第8話

あれから、数日。

暁は帰ってこない。


「どこ行ったんだろう……」


あの日の夜。

夜中に一度荷物を取りに来たのか帰ってきた気配があった。

しかし、すぐに家を出て行ってしまい、それから帰ってこなくなったのだ。

スマホもつながらないし、いったいどこに行ってしまったんだろう。


実家に戻ったのかな……。

しつこく仕事のことを聞かれて嫌だったのだろうか。

弟扱いにどうしようもなく怒ってしまったのだろうか。

どっちにしろ、この家には帰ってきたくないということなのかもしれない。

……でも。話がしたい。

暁ときちんと話がしたかった。


どうしよう、どうしようと迷った挙句、暁が居なくなってから一週間後の休みの日。

暁の実家に行ってみることにした。

暁の実家に行く前に、自分の実家に立ち寄ることにした。

特に連絡はしていなかったので、外の門を開けると、庭にいた母がとても驚いていた。


「ビックリしたー! 珍しいわね。お帰り」

「ただいま」


父は暁の父とゴルフに出かけているようで留守だった。

相変わらず仲がいいなぁ。母同士もよく出かけているから、それぞれ気が合うのだろう。

家のなかに入って、リビングの椅子に座ると母が心配げに見つめてきた。


「どうしたの、急に。何かあった?」


そりゃぁ、急に帰ってきたら心配になるよね。私は笑顔で首を横に振った。


「いや、特に変わりはないんだけどね。……あのさ、お母さんは暁が小説家だったって知っていた?」


出されたお茶を飲みながら聞くと、思いもよらなかった質問に母は目を丸くし、「なんだ、そんなこと」と笑われた。


「何、今更」

「だよね―……」


そうか、今更か。


「知ってたんだね」


暁が作家デビューして三年。これだけ有名な作家になったのだ。

とっくに暁の両親から聞いているのだろう。

だったら、私にも教えてくれたっていいのに。


「どうして教えてくれなかったの?」

「んー、教えたかったわよ。でもお母さんたち、暁君から紗希には絶対に言わないでって口止めされていたし……。そもそもあなたはすでに知っていると思っていたわ」

「え、まって。暁に口止めされていたの?」


驚くと「そうよー」とあっさり頷かれる。


「暁君が、紗希にはいずれ自分で言うからって」

「何それ!」


いずれ言うって、何も言わなかったくせに! 


三年間も知らなかった。

頭を抱える私に、母は面白そうに笑った。


「恥ずかしかったんじゃないの? 詳しくはお隣にでも聞いてみたら?」

「あぁ……、うん」


そう言われるが、それには曖昧に頷く。

だって聞いてみたい気もするが、もしかしたら暁が帰っているかもしれない。

会いたいと思って実家にきたくせに、いざ顔を合わせるとなると少し気まずい。


「いや、でも暁がいたらちょっと……」

「暁君なら今一人暮らししているでしょう? 最近は帰っていないみたいだし大丈夫よ」


え?


「帰ってないの?」

「帰ってきたらお隣がそう話すと思うもの」


母同士のそういった情報はたいがい間違っていない。

ということは、実家に戻ったわけではないのだろうか。

どうしよう。本当にいないのかな。

それはそれで残念だ。

いやでも、母が知らないだけで、暁が帰ってきていたら……。

話ができるかもしれない。

うーん、と悩んだが、どちらにしろ冴島家へ行かなければわからないことだ。

よしっ、と意を決して隣へ向かった。

インターホンを押して、隣を訪ねると暁の母が笑顔で出迎えてくれた。

ウチの母とそう変わらない年齢だが、相変わらず可愛らしい顔をしている。

そういえば、暁の父も背が高くがっちりとしていて男前だ。

暁のあの整った顔立ちは、両親の良い所取りのような気がする。


「あら、紗希ちゃんじゃない! 帰っていたの? 久しぶりねー」

「おばさん、お久しぶりです。あの……暁って帰ってきています?」

「暁? 帰ってないけど? あのこは家を出て都内で一人暮らししているのよ」


やはり帰ってきていないのか。

残念に思っていると、おばさんは「あがって」とリビングに通してくれた。

久しぶりに訪ねた暁の実家は、模様替えはしつつもその匂いや空気は昔のままでどこかホッとする。

よく遊んだな、と懐かしくなった。


「暁を訪ねてきたの?」

「あ、はい。その……暁が小説家になったって聞いて」

「あら、そうだったの。ついに聞いたのね。今更というか、長かったわね」


そういって暁の母はうふふと楽しそうに笑った。

ということは、やはり暁の両親も私に言うなって、口止めされていたのだろうか。


「暁が私に言うなって言ったんですか?」

「そうなの。デビューした時に、紗希ちゃんには絶対に言うなって言われて」

「どうして?」

「紗希ちゃんには自分の口で言いたいからって」


そうだったのか。でも結局三年も何も言ってくれなかったけどね。

むしろ雑誌に載らなければ未だに黙っていたのではないだろうか。


「あの、暁はどうして小説家に?」

「さぁねぇ、興味があったのかもね。あの子、本が好きだったし、作文もよく褒められていたし」


そうか……。

暁は中学高校とバスケをずっとしていたから、部活が忙しくて本なんてあまり読まないかと思っていた。


「でも、ペンネームのヒントは紗希ちゃんが教えてくれたんでしょう?」

「え? どういうことですか?」

「紗希ちゃんが、小学生の時のキャンプで言っていたことがヒントになったって話していたけど。それは聞いてない?」


暁の母は首を傾げるが、私は戸惑うばかりだ。

小学生のキャンプ。

そう言えば、暁も以前、小学生の時のキャンプのことを覚えているかと聞いてきたことがあった。


あの時の何かが、暁のペンネームのヒントになったってこと?


「あの、暁から何か連絡ありませんでしたか?」

「最近は特にないわね。そういえばこの前、引っ越したってことだけは聞いたけど、何度聞いても新しい住所は教えてくれなかったのよね」


そう言ってニヤリと笑う。

その見透かした様な笑顔にギクッとするが、暁の母はそれ以上は何も言わなかった。

暁は母親に、あの家に住んでいることは言うなと話していたが、これはもうお見通しのような気がする……。

何となく気まずくてそそくさと冴島家を出て、実家ではなくそのまま自分の家へ戻った。

家に帰っても、部屋は真っ暗で、暁が戻っている気配はない。


「帰ってないのか……」


肩を落とし、ソファーに腰を下ろす。

どこへ行ってしまったんだろう。

小学生の頃のキャンプがヒントってなんだろう。

そもそも、デビューしたことなんて教えてくれないと、わかるはずがないじゃないか。

滲む涙をこするように拭う。


「はぁ」


大きなため息をついて、家の中を見渡す。

もう、私に黙っていたこととかどうでもいいや。教えてくれなかったこととかどうでもいい。知らないことがあったってかまわない。

もう暁を弟やただの幼馴染としてなんか見ないから。見れないから。


暁、早く帰ってきて。


暁がいないと家がこんなにも静かで広くて、ひとりで食べるご飯は味気ない。テレビを見てもつまらない。

暁がいないと、こんなにも寂しい。

もう、暁が来る前の生活になんて戻れない。


声が聴きたい。

声が聴きたいよ……。


繋がらない携帯を見つめるが、もちろん暁からの連絡などない。


暁、どこにいるの。早く会いたい。

会って謝りたい。

そして、もう一度……。


そっと唇に触れる。あの時のキスが甦る。

暁からのキスは嫌じゃなかった。

暁の気持ちは嫌じゃなかった。

あの時に見た暁は男で、どう考えても弟の様には見えない。

だって思いだすだけで、こんなにも胸が苦しくてドキドキして身体が熱くなる。

もう、私にとって、暁はひとりの男の人だった。

越えるのが怖いと思っていた幼馴染の壁は、いつの間にか自分でも知らないうちに越えていたんだ。

暁が好きだと伝えたい。会いたい。声が聴きたい。

そう思うのに、それからさらに一週間以上たっても暁は家に帰ってこなかった。

いつのまにか、季節は秋の気配を漂わせていた。




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