第二章 FIVE
「あんたを狙ってる連中も、随分派手な事をするわね」
野本ゆかりは、燃え盛る炎を見つめたまま軽い口調で言う。
私を狙った連中?
由沙の頭の中で、その言葉がぼんやりと繰り返された。
ゆかりは、やはり笑ったまま。薄い色の瞳を、ゆっくりと由沙の方へ移す。
「それにしても、よくもまあ親友を見捨てられたものだわ。折角、教えてあげたのにね・・・・まあ、あたしには関係ないけど」
由沙は、楽しそうに言うゆかりを、訳の分からぬまま見つめ続けた。
頭に霧がかかったように、何も考えられない。
一体、この人は誰だろう?野本ゆかりに見えるが、本当に彼女なのだろうか?
由沙の中の野本ゆかりは、何時も天使のような微笑みを浮かべていた。こんな風に、冷たい笑い方はしない。
頭が混乱する。
それに彼女の口振りでは、由沙が狙われていた事を承知しているよう。
しかし何故、彼女は知っているのか?
「あーあ、この様子じゃ全焼ね。大きな家だったのに、勿体ない」
まるで人ごとのように、ゆかり。
はっと我に返って、良子の家を見る。
木造の二階建ての家が、轟々と燃え続けていた。
中学の時からの友。大切な大切な、たった一人の親友。
良子の家には、何度も遊びに行った。そして良子の家族は、その度に優しくしてくれた。温かい、思い出の一杯詰まった家。
大好きな人達・・・・。
「原田さんも可愛そう。あんたの親友だったばっかりに、こんなとばっちりを受けちゃってさ」
ゆかりは、さも面白そうに言って、けらけらと笑った。
突然、由沙はヒスッテリックな怒りを爆発させた。
「ちょっと、野本さん!」
混乱が、怒りに拍車をかける。
由沙は痛みを忘れ、がばっと立ち上がった。それから、噛みつかんばかりの勢いで、ゆかりに食ってかかる。
「見てないで、消防車とか呼んでくれたっていいじゃない!どうして、そんな平気な顔で見てるの?何で笑えるの?よっちゃんが、あの家の中に居るのよ!」
炎は、収まるどころか益々広がっていくばかり。いつの間にか、両隣の家にまで飛火している。
由沙は彼女の袖を掴み、狂ったように激しく揺った。
すらしとした体型、モデルよのうなプロポ-ション、美しい天使のような顔。
見上げた由沙の目に、悪魔のような冷笑が映る。
彼女の瞳の中に目の前で広がる炎が見えた。けれど、それに対する感傷は見当たらない。
ゆかりはクラスメートの危機に、眉一つ動かしはしなかった。
ライトグレーの瞳が、闇より更に暗い色を宿す。
「呼んだって、助かりゃしないわよ。責任転換しないで欲しいわね。あんたが彼女の家に行かなければ、こんな事にはならなかった筈よ」
「どういう意味?」
「はっ、学年トップが聞いて呆れるわ。あんたには、脳味噌が無い訳?それくらい、自分で考えなさいよ。あんたが居たから、あの家は爆破されたんでしょ。相手は、あんたを殺すつもりだった。でもあんたは、一人で逃げた」
由沙は、はっとして掴んでいた彼女の袖を放した。
「嘘・・・・だって、だってそんな筈は・・・・・。電話があって、私が外に出ないと何かするって言われて、それで慌てて外に出たのよ。まさか・・・、まさか、私のせいで
よっちゃんが・・・・」
次第に、由沙の声が震え始めた。込み上げてくるもので、息をする事さえ困難になる。
「ばーか、竜二はそんな事言ってないわよ。まあ確かに、あんたが勘違いするような言い方はさせたけどね。お蔭で苦労しなくてすんだわ。あんたが原田良子を助けようとしてたら、きっと爆破までに間に合わなかったもの。・・・ほんと、単純でよかったわ」
ゆかりは、由沙を見下ろしたままにやりと笑った。
「でもさ、どっちにしても結局は、あんたの存在が事を起こしたには違いないのよ。分かるでしょ?早い話し、あんたが彼女を殺したってこと」
続けて、容赦なく言う。
────私が、よっちゃんを・・・・・。
その事実に、愕然とする。
キーンと、頭の奥で金属音が響いた。
「・・・助けなきゃ。よっちゃんを助けなきゃ・・・・」
ふらつく足で、燃え盛る炎の方へ歩き出す。
激しい勢いで空に昇るオレンジが、レンズの前でぐにゃりと滲んだ。
由沙は泣きながら、夢遊病者のような歩みで進む。
心の中で、奇妙な疑似感覚を感じながら・・・・。
「無駄よ。あれほどの爆発だもの、多分三人とも即死でしょうね」
ゆかりが、由沙の腕を掴んで引いた。
パチンと、目から光が弾けたような感覚を感じる。何故そんなものを感じたか分からないが、その不愉快さに由沙は再び感情を爆発させた。
ゆかりの腕を乱暴に振り払って、やり場のない怒りを彼女にぶつける。
「嘘だわ・・・。嘘よ!よっちゃんが死ぬ訳ない!私は、よっちゃんを助けるのよ!」
「馬鹿じゃないの?あんな燃え盛る炎を前に、一体何が出来るって言うのよ。もし仮に家の中に入れたとしても、どうせ吹き飛ばされて、バラバラの死体を見つけるのがおちだわ。親友の無残な姿が見たいなら、勝手にすればいいけど」
ゆかりは、笑いながら言った。
氷りの刃より冷たい声で、由沙の胸を鋭く突き刺す。
「・・・・私は、・・・・私は、・・・・どうすればいいの?」
親友の危機を目の前にしながら、自分には何も出来ない。
その事実が、由沙の心を打ちのめした。
怒りは急速に冷え、今度は果てし無い無力感が押し寄せて来る。
がっくりとその場に膝を付き、由沙はアスファルトの道に額を擦り付けて泣いた。
激しく、激しく、声が枯れる程の大きさで・・・・。
「あーあ、しっかりものの委員長も、こうなると只の子供ね。感情が全くセーブ出来ていなじゃい。これだから、無自覚の能力者って厄介なのよ」
ゆかりはぶつぶつ呟きながら、学生鞄の蓋を開けて白い手を突っ込んだ。
「悪いけど、感傷に浸ってる暇は無いわよ。今度の事件は、こっちの予定も狂わされて迷惑してるんだから。お蔭で、自覚無しのあんたと、こうして接触しなきゃならなくなったわ。本当は、もっとスムーズな展開を望んでだけどね・・・・」
言うなり、鞄から手を引き抜く。同時にプシュっと空気が抜けるような音がし、二十メートル先に居た男がごろりと道に倒れた。
驚いて顔を上げた由沙が見た物は、黒光りする固まり。
ゆかりが鞄から取り出したのは、掌にすっぽり収まる程の小さな拳銃だったのだ。拳銃の先には、何か細長い筒状の物が付いている。
サイレンサーのような物に違いない。ゆかりは、その拳銃を使ってあの男を撃ち殺したのだ。
由沙は、恐怖に脅えた目でゆかりを見つめた。
「何よ、化け物でも見るみたいに・・・・。全部あんたのせいよ。あんたが真のマンションから逃げ出すから、余計にややこしくなっちゃったんじゃない。状況判断を誤った、あんたが悪いの。この責任、ちゃんと取って貰うからね」
続けざまに数発引きがねを引き、あっと言う間に三人の男を倒すゆかり。
それから、由沙の腕を掴んで乱暴に立たせる。その力は、華奢な体に似合わぬ程強かった。
ゆかりは、由沙を後ろから押すような形で歩かせながら、片手で制服のポケットを探り、スマホを取り出した。それを、器用に親指だけでプッシュして、誰かと会話を交わす。
「竜二、あたし。そこからポイント60、90の場所に居るから、すぐに迎えに来て。取り敢えず、あたしのマンションに行くわ。十分以内に来なさい。この距離で十分以上かかったら、あんたの運転技術を疑うからね」
ゆかりは、殆ど一方的に喋って通話を切った。
電話をポケットの中に戻し、脇に抱えていた鞄と持ち替える。
今頃になって、消防車のサイレンが聞こえてきた。
由沙はまるで脱け殻のように、ぼんやりとその音に耳を澄ませていた。
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