第二章 ONE
昨日、由沙は、あの後警察に通報したのだが、結局何も取られていなかった事が判明しただけだった。
でも、問題はそこじゃない。
仕事から帰って来て事情を聞いた正明は、調べに来ていた警察官に、はっきり泥棒ではなかったと言い張ったのだ。
正明に押し切られた警察官は、ぶつぶつ文句を言いながら帰って行った。
彼女としては、被害がなかったとは言え、絶対犯人を探して貰うべきだと主張した。それなのに正明は、大袈裟な騒ぎになるのは嫌だと頑に反対した。
それでまた喧嘩になったが、最後は由沙も不承不承父の言葉を受け入れる事となった。
正明は、由沙以上に頑固なのである。
「へぇ、泥棒ってやっぱりいるんだね」
由沙の話しを聞いて、親友の良子が感心したような声を挙げる。
由沙は顔を顰め、そんな良子を窘めるように言い返した。
「あのねぇ、呑気に感心してる場合じゃないわよ。こっちは、そりゃ大変な目に合ったんだから」
一時間目と二時間目の間の休憩で、由沙は昨日の出来事を良子に手短に話してやったのだ。
泥棒に入られた事も怖かったが、本当は父に対する腹立を、誰かに聞いて貰いたかったという気持ちもある。
「でも、その泥棒、何も盗まなかったんでしょ?じゃあ、何の為に由沙ちゃんのパパの部屋を荒らしたのかな?」
良子が、ポッキ-の箱を由沙の方に傾けながら言う。
「それが謎なのよ。通帳とか時計とか現金も少しあったんだけど、それには一切手を付けてなかったの。お父さんも、凄く不思議がってた」
由沙は、溜め息を吐いて箱からポッキ-を一本摘んだ。
一端言葉が途切れた。
少し前で賑やかな笑い声が響いた後、良子が再び口を開いた。
「ふ-ん。なんか、ミステリ-小説みたい。その青山さんて人、カッコ良かったんでしょ?小説なら、最後はその人と恋人同士になったりするのよね」
にやにや笑いを浮かべ、ポッキーを齧る良子。
親友のお気楽な言葉に、由沙は苦々しく顔を顰めた。
「まさか・・・、確かにあの人、凄く綺麗な人ではあったけど、なんか冷たそうだったわ。それに、どうも胡散臭そうだったし・・・・。おまけに、私の名前を知ってたのよ」
「由沙ちゃんは可愛いからね、隠れファンだったりして・・・・」
「やめてよ、気持ち悪い。それに私、可愛くないわよ」
由沙は、全く取り合わずに言う。勿論本心からそう思ったのだが、良子はフフンと笑っただけだった。
と、
「何の話しをしているの?」
いきなり二人の間に、声がふってくる。
ぎょっとして顔を上げた由沙の目に、天使の微笑みが映った
彼女達に声をかけて来たのは、クラスの注目の的、超美少女の野本ゆかりである。
「べっ、別にたいした話しじゃ・・・・」
外人モデルのような顔を間近に見てどぎまぎしながらも、由沙は無愛想に答えた。
ゆかりには、昨日校舎の案内をしただけだ。その時少し喋ったが、親しくなったという程ではない。
転校生だから気になってはいたのだが、今日などはクラスの子が周囲を取り巻いていて、近寄る事さえ出来ない様子だった。
由沙が何をする必要もなく、他の子が勧んで野本ゆかりの世話を焼いてくれるのだ。
誰の意見も、野本ゆかりは美人なのに奢った所が無く、気さくで優しい人だと言う評価。
確かに、クラスの子の誰とも気軽に話す彼女は、そんな人なのかもしれない。
顔も良くてスタイルも良くて性格もいい、ついでに言えば成績も優秀らしく、編入試験も満点に近い点数で合格していると言う話し。
こんな完璧な人が、世の中にいるなんて・・・・・。
由沙は、ゆかりを見ているだけで、更にコンプレックスを刺激された。
「美味しそう、ポッキー貰っていい?」
ゆかりの方は、別に意識している様子もなく、気軽に言ってにっこり微笑む。
「どうぞ・・・」
由沙が応じると、彼女はしなやかな手を伸ばして、ポッキーを箱から引き抜いた。
そして、一口齧る。
たったそれだけの動作なのに、野本ゆかりだとCMを見ているように絵になった。
はあっと、良子の口から溜め息が漏れる。
「どうしたの?」
良子のうっとりした表情には気付かず、ゆかりは不思議そうに首を傾げた。
が、ふっと思いたったように彼女の手が伸びて、由沙の指に触れる。
途端、微かに静電気のようなものが体を突き抜けた。
────何?
それはごく微弱なものだったが、由沙は驚いて自分の手を引いた。
ゆかりも、由沙の態度を勘違いしたのか、慌てて手を引いた。
「御免なさい。杉原さんの指が綺麗だったから、つい・・・」
ちょっとはにかんだように、ゆかり。
自分の態度が彼女の気を悪くさせたかもと思い、由沙は戸惑い気味に首を横に振った。
「いいえ、違うの。ちょっと、静電気みたいなのが起こった気がして・・・・」
「静電気?空気が乾燥しているのかしら?」
「そう感じただけかも・・・・」
由沙は口籠もりながら、自分の手とゆかりの手を見比べた。
ゆかりは綺麗な手と言ってくれたが、どう見てもゆかりの手の方が綺麗だ。その事にまたコンプレックスを感じたが、敢えて口にはしない。
ゆかりを見る限り、嫌味とも思えなかった。
彼女の方は、
「触れただけで静電気が起きるなんて、運命の出会いみたいね」
と言ってにこやかに笑う。
「杉原さんって、クラス委員なんかしてるくらいだから、きっとしっかりしてるんでしょ?成績もいいって、皆が言ってたわ。今度、是非一緒に試験勉強しましょ」
いかにも親しげに言われ、由沙はどう返せばいいのか分からずに沈黙した。
こんな風に、余り知らない子に気安く話しかけられるのには馴れていいないのだ。クラスメートでさえ、良子以外は皆一線置いたような態度なのに。
いかにも優等生といった外見や、生真面目な性格が災いしてか、どうしても煙たがられてしまうのである。
「あっ、原田さんもね」
ゆかりは、良子にも親しげに言うと、再びあのにこやかな笑みを浮かべた。
それから、他の子に呼ばれた為、じゃあと言ってそっちの方へ行ってしまう。
「なんか、優雅」
彼女の後ろ姿を見送った後、良子が感嘆の溜め息をついた。
曖昧に相槌を返しながら、由沙はなんとなく自分の掌を見つめ、本当にあれは何だったのだろうかと首をひねった。
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