第一章 THREE
放課後、由沙は先生の指示に従って、転校生に学校の中を案内をした。
由沙の印象では、野本ゆかりと言う少女は、容姿だけでなく性格もなかなか良いようだ。
温和な物腰、由沙の説明に対する素直な反応、人を不愉快にさせない女性らしい喋り方。
何処を取っても、全く完璧なのだ。世の中に、こんな人間が存在してもいいのかと思うくらいだ。
彼女の話しでは、どうやら父親と二人暮らしらしい。
その父親の転勤で引っ越す事になったのだが、東京での仕事がまだ片付いていない父を残し、ゆかりは新しい高校に慣れる為に一足先に越して来たのだそうだ。
由沙が、ハーフなのかと尋ねると、ゆかりは笑って違うと答えた。
父親も外人のような顔立ちだが、コテコテの日本人だそうだ。
何処かでそういう血が混じったのかもしれないが、よく分からないと言っていた。
野本ゆかりの出現のせいか、由沙の怒りは帰る頃になるとすっかり引いていた。
とは言え、胸を重くする憂鬱な気分は残っている。出来れば父とは、あまり顔を合わせたくなかった。
学校が終わり、とぼとぼと家への帰り道を歩きながら、ふうっと溜め息をつく。
───まあ、どうせまだお父さんは帰ってないだろうけど。
今日は、遅くなると言っていた。多分残業だろう。
正明は、頼まれると他人の仕事まで代わってする。くたくたになって帰って来て、そのままベッドに直行とう事も珍しくなかった。
そこまでして働かなくても、と由沙は思うのだが、なんせ父は仕事が好きなのだ。文句を言うどころか、残業手当てが付くと逆に喜んでいる。
父の体を思うと、残業手当てなんてどうでもいいと思うのに・・・・。
それに、お酒も止めて欲しい。あんなに働いているのに、飲みに出たら朝まで帰らない事もある。
由沙は、寂しいという気持ちだけでなく、父の体の事を本気で心配しているのだ。それなのに正明は、お前が心配する事じゃない、と一言でかたずけてしまう。
そういう身勝手さに腹が立つのだった。
しかし今日ばかりは、帰って来ない方がいいと思った。顔を合わせた時を想像すると、どうにも気まずい気持ちになってしまうからだ。
またもや、憂鬱な溜め息をつく。
由沙の家は、最近出来たばかりの振興住宅地の一角にあった。周囲には同じ家ばかりで、最初ここに越して来た時は、よく自分の家が何処か分からなくなったものだ。
それでも今は、その迷路のような道を、やっと迷う事なく自分の家へ向かう事が出来るようになった。
角を曲がると、薄いグリーンの壁と赤い屋根の二階建ての家が見えてくる。
この周辺の家の壁は、青とか黄色とかオレンジとか、実にカラフルなものが多かった。
その中で、父が選んだ家は一番綺麗な色をしている。由沙はその家を見た時、一目で気に入ってしまった。
不意に、父親がこの家を買った時の事を思い出す。
『由沙、見てご覧。小さいけど庭があるぞ、ここに花を植えよう。霞み草とか、マーガレットとか植えたら綺麗だろうな。ほら、家も凄いだろ、お前が結婚しても住めるように大きな家を買ったぞ。父さんは、ここに住んでくれる男じゃないと許さないからな』
楽しそうに、冗談を飛ばす父。
自分の家を持てた事が、余程嬉しかったんだろう。
なんとなく、目頭が熱くなった。由沙は、眼鏡を外すと、制服の袖で目をごしごし擦った。それから、また眼鏡を掛け直して顔を上げる。
気持ちが落ち込んでいたとしても、俯いて歩くのは彼女の性に合わなかった。ちゃんと胸を張り、歩みもしっかりと、力強く。
どんな時でも前を向く。
そんな自分でありたいと、常日頃から思っていた。
そんな気持ちでしばらく歩いていたが、家のすぐ側まで来てふと足を止めた。
────あれ?
門の前に、白い車が止まっているのに気付いたのだ。
男が二人、丁度庭の方から出てきた所だった。彼らは車の中に乗り込むと、慌てたようにすぐに発進させた。
彼女の横を勢いよく走り去る車に、また首を傾げる。
────何だろう?セ-ルスマンかな?
だっあら、まあいいや。
むしろ、入れ違いになった事にほっとする。
最近、しつこいセ-ルスマンが多いのだ。由沙が一人だと知ってか、とっかえひっかえやって来る。
慣れているので、適当に追い返すのだが、中には妙に慣れ慣れしい人もいて、正直言って辟易していた。
────こういう事も、お父さんは分かってないんだろうな
由沙は心の中で呟いて、玄関に向かった。
扉の前で立ち止まって、何となくちらりと花壇の方を見る。
花壇にはまだ何も植えていなかったが、正明が頑張ったおかげて、もう何時でも種が蒔けるようになっていた。
折角だから、今度の日曜日に何か種を買ってこようかと思う。
────何がいいかな?出来れば、早く花が咲くのがいいな。
そんな事を考えながら、ぼんやりと花壇を見回した。
掘り起こしたばかりの柔らかい土の上に、沢山の足跡がついている。それが父親の努力の跡のような気がして、朝の事が余計重くのしかかってきた。
あんな事、言わなければ良かった。
後悔したが、今更遅い。
─────謝れば、気が楽になるかな?
しばらくそうやって花壇を見ていたが、はっと我に返って玄関の方へ向かう。時計は、
既に四時を回っていた。
今日は、買い出しの日だ。早く着替えて買い物に行かないと、主婦達で混雑する時間になってしまう。
────そうだ、お父さんの好きなきんぴらにしよう。それと、昨日隣の叔母さんに貰った鰯をネギと一緒に煮て、竹の子をスナックいんげんと一緒に炒めようかな。
頭の中でメニューを組み立てながら、制服のポケットに入れていた鍵を取り出した。
それから、鍵を回してみるがなんだか軽い。試しに逆へ回してみると、カチャっと音をたてて鍵がかかった。
もう一度反対に回して鍵を開け、また首を傾げる。
なんとなく嫌な感じがしたので、そっと扉を開けた。
────お父さん、鍵を掛け忘れたんだろうか?
ちょっと不安になりながら、靴を脱いで家の中に上がった。
誰かが居る気配はない。キッチンや居間も覗いて見たが、泥棒に入られた様子はなかった。
ほっとして、自分の部屋へ向う。
部屋に入るとすぐ、由沙はセーラー服を脱いで、ジーンズとTシャツに着替えた。
セーラー服はブラッシングしてからハンガーに掛け、洋服ダンスに仕舞う。スカートの方は後でアイロンをかけるので、そのまま皺にならないようベッドの上に置いた。
それから、今度は壁に立てかけてある鏡の前で、ぎちぎちに編んでいた三つ網をほどいた。
鏡の中の自分を見て、思わず溜め息が漏れる。
長いストレートの髪、それは転校してきた美少女の髪に比べると、針金のように硬い上にカラス並の黒さ。
比べても仕方無いのに、どうしても比べずにはいられなかった。
野本ゆかりという少女は、由沙が欲しいと望んでいた物を全て持っているのだ。
スマートだけど女性らしい体付き、柔らかな髪、綺麗な顔、澄んだ声。
由沙と言えば、痩せすぎの体に平らな胸。濃い眉、丸い鼻、やや厚めの唇。どれを取っても、自分の好みではない。
目だけは大きいのだけれど、近眼のせいで少し目つきが悪く見えた。
これで眼鏡をかければ、もう完全にガリ勉タイプ。
おまけに声が甲高く、それが嫌であまり喋りたくないと言う事もあった。
鏡を見る度、コンプレックスを感じる。親友の良子だって、美少女ではないが可愛らしい雰囲気を持っている。可愛気のない自分とは、全く正反対・・・・・。
────あ-あ、せめて近眼じゃなければな。
そう思って眼鏡を外して見るが、途端視界がぼやけて何も見えなくなった。
コンタクトにすればいいのかもしれないが、家のローンも始まったばっかりで、決して裕福とは言いがたい今の状況。とても、コンタクトが欲しいとは言えなかった。
また溜め息を着いて眼鏡を鼻に戻した時、下からカタンと物音が聞こえたような気がした。
───何だろう?
下は、父親の部屋だ。
泥棒・・・?そんな単語が頭に浮かび、ぞっと体を震わせる。
カタン、また音がする。
さっと由沙の心に恐怖が沸き起こった。が、気の強い彼女はそれを無理やり押し込める。勇気が無いと思われる事が、由沙にとってなにより恥ずべき事だったのだ。
コンプレックスだらけの自分だから、せめて精神面くらいはプライドは持っていたい。
男に負けないくらい、強い自分でいたかった。
意を決して部屋を出ると、由沙はそっと階段を下りた。途中で階段の裏にあったほうきを取り、恐る恐る部屋の方へ向かう。
部屋に近づく程に、怪しい物音は大きくなる。心臓が、ばくばく鳴り響いた。
戸の前まで来ると、一度深呼吸する。それで緊張が解ける訳ではないが、とにかく手の震えだけは収めようと努力した。
ほうきを左手で構え、右手でそっと戸を開く。
────そして、思わず息を飲んだ。
「・・・・何、これ?」
由沙の口から、呟きが漏れる。
恐怖より先に、戸惑いが起こった。
部屋は、凄い状態だった。本棚の本は全て床に投げ出され、机や箪笥の引き出しは抜かれて、中の物があちこちに散乱している。
壁にあった絵やカレンダも剥がされ、棚にあった筈の飾り物が、床の上で見事にひっくり返っていた。
とにかく、ぐじゃぐじゃなのだ。
いくら泥棒でも、ここまでするかと思う程。
茫然と部屋を見回す彼女の目に、ひらひら揺れるカーテンがちらつく。
由沙ははっと我に返り、障害物を避けながら急いで窓の方へ寄った。
窓が、開けっぱなしだ。侵入者は、恐らくここから逃げて行ったんだろう。
窓から身を乗り出し、周囲に誰かいないか確認する。怪しい人影は見えない。それでもと思い、しばらくじっと外を見回していた。
その時、向かいの塀の側に、何か黒い影を見つけた。じっと目を凝らし、その人物を見定めようとする。
────スーツ?黒いスーツの男?
もっとよく見ようと、更に身を乗り出す。瞬間、背後に気配を感じた。
はっとして振り返る前に、首の後ろに衝撃を受ける。
何者かが、由沙の首筋に手刀をたたき込んだのだ。痛いと思う暇もなく、そのまま暗転する視界。
それっきり、由沙の意識は途切れた
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