第二章 TWO

 学校が終わると、由沙は真っ直ぐ家に向かった。


 途中までは、良子と一緒だった。良子は美術部員だが、絵画塾の日だけは部活を休む。

 由沙も、今日は委員会が無い日だ。

 良子の家は、学校から由沙の家までの丁度真ん中辺りにある

 一緒に帰るのは、当然のことであった。

 

 歩きながら良子は、美術部の面白い人の話しや、塾にいる恰好いい男の子の話しをしてくれた。由沙は、委員会で問題になっている課題や、最近読んだ本の話しをした。


 口下手な由沙は、余り話しをするのは得意ではないが、良子は聞き上手な所があって、ついつい話しを引き出されてしまう。


 きっと、学校内でのゴミの不始末問題や、不登校者へのカウンセリングについてや、授業中の生徒の態度を改善させる対策など、良子が聞いても楽しくはないだろうに。


 本が好きな由沙は、たまに本の話しもするが、読むのはどちからと言えば堅いものばかり。

 伝記や純文学、それに歴史小説が多かった。

 それなのに、良子は嫌な顔一つせずに聞いてくれる。


 他の人達なら、こうはいかないだろう。だから、不器用で堅物の由沙でも、良子とは上手く付き合っていけるのだ。


 「野本さんって、絶対由沙ちゃんとお友達になりたいのよ」

 二人の会話が途切れて、その為に出来た僅かな沈黙の後、良子は突然そんな事をった。


 「・・・・まさか」

 由沙は親友の言葉にぎょっとしながら、信じられないと言う風に言葉を返す。

 「どうしてそう思うの?」

 「だって、野本さん何時も由沙ちゃんを見てるわよ。なんか、よく話しかけてくるし」

 「私、余り人に好かれるタイプじゃないけど・・・・」


 「そんな事ない!由沙ちゃんは、不器用なだけなの。本当はすごく優しくて、思いやりのある人なんだけど、みんなそれに気付いてないだけ。あたしはずっと友達やってるから、誰よりそういう所を分かってるもん」

 剥きになって、良子が断言する。

 由沙はかっと顔を赤くし、それを誤魔化す為にふいっと横を向いた。


 「・・・・・何言ってるのよ」

 もごもご、口の中で呟く。

 「アハハッ、照れてる照れてる。由沙ちゃんって、凄く照れ屋さんだもんね。みんな、もっと由沙ちゃんのそういう所に気付けばいいのに。だって、勿体ないもん。由沙ちゃんこんなに可愛いのに」

 「あのねぇ・・・・・」

 由沙は顔を赤くしたまま、何時もの癖でずれてもいない眼鏡を直した。


 良子のこういう所が、適わないと思うのだ。自分だって可愛いとは思えない性格を、こうもあっさりと可愛いなんて言ってしまえるのだから・・・・。


 でもなんとなく、良子の存在で救われたような気になった。

 良子は何時も、自分でも気付かない良い所を見つけ、こうやって褒めてくれる。それは、父親でさえもしてくれない事だった。


 それから良子の家に着いても、しばらく二人は道端で他愛ない話しをしていたが、今度また映画を見に行くという約束をして別れた。


 一人になると、急に由沙の歩調は早くなる。

 彼女はせっかちなので、歩くのも早い。さっきまでは、良子に合わせてゆっくり歩いていたのだ。


 大きな歩幅で歩きながら、広い通りを左に曲がり、やや道幅の狭い道をまっすぐ進む。並木の向うに住宅があり、そのまた向うにサンライズマンションの頭が見えていた。


 ────あの青山真って言う人、一体何者だったんだろう?


 考えてから、ちょっと苦笑する。

 良子じゃないけれど、なんとなく、ミステリー小説のような事を考えていると思ったのだ。


 小説なら大抵、謎を解決する糸口があるものだが、残念ながら由沙にはそんなものはない。

 第一、ただ単に空き巣に入られて、何も盗まれなかったというだけの事だ。


 そういう事を真剣に考えている自体、滑稽な気がしてきた。

 青山真にしてもそうだろう。あの人は、自分の家のすぐ近くに住んでいるのだ。


 ど田舎ではないが間違っても都会とは言えない町、何かのきっかけで名前を知られていても不思議ではない。


 同じ学校の子が、妹か弟だという可能性だってある。

 案外彼の言う通り、偶然通りかかっただけと言うのが真実なのかもしれない。


 ────映画の見すぎよ。ちょっと非日常的な事があったからって、それで物語のような事が起こる訳じゃない。


 由沙は、少しだけ面白がっている部分を見つけて、自分を戒めた。

 大体、そういう事を期待する方が馬鹿なのだ。現実には、泥棒を捕まえる事なんか出来ないし、例え見つけたとしても近寄ったりするべきではない。怖いし危険だし、警察に任せるのが一番いい方法なのだ。


 ぼんやりそんな事を考えながら歩いていた由沙は、自分の背後からそっと近づいて来る怪しげな影には全く気付いていなかった。


 ────危ない!


 頭の中で、誰がが叫んだような気がした。

 同時に、エンジンを吹かす音が聞こえる。由沙は何も考える間もなく、声につられてぱっと横に逃げた。その脇を、白い車がスピードを出して走り抜けて行く。


 背筋を冷たいものが走った。一歩間違えれば、轢かれていたかもしれないのだ。

 由沙は、安堵の溜め息と共に、流れた冷汗を手で拭った。


 その後、むらむらと怒りが込み上げてくる。

 車が走り去った方向を睨みつけ、心の中で悪態をついた。


 ─────クラクションくらい鳴らしなさいよ。それにこんな狭い道で、スピ-ドの出しすぎ!


 ああ言う人が居るから、交通事故が無くならないんだわ。

 しばらくぶつぶつ文句を言っていたが、気を取り直して再び歩き始める。


 「まあいいわ・・・」

 声に出して呟き、溜め息をついた。

 轢かれなかっただけ良かった、と思う事にしたのだ。

 ・・・・しかし、危険はそれで終わりではなかった。


 その車は、少し先の三叉路の手前でいきなり急ブレーキをかけると、今度は凄い勢いでバックして来たのだ。

 驚いたのは、由沙だ。まさか、さっきの言葉を聞いていた訳でもないだろう。


 ────何なのよ、一体!


 由沙は腹を立てながらも、とにかく来た道を慌てて駆け戻った。

 とは言え、車と足では全然スピ-ドが違う。車はあっと言う間に由沙に追いつき、彼女の背に向かって来た。その上、スピ-ドを緩める事さえなく突っ込んで来た。


 一瞬、由沙の頭が真っ白になった。

 それでも、間一発で横道に飛び込む。三回ほど回転してどうにか止まったものの、肘や膝を擦り剥いてしまった。


 運動神経が良かったからこれで済んだが、もし鈍かったらマジで危なかった。

 ほっと安堵の溜め息を吐く。

 片耳にぶら下がってる状態の眼鏡を直して、それから車が去って行った方向を睨みつけた。


 「痛い、────あの車、私を殺す気?」

 擦り剥いた肘をさすりながら、立ち上がって制服の埃を払う。手に持っていた筈の鞄はさっきので落としてしまったようだ。


 「大体、後ろも見ないでバックしてくるなんて、非常識だわ!もう一度、教習所に通った方がいいわよ!」

 思わず、声を出して文句を言う。


 車が故意に由沙を襲ったとは、夢にも思っていない。乱暴にアスファルトを踏みつけながら、鞄を取りにさっきの道へ戻ろうとした。


 ・・・・・が、角からまた白い車が現れたのでぎょっとする。


 町で良く見掛ける、ごく普通のセダン。けれど、フロントガラスには濃いスモ-クが張ってあり、誰が運転しているのかよく分からない状態だった。


 ────あれって、違反じゃないの?


 車を見つめながら、そんな事を思う。なんとなく、嫌な予感がした。


 次の瞬間、由沙の予感は見事的中した。曲がりきった車が、いきなり加速を始めたのだ。エンジン音を高くしながら、凄い勢いで向かってくる。


 今度こそ由沙は、叫び声をあげた。

 間違いない、あれは自分を轢き殺そうとしているのだ。


 慌てて方向転換し、ダッシュで逃げる。周囲を見回しながら、飛び込める場所を探した。

 車のエンジン音が、すぐ後ろまで迫っている。由沙はパニックになりながら、やっとの思いで近くの家のガレージに身を滑り込ませた。


 間一髪で危機を避ける。けれど、あの車はまたやって来るかもしれない。


 なんとか恐怖に竦む足を動かし、不法進入している事に多少罪悪感を感じながらも、由沙はガレージの奥へと進んだ。

 それから、余所の家の庭を横切る。誰か出て来たらどうしようと思ったが、運良く誰にも咎められる事はなかった。


 そのまま、壁を越えて更に奥の家の庭へと移る。車のエンジン音だけが、再び近くを通り過ぎて行った。


 震える体を抱き締めながら、なるべく音が聞こえた方とは逆になるよう、彼女は次々と庭を越えた。


 十軒目の庭を越えた所で、いきなり犬に吠えられる。びっくりした由沙は、慌てて庭から飛び出した。

 そして、恐る恐る周囲を見回し、白い車がいないか確認する。


 ─────大丈夫だ、車は見えない。


 ほっと溜め息をついた。

 ・・・・が、安心するのは早かった。少し道を歩き出した所で、またもあの車が脇から現れたのだ。


 由沙の口から、声にならない悲鳴が漏れた。

 さっと全身の血が凍り、息も出来ないくらいの緊張が走る。


 ─────やだ、来ないでよ!


 由沙は、喘ぎながら再び走り出した。

 今度は、車が猛スピ-ドで襲って来るという事はなかった。が、由沙の背後にぴったりとくっついてくる。そのうち、窓からにゅっと何かが突き出された。


 パシュッ。間の抜けた音を聞いたと思った瞬間、何かが由沙の頬を掠めた。三つ編みが解け、長い髪が風に流れる。


 走りながら由沙は、そっと頬に手を当ててみた。そして、その手を今度は顔の前に広げる。

 ねっとり、指に付着した血。鋭い痛みに、顔を顰めた。


 ────何?・・・・何か、飛んで来たみたいだけど?


 酸欠の頭で一生懸命考えようとするのだが、早く逃げなければと気が急いて、上手く考える事が出来ない。由沙は考えるのを止め、とにかく車から逃げる事だけに集中した。


 窓から出ていたものは、一度車内に引っ込んだようだ。しかし、ちらりと振り返った由沙の目に、再び窓から突き出されたものが見えた。


 それは、どうやら誰かの手。そして指に何か、黒光する物を掴んでいる。あれは、もしかして・・・・。


 恐怖がどっと膨れ上がった。

 あれは、拳銃だ。さっきのは、拳銃の弾だったのだ。


 ────どうなってるの?ここは、平和な日本の筈よ。それもこんな田舎で、どうしてこんな目に会わないといけないの?


 もう嫌だ。怖い、助けて、殺される!


 由沙は、心の中で叫んだ。声を出そうにも、息が苦しくて出来ない。

 誰かに通りかかって欲しいのに、その日に限って誰も通ってくれなかった。


 車のエンジン音は、悪夢のように後ろから付きまとってくる。

 心臓が、飛び出しそうな程大きな音をたてていた。あまりの苦しさに、体の中のものが引っ繰り返りそうだ。


 足もふらつき、スピードが落ちる。

 このままでは、本当に撃ち殺されるか轢き殺されるかされてしまうだろう。

 由沙は、絶望的な気持ちになった。

 何で私がこんな目に合うのだろうと、その理不尽さに激しい怒りを感じる。


 訳の分からない事で殺されたら、死んでも死にきれないと思った。

 しかし、車はひつこくついて来る。


 ─────もう駄目。


 ぐにゃりと視界が歪む。不意に足がもつれ、由沙はその場にバタンと倒れ込んだ。

 殺される!


 目を閉じたと同時、キキキキキッと不気味なブレーキ音が聞こえた。そのすぐ後、ドーンと何かがぶかる音。

 恐る恐る目を開けて見ると、由沙を襲っていた車が、何処かの家の塀に激突していた。


 スピードが出ていなかったので、たいした衝撃ではない筈なのに、車はコンクリートの塀を突き抜け、その残骸に埋もれていたのだ。

 一瞬、何が起こったのか分からず茫然とする。


 ・・・・と、ぺったり座り込んだままの彼女の手を、いきなり誰かが引っ張り上げた。

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