第一章 TWO
由沙の腹立ちは、学校に来ても収まらなかった。
集中しなきゃと思いながらも、授業が始まっても先生の話しに全く身が入らない。
苛々と爪を噛みながら、ひたすらノートに黒板の文字を書き写しているだけ。
学校に行けば少しは気が紛れるだろうと期待したが、一度吹き出した怒りはそう簡単には収まりそうになかった。
由沙と言う少女は火山のような気性の持ち主で、いきなりドーンと噴火すれば、それが収まるには少し時間がかかるのだ。
ぎゅっぎゅっぎゅっ。
二時限目は好きな歴史の授業だったが、その間もひたすらノートに怒りをぶつけ続ける。
力が入り過ぎて、シャープペンの芯が何度も折れたくらいだ。
六度目くらいだったろうか、ボキっと音をたてて芯を折った時、不意に誰かが自分の名を呼んだような気がした。
低く低く、でも強く自分を呼ぶ声。
一瞬怒りを忘れ、由沙は周囲をぐるりと見回す。
クラスメートの殆どは、由沙と同じように黒板の字を一生懸命ノ-トに書き写していて、たまに数人がひそひそ喋り合ってはいたが、由沙の方を見ている者は一人もいなかった。
────気のせいかな?
その時、がらりと教室の戸が開いて、担任がおどおどと顔を覗かせた。
担任の水沢は、銀縁眼鏡を上に押し上げながら、骸骨のように骨ばった顔を生徒達に巡らす。
それから一度後ろを振り返って、再び授業をしていた先生の顔に戻した。
「太田先生、授業中すいません。今、転校生が来ましてね、この授業から一緒に受けさせたいと思うのですが、よろしいでしょうか?」
ぼそぼそと、聞き取りにくいい声で言う。
歴史の太田は、太い眉を下げてにこにこ笑った。
「構いませんよ」
「有り難うございます。さあ、野本君、教室に入りたまえ」
太田の言葉に促され、一人の少女が教室に入って来る。
瞬間、どっとどよめきが起こった。
由沙も、思わずその少女に引き込まれた。
透き通るような白い肌、西欧人のように整った顔立ち、柔らかなカールを描いて肩に零れる濃い蜂蜜色の髪、一目見たら夢にまで出てきそうな超美少女だ。
背がすらりと高く、スタイルも抜群。まるで外人モデルのように、日本人離れしている。
彼女が着ているというだけで、古臭い形のセーラー服が、なんとなく恰好良く見えてくるから不思議だ。
その美少女は、薄い色の瞳を真っ直ぐクラスメート達に注ぎ、口許に柔らかい微笑を浮かべて言った。
「野本ゆかりです。よろしく」
高くもなく低くもない、実に心地よい声。
にっこりとくちびるを引き上げると、微笑が華やかな笑顔に変わる。
今度は、あちこちから溜め息が漏れた。
由沙も例外ではなく、突然現れた転校生をうっとり見つめた。
「野本君は、父親の仕事の都合で東京から転校して来ました。みんな、仲良くしてあげて下さい」
やはりぼそぼそとした口調で、水沢が説明する。
それから、首を伸ばしてクラス委員の姿を探した。
「杉原君、野本君に色々教えてあげて下さい。野本君は、取り敢えず一番後ろの空いている席に座って下さい」
名前を呼ばれ、はっと我に返る由沙。
由沙が慌て気味に頷くと、水沢は太田に授業の邪魔をしたことを詫びて、そそくさと立ち去って行った。
「じゃあ、授業を始めるから君も座って」
太田に背を押され、転校生野本ゆかりが机の間を抜けて歩く。
ぴんと背筋を伸ばして歩く姿勢が、また美しかった。クラスメートの視線は、釘付けになったように彼女と一緒に移動する。
ぴたっ。不意に少女が、由沙の机の横で立ち止まった。どきっとして見上げた彼女の目と、野本ゆかりの目が合う。
途端、野本ゆかりは、とびきり美しい笑みをその綺麗な顔に浮かべた。
「委員長、よろしくね」
「・・・よろしく」
由沙が慌て気味に返事を返すと、美少女はもう一度微笑んで、軽やかに通り過ぎて行った。
それから、与えられた席に腰を下ろす。
「じゃあ、授業の続きを始めるぞ」
低い声で言って、太田がまた黒板に向かった。
由沙はまだ夢から覚めない気分で、ちらりと肩ごしに後ろを振り返って見る。
丁度野本ゆかりは、隣の女子から教科書を見せて貰っていた。
彼女は、由沙の視線に気付いたのか、ふっと顔を上げてこちらを見る。
遠くから見ても近くから見ても、完璧に美しい少女。
しばらく由沙は、その少女と見つめ合っていた。
それから、はっと我に返って思わず目を逸らす。こころなしか、由沙の顔が赤らんでいた。
────幾ら綺麗だからって、女の子と見つめ合うっていうのは、ちょっと危ない人っぽいわ。
心の中で呟き、更に顔を赤くする。
間違っても、由沙にその趣味はない。恋愛とかそういうのにもまだ興味を持てなかったが、だからと言って女性が好きな訳ではなかった。
まあ、女の子でも思わず見惚れてしまう程、野本ゆかりが綺麗過ぎたのだが・・・・。
────いけない、ノートを写さなきゃ。
由沙は急にそれを思い出し、慌ててシャープペンを握った。
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