第三章 ONE
「みんなも知っていると思うが、昨日原田の家でガス爆発があり・・・・」
静まり返った教室の中で、担任のぼそぼそ声が響きわたる。
良子の家が爆破された事件は、翌日の朝刊に単なるガス爆発の事故として報じられていた。
不思議なのは、ゆかりが殺した筈の男達の事は、全く記事になっていなかった事。
その疑問に対してゆかりは、専門の連中が片づけたと言っただけだった。
由沙は、沈痛な顔で語られる先生の話を、まるで他人ごとのように聞き流す。
心に、ぽっかりと穴が開いたような気分だ。感情が全て、麻痺してしまったように感じられる。
「原田君とその御家族の冥福を祈って、一分間の黙祷を捧げます」
重たい沈黙。由沙は目を閉じて、冥福を祈る代わりに懺悔した。
────御免ね、よっちゃん。私がよっちゃんに頼ったばかりに、こんな目に合わせちゃったね。でもきっと、よっちゃんの仇は取る。よっちゃんを殺した奴等を、私は絶対に許さないから・・・・・・。
ゆっくりと、目を開ける。
今まで目に映っていた物が、全て遠くへ消え去ったような気がした。
「ねぇ、先生の話を聞いて、泣けちゃった?そりゃそうだよね、委員長があの子を殺したようなもんだもん。クラスの子が知ったら、どう思うかしら?」
弁当の時間、昨日まで良子が座っていた席に、何故かゆかりが座っていた。
由沙は、良子以外の子とはさほどクラスメートとも親しくしていなかったので、他の者達も何処か遠慮がちに声をかけてくるだけだった。
が、ゆかりだけは何事も無かったように由沙の方に近づいて来て、何の断りもなくその席に座ったのである。
由沙は、それがとても不愉快だった。
良子の席には、もう誰も座れない。良子の代わりになれる人なんて、この世に一人もいやしないだろう。そう思っていただけに、ゆかりのその行為は良子に対する冒涜にさえ思えた。
それこそクラスメート達は、彼女の上っ面を信じ込んで、「野本さんて優しい人なのね」と感動したようだったが、由沙にとっては迷惑以外の何者でもない。
彼女はさも慰めているような振りで、由沙の耳に平然とそんな事を囁くのだから。
「・・・・そうよ。私がよっちゃんを殺したようなものよ。分かってる・・・・、分かってるから、もう放っておいて」
由沙は、一々傷をほじくり返すゆかりに向かって、少し苛々しながら呟いた。
「へぇ、それで今度は、復讐に命を燃やす訳ね。あんまり親友思いで、こっちまで泣けてきちゃうわ。ほんと、あんたってお綺麗な事よね。そんなの、単なる自己満足じゃない。あんたは自分がした事を、そういう勇気ある行動にすり替えて、目を逸らそうとしているんだわ。何が復讐よ、あんたがそいつらを全部皆殺しにしたとしても、結局何の意味もありゃしないわ」
耳元で囁くゆかりの言葉が、鋭い針となって心臓に突き刺さる。
由沙はきっとゆかりを睨み付け、悔しさに奥歯を噛み締めた。
何故彼女は、自分の考えている事が分かるんだろう?どうして、触れて欲しくない事を平然と突きつけるのだ?
ゆかりの言葉は、何から何まで正しくて、それが一層由沙を苛立たせた。
「睨まないでよ。どうして分かったかって?そんなの、あんたの顔をみりゃ分かるわよ」
にやにや笑いながら、ゆかり。
由沙はゆかりから顔を背けると、全ての思いを吐き出すように言った。
「あなたなんて、嫌いよ」
もういい。もう分かったから、どうか放っておいて欲しい。
殺されたって構わない。だから、何処かへ消えてくれと願う。
「嫌いで結構。あたしだって、あんたみたいな偽善者、大嫌いよ」
「じゃあ、何でひつこく付きまとうの?」
由沙は、うんざりした気持ちで呟いた。
由沙の気持ちなど無視して、勝手に話しを進めていくゆかり達。
由沙は、一人になりたかった。だから、ボディーガードなんて必要ないのだ。
そんな彼女の気持ちを知ってか知らずか、ゆかりはにっこりと微笑んで、
「仕事だからよ」
と言った。
由沙は昨日、ゆかり達から信じられない話しを聞かされた。
彼女達の正体と、その目的だ。
「あなた達は何者なの?」と言う由沙の質問に、ゆかりが答えた言葉がこれだった。
「あたし達は、エンジニアよ。あっ、会社用語ね。つまり、あんた達の言う超能力者」
そんな話し、信じられる訳がない。いくらゆかりが、拳銃を持つ高校生だとしてもだ。それならまだ『シ-クレットポリスよ』とでも言われた方がましだったかもしれない。
信じろと言う方が無理だ。そんな、馬鹿げた話し・・・・。
ゆかりの電話を受けて迎えに来た人物は、驚いた事にあの黒服の男だった。由沙の家の前、そして真のマンションの前に現れた男である。
そしてその車の助手席には、青山真の姿。
車は由沙達を乗せると、真っ直ぐゆかりのマンションに向かった。そして彼女の部屋で聞いたのが、その突拍子もない話しだった。
「まあ、あんたが信じないのも無理はないけどね。なんたって、あんたは無自覚の能力者なんだもん。つまり、思考回路は一般人と同じ訳でしょ?」
真が入れたコーヒーを飲みながら、ゆかりは何故自分達がここに居るのかを語り始めた。
彼女達はある会社で働いており、仕事の為にこの町に来たのだ、と。
その会社とは、「Eengineering Technical Service co.」通称いETSとう名で知られている会社だ。
由沙も、名前くらいは聞いた事がある。
それは大手の人材派遣会社で、技術指導者を育てる傍ら、彼らを各分野に新人育成のプロとして派遣する事で成功した会社だ。
テレビのCMや番組の提供で、必ず一日に一度は目にする名前である。
しかしゆかりの話では、それはあくまでも表の姿なのだと言う。
本当にETSが成功した理由は、裏の仕事に担う部分が大きいのだと・・・・。
ゆかり達は、その裏の部分で働いている者達。
ETSの裏、それは謀略の世界。
諜報、隠蔽、工作、情報操作。そうした仕事を、普通の人達より遙に上手くやり遂げてしまう者達がいる。
会社は特殊なルートで頼まれた仕事を、特殊な才能を持つ者達にやらせているのだそうだ。
エンジニア。そう呼ばれる超能力者達に・・・・・。
ゆかりも真も竜二も、超能力を持つエンジニアだと言う。
そして彼らが任された今回の仕事が、特殊な才能を持つ者のスカウト。つまり、由沙をETSに引き入れるという事だったのだ。
「あたし達としては、あんたの力を見極めた上で、自分から望んでETSに入って貰うよう仕向けたかったんだけど・・・・」
「その前に、君が予想外の事件に巻き込まれてしまったのです」
「それでまぁ、色々面倒になっちまったって言うか・・・・」
沈黙が落ちる。少しして由沙は、自分を見つめる三人の目を見返し、きっぱりと断言した。
「悪いけど、私にはそんな力は無いわ。きっと、何かの間違いよ」
余りにも、非現実過ぎる。馬鹿馬鹿しい作り話だ。
そう思って、冷笑さえ浮かべて見せた。
「だから、あんたは無自覚の能力者なのよ。でも、ちゃんと調べはついてるわ。この地域のピジョン、つまりエンジニアを管理している者が、あんたはコンテナー(PK能力者)らしいという報告を出しているのよ。あんたは気付いてないかもしれないけど、意識せずに能力を使っているみたいね。思い出しなさい、きっと奇妙に思った事が一度はある筈よ」
「確かに君の能力は、僕のスクリーン(サイコメトリ)で見ても微弱にしか感じられません。でも、それは多分君に強力なプロテクトがかかっているからだと思います。能力者であるのが分かっているのに、どれ程の能力なのか全く見当がつかないなんて、普通は有り得ないですからね」
「知らないわよ、そんな事。もう止めて、いい加減にしてよ。そんな馬鹿げた話しなんか、聞きたくない。お願いだから、私を放っておいて」
由沙は、次々と出てくる異常な話しに、ほとほと疲れ果てていた。
ただでさえあんな事があって、精神的にも参っているのに。
出来れば、何処か誰にも会わなくていい場所に行き、静かに眠りたいと思った。
「そういう訳にはいかないわ。これは、仕事なんだもの。あたしは、あんたの能力を目覚めさせ、会社の戦力にするよう命令されてるの」
ゆかりは、口許に笑みを浮かべたまま言った。
・・・・と言うより、彼女の口許には常に何かしら笑みらしきものが浮かんでいる。ゆかりは、不自然な程に何時も微笑んでいるのだった。
溜め息をついて、ソファーに沈み込む由沙。
由沙は、ゆかりという人物を完全に勘違いしていたようだ。
ゆかりは、決して優しい天使のような人ではない。
本当の姿は、冷酷で傲慢、自分勝手で威圧的な、人を人とも思わない、かなりいけすかないタイプの人間だった。
由沙がどんなに傷ついても、この目の前にいる少女には関係ない事なのだろう。
彼女はただ、自分が思った通りの事をする。例え、相手が真っ向から拒否しようとも・・・・。
「ゆかりさん、取り敢えずその話しは後に回して、まず目の前の障害を取り除く方がいいと思います。あれから、僕は杉原正明について調査したのですが・・・・」
由沙の横に腰を下ろしながら、真はゆかりの話しに割り込むような形で言った。
「・・・・どうぞ」
ゆかりが、おどおけた調子で返す。その顔には、笑み以外のものは一切浮かんでいなかった。
ところが、真が話し出した途端、由沙の気持ちは鉛のように重くなった。
意味の分からない不愉快感に、ちょっと気分が悪くなる。
今まで真に対してこんな気持ちになる事など無かったのに、何故なのか由沙には全く理解出来なかった。
「杉原正明は現在、有限会社ホワイト&クリ-ンと言う清掃会社で、準社員として働いています。出身はS県、そこに彼の両親と姉が今も住んでいるという事になっています」
「なってるんじゃなくて、そうなのよ。ただ、お父さんは家の反対を押し切って結婚したから、家には戻れないって言っていたけど・・・・」
真の言い方に不満を持った由沙は、思わず話しに割り込んで言った。
ちらりと、真が由沙に目を向ける。けれど何もそれに対して言い返す事はせず、無表情のまま話しを続けた。
「杉原正明という人物は、戸籍上存在していません。彼の本名は、杉田隆。生まれも育ちも横浜で、当然S県出身と言うのは全くのでたらめです。彼は有名な進学校を首席で卒業した後、T大の医学部に入学しました。その後大学院に進み博士号を取った後、国立臨床科学研究所で脳に関する研究をしていたようです」
真の予想もしていなかった報告に、由沙の目が開かれる。
それは聞いた事もない内容で、由沙は驚くよりも唖然としてしまった。
─────まさか・・・・、そん馬鹿な。
由沙の父親は、真面目しか取り柄のないような、ほんとうにごく普通の人だったのだ。
「彼が研究していた内容は、聴覚障害や視覚障害をケアする為に、脳の働きを補助するチップを作るというものでした。それを各神経部分に移植し、電気刺激によって人工的に脳へ伝達させるのだそうです。それにより、数分から数時間、視覚や聴覚が蘇ると彼は考えていたようでした」
「それが出来りゃ、確かにすげぇな」
ぽつり、竜二と言う男が呟く。
真は別段何の反応も示さず、再び話しを続けた。
「しかし彼は、十二年程まえに突然研究所を辞め、完全に消息を絶っています。その後この地に移り住み、偽名で暮らし始めたのでしょう。それ以来、そういう関係の仕事とは一切関わっていないようです」
メモを読む訳でもなく、すらすらと暗記した事柄を話す。頭がいいと言ったのは、まんざら嘘でもないようだった。
「因みに、彼の妻は彼が職場を辞めた年に死亡しています。鑑識の見解では、漏電による発火で起きた火事による焼死。何らかの原因で、地下研究室に閉じ込められた妻は、不運にも逃げ遅れたのだろうと言う事でした。研究所は密閉されていた為に熱が籠もり安くなっており、かなりの高温で短時間のうちに焼かれたようだと、報告書には記してありました。その妻も同じ研究所の職員で、名前は由紀。杉田とはT大時代からの友人で、同じ研究所に入った事で互いの距離が縮まったようです。二人は、研究所に入って三年目に入籍届けを出しています。それと、二人の間には三つになる子供がいました。名前は由沙。・・・・・しかし戸籍では、母由紀の死ぬ一年前に死んだ事になっています。死亡原因は、内蔵破裂による失血死。早い話し、交通事故死です」
真の口から淡々と語られる事柄は、由沙には到底信じられる代物ではなかった。
あの父親が、T大出のエリート。おまけに母親もだ。そして自分は、三つの時に死んだ事になっているのである。
そんな事、信じられる訳がない。もしそれが本当なら、ここにこうして生きている自分は誰なのだ?何故、正明の子供として育てられたのだ?
考えれば考えるほど、訳が分からなくなってくる。
それに父は、何故失踪せねばならなかったのだろう?それも、名前を偽るような事をしてまで・・・・。
次から次へと突きつけられる非現実な話しに、由沙は完全にパニック状態になっていた
「おい真、やばいんじゃないか?この子、大分ショックを受けてるみたいだぜ」
ゆかりの横でだらしなく座っていた竜二が、ぼりぼりと頭を掻きながら言う。
「確かに、ショッキングな話しです。けれど、これは全て事実なのです。真実を知る権利が、彼女にはあるのでは無いですか?」
「まあ、確かにそうかもしれないが・・・・・。でもよ、まだ十六なんだぜ。それも、今までごく普通に過ごしてきた娘だ。こんな重い真実を受け止めるには、まだまだ幼すぎる」
「あら、これからはETSで働く人間になるのよ。これくらいの事でショックを受けるようじゃ、こっちが困るわよ」
微塵の思いやりもないゆかりの言葉に、竜二は苦い表情を浮かべた。
「報告は、まだ終わりでは有りません。杉原正明、つまり杉田博士ですが、今日の昼頃から会社に戻っていないそうです。昼食を食べに行ったきり、そのまま無断で早退したようです。その後、何処へ行ったのかも分かりません」
「なんってこった」
竜二が、前髪をくしゃりと掴む。
「つまり、行方不明って事か・・・・」
ぽつり、竜二が呟いた言葉は、由沙に更なるショックを与えた。
正明は、由沙の知るかぎりで言えば、たった一人の肉親なのだ。その父がいなくなったら、これからどうやって生きていけばいいのか。
何も彼もが、分からない事だらけ。
つい昨日までは、ごく普通の生活を送ってきたと言うのに、一瞬にして奈落の底へたたき落とされた気分だった。
「とにかく、杉田博士の行方を探します。それと、由沙ちゃんを狙っている者の正体も必ず突き止めます」
『何か分かったら、また連絡します』
真は、そう言って部屋を出て行った。
溜め息をついて、由沙は首を振った。信じられる訳がないではないか、そんな突拍子もない話し・・・・。
「あんたは今まで、たいした事もなく気楽に過ごしていたかもしれないけど、これからはそんな訳にはいかないわよ。あんたにETSのエンジニアとしての自覚を持たせるのも、あたしの仕事だと覚えておいて」
隣でゆかりが、平然と言う。それから、にっこり笑ってフォークに刺した卵焼きを食べた。
由沙の弁当とゆかりの弁当は、全く同じものだ。勿論、どちらも由沙が作ったのだから当然と言えば当然。
ゆかりは、何から何まで、まるで小間使いのように、全てを由沙にやらせるのだ。それも、ただで泊まらせてあげてる上に、ボディーガードまでしてあげているのだから、当然だという言葉の元に。
由沙が嫌だと言うと、父親の消息が分からなくてもいいのかと脅す始末。
結局由沙は、野本ゆかりに従う他方法がなかった。
どうやって育てば、こんな根性のひん曲がった性格になるのだろう?
由沙は、優しかった親友の顔を思い浮かべ、不覚にも涙を零しそうになった。
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