっとして後ずさる。


 由沙は決して、こんな風にびくびくするタイプではない。けれど今は、何に対しても過剰に反応してしまうのだ。怖い、信じられない、そんな思いが先に立つ。


 「逃げないで、大丈夫ですよ。僕は、何もしません。同じ女性同士なんだし・・・・」

 ・・・・・・えっ?

 一瞬、由沙は真が言った言葉の意味が分からなかった。

 同じ、女性同士?

 それから、驚いて真を見る。悪いと思いながらも、上から下までじろじろと眺め回してしまった。


 「あれ、気がつきませんでしたか?僕は、別に隠してなんかいないのに」

 真はやっぱり生真面目な調子で言って、軽く肩を竦めた。

 「疑わなかった訳じゃないわ。でも、僕なんて言ってるし、それに名前が・・・・」

 「おかしいですか?まあ、本当の名前じゃないから当然ですね」

 「えっ?じゃあ、本当の名前って・・・・・」

 由沙がそれを尋ねようとすると、真はすっと目を伏せて首を振った。


 なんだか、無表情なのに途轍も無く悲しく見える。由沙は、相手が女性だと知っても、思わずドキットしてしまった。

 「それは、聞かないで下さい。僕は、過去を捨てたのです。今は、青山真というのが名前です」

 「でも・・・・」


 「それより、体の具合は大丈夫ですか?君、最近余り寝てないみたいだけど、それじゃ体を壊してしまいますよ。エンジニアになるんなら、もっと図太くなくては」

 遮るように、真。その言葉を聞いた途端、由沙はむっと顔を顰めた。

 苛々と眼鏡を直し、ふいっと顔を横に向ける。


 「私、エンジニアになんかなるつもりは有りません」

 「今は、そうでしょう。けれど、能力に目覚めれば、その気も変わりますよ」

 静かに言って、真は透明な視線を真っ直ぐ由沙に注いだ。


 綺麗な目で見つめられ、思わず由沙の方が視線を外す。真には、何処か気軽には接せられないような、不思議な雰囲気があった。


 「私は、能力なんて無いから・・・」

 ぼそり。不機嫌に言う。


 ───── 何故この人達は、私を能力者だと思い込んでいるのだろう?


 そんな物なんて無いと、自分が一番よく知っているのに。


 「いずれ、分かりますよ。出来れば、その時君が冷静でいられる事を、心から願っています」

 真はそれだけ言うと、唐突に回れ右をしてソファ-に戻った。

 由沙は戸の前で佇んだまま、それはどういう意味なのかと、胸の中で問い掛ける事しか出来なかった。


               

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