第9話
「大丈夫なの?」
香苗が心配そうに顔を覗き込んでくる。
「大丈夫……じゃない」
大丈夫なんかじゃないよ。
うなだれる私の頭を香苗は困ったようによしよしとなでる。
最近めっきり落ち込み気味の私を気遣い、香苗がいつもの店に飲みに誘ってくれたが、私はため息ばかりついていた。
暁が家を出てから半月。
あれから消息が取れなかった私は捜索願でも出そうかと再び冴島家へ行くと、暁の父から意外な言葉が出た。
「暁ならしばらく海外へ行っているみたいだぞ」
どうやら、最初に冴島家へ訪れた時点で、暁の父は暁から海外へ取材に出た旨の連絡を受けていたらしい。
それを家族に伝えることをすっかり忘れていたそうだ。
暁の所在にホッとしつつも、私には連絡ひとつよこしてくれないんだなと泣きたくなった。
一緒に暮らしていたのに、私には連絡すらしたくないのかもしれない。
暁はもう、私が嫌いなのだろうか。
いつまでも弟扱いするような女に見切りをつけたのかもしれない。
後悔と切なさでため息が止まらないのだ。
「まぁ、飲みなよ。飲んで忘れて、次の恋をしよう。意外と近くに転がっているかもしれないでしょう」
「う~」
勧められるがままビールを口に含むが美味しくなかった。
あぁ、暁と二人で縁側で飲むビールは美味しかったな。
他愛もない話をしながら空を見上げて、笑いながら暁と過ごしたあの時間は、今思えば特別な時間だったんだ。
でもそれも、もう終わりなのだろう。
「馬鹿だね、私。大切なことにずっと気づこうとしなかった。もう遅いね」
「紗希……」
本当にもう遅いのかもね。
机に突っ伏し自嘲しながら、ゆっくりと意識を手放した。
――
心地よい揺れに目を覚ますと、そこは先ほどの騒がしい店内ではなく、タクシーの中だった。
隣を振り返ると、薄暗い車内で笹本が厳しい顔をしてこちらを見ていた。
「笹本……?」
香苗と飲んでいたはずだが、どうして笹本がいるのだろう。
疑問に思い、首を傾げると笹本は眉を潜めながらため息をついた。
「お前が珍しく小量の酒で潰れたって連絡があったんだ」
「あー、そうだったのね……」
香苗が笹本にSOSの連絡をしてくれたのか。
若干酔いが残る頭で考え、笹本にお礼を伝えた。
「ごめん。迷惑かけて」
「今更だろ。ほら、もうつくから」
タクシーは見慣れた一軒家の前で停車し、笹本は支払いを済ませて私の腕を掴んで車から降ろした。
そのまま発車するタクシーを見送る。
「笹本? タクシー行っちゃったよ?」
ぼんやりとしたまま間延びした声で笹本を見上げる。
てっきり、笹本はそのままタクシーで帰るのかと思っていた。
すると、笹本は無言で私を見下ろしていた。
「笹本?」
「なぁ、俺じゃダメか?」
何が?
そう聞き返そうとしたが、言葉になる前に笹本に抱きしめられた。
「え……」
「俺、お前が好きだ」
頭上から呟きが聞こえ、ハッと息をのむ。
笹本が、私を好き?
身体から私の動揺が感じ取られたのか、笹本が少し抱きしめる力を緩めた。
でも、腕は背中にしっかりと巻かれている。
「急にごめん。でも、本当にずっと好きだった。なぁ、こんなに悩むくらいならあいつなんか忘れて、俺と付き合わないか?」
笹本と付き合う? 私が?
笹本はずっと仲の良い同期だった。
良い飲み友達だった。だから恋愛対象として見たことがなかった。
そんな笹本と付き合うの?
暁を諦めて、笹本に乗り換えられる?
暁を忘れて……?
そんなの無理だ。
「あの、ごめん、笹本。私……」
「聞きたくない」
「いや、あの、ちょっと待って。笹本、離して。私……」
きつくなった抱擁にさらに動揺し、笹本の腕の中から離れようともがく。
すると突然後ろから腕を掴まれ、大きな力で引き離された。
「えっ?」
身体は後ろにバランスを崩すが、倒れることなくそのままポスッと背中から受け止められる。
「何してるの」
頭上で聞こえた低く怒ったような声にドキンと胸が鳴った。
後ろを振り向かなくてもわかる。
どうして?
「暁……?」
ゆっくり振り向くと、眉間に眉を寄せて不機嫌そうな表情をした暁が私を見下ろしていた。
「どうして……」
なんで暁がここに?
いつ海外から帰ってきたの?
どうしてここに居るの?
連絡を拒否したいほど、私が嫌いになったんじゃないの?
聞きたいことが頭にあふれるのに声にならない。
ただ唖然と暁を見つめていると、暁は私ではなく、目の前の笹本をきつく睨んだ。
「まじかよ、タイミング悪すぎだろう」
笹本は忌々し気に舌打ちをする。
「紗希が嫌がっていましたので」
「うるせぇな。……ったく」
笹本は悔しそうな表情で頭をワシワシとかき、大きなため息をついた後に私を見た。
「笹本、ごめ……」
「謝んなよ、わかっているから。頼むから謝るな」
私を見ずにそう言い、暁を一瞥してから来た道を歩いて戻って行った。
笹本の姿が路地を曲がって見えなくなると、暁はグイッと私の腕を引っ張って家の中へと入って行った。
玄関に放り込まれ、鍵を閉める音に振り返るとその視界を暁の身体で覆われた。
抱き締められて心臓が跳ねあがり、一気に体温が上昇する。
「笹本さんの所なんかに行かせない」
吐き出すように呟いて、抱きしめる腕に力を入れた。
少し苦しい。
でも、それがとてつもなく嬉しかった。
聞きたいことは山ほどある。
でも今は……。
「行かないよ。行くわけないでしょう……」
「紗希」
私は震える声で答え、暁の広い背中に腕を回した。
暁がハッとする。
「暁、会いたかった」
声が涙交じりになるが構わないと思った。
今、暁がここに居るなら伝えなくては……。
にじんだ涙が暁のシャツを濡らす。
「私、暁が好き。弟でもない幼馴染でもない、ひとりの男性として暁が好きなの。だから、お願い、側にいて。どこにも行かないで」
泣きながらの告白なんてかっこ悪いが、そんなこと構っていられなかった。
ただ少しでも暁に想いが伝わってほしい、それ一心だ。
すると、暁が力を抜いて体を離そうとする気配があり、嫌嫌と首を振り縋りつくように胸に顔を埋める。
あやすように背中を優しく叩かれ、苦笑された。
「紗希。それだとキスできない」
今までになく、甘い優しい声。
え? と顔を上げると微笑んだ暁と目があい、唇を塞がれた。
「んっ」
どんどんと深くなっていくキスに声が漏れる。空気を求めて口を開けると、すかさず熱いものが口腔内に差し入れられ、絡めて刺激してくる。
次第に足と腰に力が入らなくなり、縋りつくようにシャツを握る。
すると、暁は軽々と私を横抱きにした。
「あっ」
「紗希の部屋でいい?」
額にキスを落としながら聞いてくるが、答える間もなく暁は私の部屋へ向かった。
そして、ベッドに丁寧に降ろされる。
覆いかぶさる暁と目が合うと、とてつもなく恥ずかしくなった。
真っ赤になった私の頬を、愛おし気に撫でる手に身体がゾクッとする。
「好きだ、紗希」
甘く優しく、でもどこか切迫したような声で何度も名前を呼ぶ。
こんなにも愛されていたのかと感じるほどに暁は執拗に私を求めた。
「紗希……」
熱を含んだ目とかすれた声が、私の身体の力を奪い取る。
普段とは違う、オスとしての本能を見せつけてくる暁にクラクラする。
同時に、幸福感で胸が満たされていった。
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