第二章 THREE

 「まだ終わっていません。やつらが出て来る前に、早くこの場から逃げた方がいい」

 なんとなく、聞き覚えのある声が言った。

 

 ・・・・・思わず、目を見開く。

 一瞬痛みも忘れた。


 由沙を無理やり立たせたのは、なんとあの青山真という男だったのだ。

 「どうして?」

 ぼんやりした状態で、由沙は惚けたように尋ねる。


 まだ息がぜいぜいあがっているが、呼吸は大分楽になったようだ。由沙は乾いた喉を湿らせるように、ごくっと唾を飲み込む。

 そして、もう一度彼に向かって尋ねた。


 「どうしてあなたがここに居るの?やつらって、誰?逃げた方がいいって、どういう事?」

 「どういう事もこういう事も、見た通りの事ですよ。そんな事より、早く!」

 真は、早口言葉のような事を言って、由沙の手を再び引っ張った。そのまま、引きずるように小さな脇道に入る。


 「ちょっと待ってよ。何よ、何なの!あれは何?どうして私が、こんな目に会わなきゃならないの!」

 狭い脇道を引きずられて歩きながら、由沙は叩きつけるように怒鳴った。

 誰かと一緒だという安堵感と、訳の分からない出来事に対する苛立ちが込み上げてきて、恐怖が怒りにとって代わったのだ。


 真は、振りほどこうともがく由沙の腕をしっかり掴み、子供に言ってきかせるような調子でゆっくりと言った。

 「大きな声を出したら、やつらに見つかってしまいます。君の話しは後で聞いてあげるから、今は僕を信じて僕の言う通りにして欲しいんですが・・・・」


 由沙はきっとして反論を唱えようとしたが、真の吸い込まれるような綺麗な目を見て、思わず口を閉じてしまった。


 まるで、深い海の底に眠る黒真珠のよう。意思が強そうで、透明で、でも寂しそうな目。

 何故か分からないが、由沙はその瞳に逆らう事が出来なかったのだ。


 こんな綺麗な目をした人を、悪い人とは思いたくなかったのかもしれない。

 その目から視線を逸らすと、由沙はぶっきらぼうに言った。

 「・・・・分かったわよ」


 途端、真の眉が少しだけ上がる。

 「君、そんなに簡単に僕を信じていいの?」

 「何よ、あなたが信じろって言った癖に!」

 「・・・・やれやれ、見掛けによらずってやつですか。まあ、信じて貰ってあり難いですけどね」

 真は、呆れたように言った。


 「だって、私を助けてくれたんでしょ?」

 むっとして睨みつけた由沙の瞳に、驚く程優しい笑みが映る。

 人間的な、温かい笑み。

 彼に、こんな笑みが出来るとは知らなかった。

 由沙はどきっとして、思わず顔を赤らめる。


 「君はきっと、幸せに育った人なんですね」

 そう言って、真は肩を竦めた。が、次の瞬間には、その暖かさは微塵もなくなっていた

 「あなたは、幸せじゃなかたの?」

 由沙は、彼と同じ歩調で歩きながら、不思議に思って尋ねる。


 真は少し考える表情になり、それから無表情に近い顔で答えた。

 「そうですね、幸せだと思った瞬間はありましたよ」

 それから彼の目が、虚空へと向けられる。しばらく見えない何かを探すように、視点を様々な方向へ向けていたが、ふっと由沙の顔に戻して言った。


 「今のところ安全兼ですが、油断は禁物です。無駄話しはこれくらいにして、取り敢えず僕のマンションに行きましょう」

 真が急に歩調を早めたので、由沙も慌ててそれに従う。


 それから二人は、狭い道をマンションに向かって黙々と歩いた。途中真は、どう考えても回り道としか思えない道を通ったりしていたが、由沙が指摘してもただ「念の為」と言っただけだった。


 それに、やたらとあちこちに工事中の看板が立っていて、このせいで人や車が通らなかったのだろうとも教えてくれた。


 しかし、何故なのか分からない。

 由沙は、自分が襲われる理由に全く思いあたらなかったのだ。

 黙々と歩く真も、それについては肩を竦める。


 そんな彼の横顔を見ながら、この人は何故こんな蝋人形みたいな表情をするのだろう、と由沙は密かに訝しんだ。

 ────笑っていた方が、素敵なのに・・・・。

 思ったけれど、口に出して尋ねる事はしなかった。


 マンションの部屋に着くと、真は鍵をしっかり閉じ、ドアチェーンをかけた。促されるまま、由沙も狭い玄関から部屋にあがる。


 先に部屋に入った真は、一度カーテン越しに窓の外を確認し、それから由沙の方を振り返って言った。

 「大丈夫、やつらは気付いていないようです」

 本当かな?そう思ったが、取り合えず小さく頷きながら、由沙は所在ない様子できょろきょろと部屋の中を見回した。


 二DKのマンション、由沙はその寝室ではない方に案内された。若い男の人が住んでいる部屋にしては、結構いい部屋だ。

 綺麗だし、それに広い。見た感じ、この部屋だけで十二畳くらいはあった。

 お金持ちなのか、それとも収入のいい仕事をしているのか。


 ・・・・・にしては、彼の部屋は殺風景だ。

 フロ-リング床の隅に、そのまま小さなテレビがぽんと置いてある。パイプの洋服掛けには、Gジャン一枚とジ-ンズ、それにTシャツが数枚。そのすぐ横に、フルフェイスのヘルメットがごろんと転がっていた。


 あるのは、それだけだ。若い男の子の部屋にしても、物が無さすぎる。

 「頬から血が出てますね。今、傷薬を持って来ます。それと、何か飲みますか?コーヒーと紅茶なら出来るけど・・・」

 「あっ、あの・・、紅茶」

 突然話し掛けられ、由沙はちょっと焦りながら答えた。


 「悪いけど、クッションとか無いんです。適当に座ってて」

 真はそう言って、キッチンの方へ消えて行った。


 かちゃかちゃ、食器がぶつかる音。それから、ザーッと水道の水が流れる音が聞こえてくる。

 由沙は取り敢えず部屋の隅っこで、壁によりかかって座った。


 しばらくすると、真がマグカップを片手に一つずつ持って現れた。どちらも、白と黒のチェック模様。彼は、右手に持っていた方を由沙に差し出した。

 「はい、どうぞ」

 「あっ、どうも・・・・」

 もぞもぞ口の中で言って、カップを受け取る。そして、遠慮がちに一口啜った。


 真は自分のカップを床に起き、ジーンズのポケットから傷薬を出す。その口から白い軟膏を絞り出すと、指につけて由沙の方へ屈み込んだ。


 「眼鏡、外してくれる?」

 「えっ?・・・ああ、はい」

 なんとなく緊張しながら、由沙は慌てて眼鏡を外した。

 彼の長い指が、彼女の頬に薬を擦りつける。

 由沙はちょっとドギマギしながらも、おとなしくされるままにしていた。


 眼鏡をかけていなくても、間近で見た真の顔が綺麗だと言う事は分かった。女の子のように睫毛が長く、切れ長の目が美しい。まるで純白の湖の上に、黒く輝く水晶が浮いているような・・・・・。


 なんて、美しい目だろう。

 鼻も高いし、眉も恰好いいし、唇もいい形。それに、微かにいい臭いを漂わせている。

 ・・・・・この人、本当に男の人だろうか?

 そんな疑問が浮かぶ。


 「はい、これでいいでしょう。浅いし、傷が残る心配は無いようです」

 そう言って、真は由沙の側から離れた。

 「あっ・・・・有り難う」

 由沙は口の中でもごもご言うと、外してしていた眼鏡をかけた。


 すると、

 「眼鏡が有るのと無いのでは、随分印象が違うんですね。その眼鏡、取った方がもっと可愛いと思いますよ」

 突然、真がそんな事を言う。


 由沙はかっと顔を赤くし、その顔を隠す為にコーヒーを啜る。この人はどんな顔でそんな事を言うのかと、真の顔をちらりと盗み見てみると、相変わらず無表情のままだった。


 ・・・・・からかってるのかしら?


 立ったままの状態で、コーヒーを飲む真を見つめる。彼は、細い体を支えるようにして片手を壁につけていた。

 しばらく、沈黙が続く。


 ふと我に返った由沙は、思い出したように鋭い調子で尋ねた。

 「あなたって、一体何者?何故、私が危ない時に現れたの?どうして、平然としているの?」

 真はその視線を真っ直ぐ受け、軽く肩を竦めて見せる。


 「それは、後で話してあげますよ。それよりさっきの事なんですけど・・・・、君は何者かに狙われているようだけど、何か身に覚えはないですか?」

 まるで世間話でもするように、軽い調子でその話題を振ってきた。

 由沙の肩が、びくっと震える。一瞬、あの恐怖が蘇ったのだ。


 「私、何が何だか分からないの。今までこんな事無かったのに、昨日といい今日といい本当に・・・・・」

 「昨日から・・・ですか。泥棒が入ったのは、君のお父さんの部屋でしたよね。君のお父さん、一体何の仕事をしてるんですか?」


 「別に、普通の清掃会社で働いてるわ。ビルの掃除とか、病院の掃除とか、日によって行く場所が違うみたいだけど・・・・」

 「・・・そうですか」

 真は顎を指で擦りながら、何やら考え込んでしまった。

 

 ────なんかこの人、変わった人だわ。

 ひっそりと思う。


 掴みどころがない、と言うか。

 冷たそうだし、何でもずけずけものを言うような人だし、なのに不愉快にならないのは、相手が美男子だからだろうか?

 これだけ綺麗な顔をした男の人を相手にすれば、由沙じゃなくてもぼーっとしてしまうだろう。


 その真、しばらくしてカップの液体を飲み干すと、無表情のまま言った。

 「僕が思うに、泥棒は金目当てじゃなかったんだと思いますよ。大抵プロの泥棒なら、ある程度の目星を付けて調べるのが普通です。あんな風に、あちこち引っ掻き回したりしない。きっとそいつは、君のお父さんが持っている物を探していたんでしょうね」

 「父が持ってる物って?」

 由沙は、半信半疑の表情で真を仰ぐ。


 「さあ、それは分かりません。でも、泥棒は見つけられなかった。あんなに散らかして去ったんだです、見つかったとは思えないですね」

 やはり真は、さらりと言って素っ気なく肩を竦めた。

 「何か、怖いわ」

 小さく呟き、由沙は立てた膝に顔を埋める。


 泥棒には気絶させられるわ、車には轢き殺されそうになるわ。

 散々な目に合ったのだ。

 普通の神経の持ち主なら、これで参らない訳はないだろう。強がりで意地っ張りだが、本当は繊細な心の持ち主である由沙は、命を狙われた事に対して相当堪えている。

 それでも気丈な性格から、どうにか泣き出さずに我慢しているのだ。


 「沈んでる所悪いんだけど、君のお父さんの連絡先を教えて貰えますか?君が狙われたくらいだからね、一応念の為君のお父さんの無事も確認したいんです」

 由沙はぎょっとして顔を上げ、真の蝋人形のような顔を見つめた。


 それから、優しい言葉の一つもかけてくれない彼に対して、軽い憤りを感じる。

 「あなた、冷たいのね。少しくらい、優しくしてくれてもいいんじゃないの?」

 「それで君の気が済むんなら、そうしてあげてもいいですよ。でもそれは、結局赤の他人の簡単な同情に過ぎないんですよ。ほんの一時の気休めでしかない。そんなもの、望むだけ無意味だと僕は思いますけどね。結局、僕にとっては人ごとですから」

 言った後、真はにっこりと笑った。


 かっと、由沙の頭に血が昇る。

 自然な笑い方とは違う、人を馬鹿にするような笑顔。別にあからさまにそんな笑い方をした訳ではないが、由沙にとってそれは嘲笑よりも悪意があるように思えた。


 「悪かったわね!あなたって、凄くムカつくわ」

 由沙は怒りを露にした顔で、胸ポケットに入れてあった生徒手帳を乱暴に取り出す。そこには、父親の勤務先の電話番号が記してあったのだ。

 真は渡された番号をしばらく見つめ、生徒手帳をすぐに由沙へと返した。


 「もういいの?」

 「ええ、ここにインプットしましたからね」

 生真面目な顔で、こめかみの辺りを指で指す。由沙は相手の自信満々の態度に、少しだけ嫌な顔をした。

 「頭がいいって事?」

 「そうですよ、僕は頭がいいんです」

 真は、当然のように言った。それを聞いて、益々顔を顰める由沙。


 そんな彼女の視線に頓着することなく、彼は寝室の方から電話の子機を持って来て、素知らぬ顔でボタンを押し始めた。それから、真面目な顔で由沙にこう忠告する。


 「敢えて言わせて貰えば、君はもっと人を疑うべきですね。この世は、欺瞞に満ちている。人は簡単に他人を欺き、だから欺かれないよう壁を作る。君は、無防備過ぎますよ。そんなんじゃ、騙される為に生きているようなものです」

 「そういう考え方って、好きじゃないわ。それに、そこまでお人好しでも無いし」

 由沙は、腹立たし気に言葉を返した。


 真は肩を竦め、しっと指を唇の前に立てた。それから、電話の相手と話し始める。

 「すみません、清掃の杉原正明をお願いしたいんですが・・・。はい、山本と言います。由沙さんのボーイフレンドだと言って貰えれば、分かると思うんですが」

 真の口から出任せに、由沙の眉がきりりとつり上がった。

 思わず文句を言いかけ、また真に指で止められる。

 由沙は、むっとした表情で開きかけた口を閉じた。

 しばらく待った後、彼はそうですかと言って電話を切った。


 それから、今度は違う番号を押す。

 「もしもし、いつもお世話になっております。ホワイトクリーン株式会社です。少々お伺いしたいのですが、うちの杉原は出勤してますでしょうか?いえ、一応確認だけで、・・・・はい、・・・・ああ、そうですか。分かりました、どうも有り難うございます。ええ、こちらこそよろしくお願いします。・・・はい

分かりました、では失礼します」

 ピッと外線を切って、真はくるりと由沙に顔を向けた。


 「君のお父さん、ちゃんと出勤しているみたいですね。今の所、大丈夫そうです」

 「ちょっと、何なのよさっきのは!勝手な事言わないで、お父さんが勘違いしたらどうするのよ!」

 由沙は、になって怒鳴った。しかし真は、至って平気な顔で言葉を返す。


 「君が知らないって言えば、それで済むでしょう。君のお父さんは、誰かの悪戯と思うんじゃないですか?」

 「私に、嘘を付けって言うの?私、あなたみたいに平気で嘘はつけないわ」

 由沙は剥きになって言ったが、真の方は聞こえない振りを決め込んだようだった。

 彼女の言葉を無視して、静かにカーテンの側に寄る。それから、ちらりとカーテンの隙間から外を覗いた。


 「ここは、大丈夫だと思います。そう簡単には、シールドは破れない筈」

 彼の呟きを聞き、由沙は怪訝な顔を作る。

 「シールドって、何?」

 「一種の結界です。閏年の日、日の出前に聖山に登り、日の出と共に三枚の札に真言を書き込むんです。そうすると、それには不思議な力が宿り、術者が念じた物に変化させる事が出来る。僕は悪人退治を専門にしてましてね、三枚の札は必需品なんですよ。こうして、結界を張る事も出来る」

 実に真面目な顔で、淡々と語る真。


 「それ、本当?」

 由沙は笑いかけて、すぐに引っ込めた。真の表情が、それほど真剣だったのだ。どう考えても信じられる訳がないが、もしかしたら彼は信じ込んでるのかも・・・・・。

 そんな事を信じるなんて馬鹿だと思うけれど、こんなに真剣に言われれば笑う事も出来ない。


 「ええ・・・・・」

 真の真剣さは変わらなかった。そして・・・・、

 「勿論嘘です」

 と、実に生真面目に言ったのだった。


 かーっと、由沙の顔が真っ赤に染まる。

 こんな人の話しを、真面目に聞いた自分こそ間抜けに思えた。

 「あなたねぇ、私を馬鹿にしてるでしょ!」

 地団太を踏んで悔しがる由沙に、真の表情が少し緩んだ。


 「君は、面白いほど気持ちが顔に出る人ですね。そういう人は、嫌いじゃないですよ」

 由沙は、更に顔を赤くして何か言おうとしたが、ふっと開きかけた口を閉じた。無表情だった真の面に、さっと暗い影が走ったからだ。

 それはほんの一瞬で、すぐまた元に戻ったのだが、由沙はそこに彼自身の思いを見たような気がした。


 ─────この人、本当に何者だろう?


 突然何処からともなく現れて、危ない所を助けてくれた。確かに胡散臭い人だけれど、悪い人には見えない。

 由沙は、じっと真の蝋人形のような顔を見つめた。その視線に気付いたのか、彼は窓の方へ向けていた顔を由沙の方へと戻す。

 それから切れ長の目を細め、静かに口を開いた。


 「ところで・・・・」

 何か言いかけた時、何処からか電話の音する。

 部屋の電話じゃない。多分、携帯電話の音だろう。由沙は、電子的な音を聞いてそう思った。

 真が、シャツの胸ポケットから携帯電話を出す。ちょっと由沙を気にした様子でピッと音を鳴らし、誰かと小さな声で話し始めた。

 そのまま、隣の部屋へ行ってしまう。

 由沙は怪訝に思って、ドア越しに彼の声を聞こうと耳を澄ませた。


 「・・・・はい・・・ええ、そうですね。・・・・多分、まだ大丈夫です。はい、・・・・・・気付いていないようです。・・・・・えっ、今からですか?・・・・そうですね、分かりました。・・・はい、すぐ行きます」

 真が電話を切った音を聞いて、由沙は慌ててドアの前から離れた。そして、なるべくわざとらしくならないよう、カップを手に考え事をしているふりをする。


 「ちょっと仕事の事で、これから人に会って来ます。ここは安全だと思うけど、僕が帰るまでドアは絶対開けないで下さいね。大丈夫、すぐ帰って来ますから・・・・」

 真は言いながら、Gジャンをハンガーから外し、さっと羽織った。それから、携帯電話をGジャンのポケットに入れる。


 「青山さんって、何の仕事をしてるの?」

 由沙は上目使いに彼を見て、少し意地悪く尋ねた。

 「派遣社員ですよ。ちょっと仕事にミスがあって、その処理を頼まないといけないんです。面倒なんですけどね・・・」

 ごく自然に言って、彼はテレビの上に置いていた鍵を取った。

 その後、確認するようにもう一度言う。


 「いいですか、絶対外に出ちゃ駄目ですよ。それから、僕が出たらチェーンロックをかけて下さい。今日は、ここに泊まった方がいいかもしれんませんね。お父さんの方には、友達の家に泊まるとか言って誤魔化して下さい。それと、僕に襲われるという不安があるなら心配無用です。こう見えても僕は、ちゃんとノーマルですからね」


 真は一方的に言ってから、真面目な顔で手を振ってそのままドアの外に消えた。

 しばらく物音がしたが、そのうち玄関でがちゃりと扉が閉まる。由沙は、すぐに玄関に走って、ドアチェーンをロックした。

 それから、また部屋に戻ってふっと気付く。

 そう言えば、真は変な事を言っていた。

 『僕はノ-マルだから』って?


 真のような美青年が自分を相手にするとも思えないが、仮にそんな事があったとしても彼の話し振りで言うと、由沙を襲う事はどうもノーマルじゃないらしい。

 どういう意味?

 異常な事はしないと言う意味の、ノーマルだったのだろうか?


 それとも・・・・。


 そんな下らない事を考えながら、何気なく窓の側に寄る。丁度、真がマンションの入口

から出て来た所が見えた。

 マンションの前の道を挟んだ向こう側に、チャコ-ルグレ-の車が停まっている。ちょ

っと古臭い形のスポ-ツカ-だ。


 真は少し周囲を伺いながら、ゆっくりとその車の方へ歩み寄って行った。

 スモ-クが張ってある窓が、半分ほど降りる。中から、サングラスをかけた男の顔が覗

いた。

 ぎくっと、由沙の肩が震えた。


 由沙の矯正視力は1、0だ。だから、五階から見た車の中の人物を、正確に見えたとは

言えなかった。が、直観的に彼女は、真と話している人物があの時由沙の家の前にいた人

物と同じであると確信した。

 あの、黒服の男だ。

 それが事実だとすると、真はあの男の仲間と言う事になる。これが、偶然と言えるだろ

うか?


 ────騙された!


 由沙は、すぐさまその事実を知った。

 真は男と話しを終えたのか、何か大きめの封筒を抱えて戻って来る。


 ────どうしよう?


 考えたのは、ほんの一瞬だった。答えが出るより先に、体の方が動く。気がつくと彼女

は、彼の部屋を飛び出していた。

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