6.5話① 小さくて大きな決意

「……なんじゃ貴様か」


 雨が降りしきる境内に、人の気配を感じ取った神が社務室から様子を見に来ると、


「こんにちは」


 そこには、廃れた神社には似合わないほどの美少女がいた。


「何しに来たのじゃー?」 


「ちょっと……相談があって」


 普段は艶のある瑠璃色の目は、影に曇っており、傘を持っている手も小刻みに震えている。

 彼女が深刻な悩みを抱えているのは、誰が見ても分かる。


「ん、よいぞ。茶ぐらい飲んでいくのじゃ」


 そんな彼女を、神は快く迎え入れた。


 


ーーーーーー




「っ、ぷはぁ、いや〜美味いのぉ……」


 神様は小さな手で湯呑みを小さな口に持っていき、クイっとお茶を飲むと、満足そうな顔をしている。


「貴様もぬるくなる前に飲むといいのじゃ」


 私の前に置かれているのは、神様の緑茶とは違ってハーブティーだ。匂いからしてジンジャーだろうか? ……神社だけに?


「い、いただきます……っ、本当だ、美味しい」


 神様に促されて私もお茶を飲むと、全身がぽかぽかしてきてなんだか良い気持ちになってくる。


(落ち着く……)


 これが一息つくって言うんだろう、お茶を飲む前と飲んだ後では心の落ち着き具合が段違いだ。お茶を入れてくれた神様はこれが狙いなのかな。


「で、どうかしたのか〜? と言っても……貴様が我に相談しにくることなんぞ、遥のことしかないであろう?」


「うっ……そうです」


 縁があって神様には何度か遥ちゃんのことを相談している。

 私が神様のことを信仰しているわけでは無いけど、それでも、良い相談相手としての関係性を築いている。


「やれやれ、何があったのじゃ?」


「その……やっぱり上手く話せなくて」


「またか?」


「すみません……」


 少し呆れた表情で神様は私を見てくる。無理もない、相談内容が前回と何も変わっていないんだから。


「声をかけるくらい、何を手こずることがあるのじゃ。おはようだのなんだの、いくらでも声のかけようがあるじゃろ?」


「分かってはいるんですけど、遥ちゃんを前にしたら緊張しちゃって……」


「仕方のない奴じゃの~」


 やれやれと言わんばかりに、分かりやすく肩を下ろす神様を見ると、私の心にチクリと来るものがある。


「この際キューピットの奴にでも力を貸してもらったらどうなのじゃ?」


 キューピットさんっていうのはローマの神様で、【恋愛】を司っている。その力は人の恋心を操るというものだ。前々から神様は、そのキューピッドさんの力を借りないかと提案してくるが……


「そういうズルみたいなのはちょっと……」


「貴様面倒くさいの〜!」


「だって〜!」


 私が無駄に頑固なのは認めるけど、流石に遥ちゃんの意思を無視して両想いになっても何も嬉しくない。私が望んでいるのは、遥ちゃん自らが心の底から私のことを好きになってくれることだ。


「やれやれ……貴様も一途じゃの〜」


「……大好きですもん」


「なぜそれを遥本人に言えぬ」


「……私だって言いたいですよ」


 でも、どれだけ言おうとしても遥ちゃんを前にすると、言葉は出てこない。撮影や舞台での緊張とはまた違う緊張が、私にとって大きなかせになっているのだ。


「怖いんです……この気持ちを遥ちゃんに伝えて、もし嫌がられたりなんてしたら……私は死にたくなります」


「うへ〜、愛が重いのじゃ」


「うぐっ……自分でも分かってます」


 舌を出して不快感をあらわにする神様の態度に、私は図星を突かれた気分になった。


「まっ、人それぞれの形があるから、愛とかいうものは目に見えんのじゃがの」


「……そうですね」


 10年だ。10年間も片想いしてきたんだ、多少は愛が重くなるに決まっている。


「それほど遥のことを想っておるのならば、今すぐにでも伝えにいくのじゃ。時間というのは有限じゃぞ? 未練を残したまま生きるなんぞ、死んでるようなものじゃろ」


「時を司る神様がそれを言うと、説得力がすごいですね」


 いつもとは違う真剣な表情で神様は私に語り掛けてくれた。何度も同じ内容の相談をしているというのに、こうして神様はいつも真剣に答えてくれる。それが私には、ありがたくて仕方ない。


「そうじゃろ〜そうじゃろ〜」


 にぱーっと笑顔になりながら、神様は自分の言った言葉に頷いていた。『今、良いこと言ったのじゃ〜』っていう満足感が神様の表情から伝わってくる。


「時間は有限か……」


 当たり前のことのはずなのに改めて考えさせられる。


(明日にでも私が事故に遭ったら? 遥ちゃんが……私以外の誰かと付き合ったりしたら?)


 それと同時にいくらでもマイナス思考が湧いてくる。それくらい私が遥ちゃんのことを好きなんだって分かる。


「っ……」


 そんなことを考えていると、段々と目頭が熱くなってきた。今、私は……どんな顔をしてるんだろう?


「……まっ、いざとなれば我が時を戻して、無かったことにしてやるのじゃ」


「結局、神様の力使っちゃってるじゃないですか……」


 私の不安な気持ちを察したのか、神様は冗談まじりにそう言ってくれた。


「にゃはは〜。なーに、貴様が悔いが残らぬようにしっかりと想いを伝えれば、我が力を使うようなことにはならんじゃろ」


「それができたら最初から苦労しないんですけどね……」


「そうじゃったの〜」


 頭を抱える私をよそに神様は楽しそうに笑っている。この無邪気な笑顔を見ていると、なんだか力が抜けてしまう。


「でも、今度こそ私頑張ってみます。……誰にも遥ちゃんを渡したくないから」


「うむ、その心意気じゃ!」


 神様に背中を押された私は、静かに決意表明をした。


「あの……なんで急に近づいてくるんですか?」


 私が決意表明を終えると、神様が急に立ち上がって私の方に近づいてきた。


「ん? いや〜、相談料を払ってもらおうかと思っての〜。貴様の体でな」


「体で? ってことは……?」


「貴様の精気をちょ〜っとばかし吸わせてもらうのじゃ〜♡」


「ええ!? またですか!?」


 私の肩を持って瞳を見つめてくる神様の表情は、さっきの無邪気な表情とは打って変わって、少し妖艶にも見えてくる。


「ほ、本当にちょっとなんですよね!? この前だってちょっとって言って、結局いっぱい……!」


「そんなこと言っておきながら、この前も貴様……声を漏らしておったであろう?」


「っ!」


 脳裏によぎるのは前に精気を吸われた時の記憶だ。


(幸人にもしてることだって言われて、引き受けてみたのはいいけど、あんな……え、えっちなことされるなんて、聞いてなかったし……っ!)


「そ、そんなことないでしゅ……」


「動揺しておるではないか」


 なんて言うか……こう……不思議な力で触れずとも精力を吸われると思っていたからか、


「耳を舐められるのがそんなに気持ちよかったのか〜?」


「うぅ……」


 耳から精気を吸われた時は驚きのあまり、少し気が動転してしまった。


「あ、あの時は……ビックリしただけやもん……」


「ん〜?」


「聞こえてるくせに……いじわるなんですから」


 さっきの決意表明は聞こえていたはずなのに、神様は自分のケモミミに手を当てて『聞こえぬのじゃ〜』とジェスチャーしている。


「にゃはは〜」


 私を煽るような表情をした後、また無邪気な笑顔を見せた神様はやっぱり可愛げがある。


「安心するのじゃ〜。幸人のやつに至っては初めての時に失神しよったからの〜」


「え、あいつきも」


 神様から唐突に聞かされた幼馴染の暴露話に、私は嫌悪感を示した。


ーーーーーー




「へくしっ! ……急に寒気が」


 バスの暖房が故障して一瞬冷房にでも切り替わったのだろうか? 首筋に冷気を感じた俺は身を震わせた。しかし、そんな俺をよそに、隣に座っている遥は何事もなかったような顔をして、俺の顔を覗き込んでいる。


(一体なんだったんだ……? なーんか、俺の尊厳が著しく損なわれてる気がする)


「……おにぃ大丈夫?」


 急に身震いをしたからか、遥は心配そうな目を俺に向けてくれている。


「うん、大丈夫」


「なら……いいんだけど」


 俺が大丈夫だと告げると、遥は胸を撫で下ろした。うん、かわいい。


「っ……」


「……どうしたの?」


 遥の目を見て、さっきの屋上での出来事を思い出した俺は、顔を赤らめた。実の妹に膝枕してもらうわ、抱きしめるわ……今思えばめちゃくちゃ恥ずかしいことの数々だ。


「……なんでもない」


 俺の顔を見つめる遥の顔を見ていると、変に鼓動が早くなってしまう。男として情けない姿を、遥に見せてしまった恥ずかしさがあるのだろう。


「次は〜、九条高校第2学年校舎前〜」


 そんなことを思っていると、バスの運転手のアナウンスが聞こえてきた。


「あ、着いた。遥、ボタン押して」


「うん……ぽちっ」


 それを聞いた俺が、遥に降車ボタンを押すように促すと、遥は効果音を声に出しながらボタンを押した。


(なにそれ、かわいい)


ーーーーーー




「ふぁーすときっすを我に奪われたあやつに比べたら、耳から精気を吸われる貴様は幾分かマシじゃろう?」


「あれくすぐったいんですよ……」


 私は耳が弱いのか、今こうして耳の近くで神様が話すだけで、体が少しゾクッとする。


「貴様が遥以外ときっすをしたくないと、我に言ったからであろうが」


「うぅ……でも……耳と口以外でもいいんじゃ……?」


「わがままじゃの〜」


「ごめんなさい……」


 神様から見れば、ただでさえ私のわがままを聞いてくれている神様に、厚かましくまだわがままを言う私は、小さい子供のように思われているんだろう。

 その神様の見た目が小さい子供なのは、ここまでくると皮肉か何かと思えてくる。


「うーむ……口と耳以外じゃと……貴様は処女ではなくなるかもしれんぞ?」


「え? それってどういう……いや、やっぱり聞きたくないです……」


「にゃはは~、我はそれでも構わんぞ~?」


 こうも手のひらの上で転がされると、悔しさすら感じるけど、悔しがったところで私にはなす術がない。


「い……いや、前みたいに耳でお願いします……」


「そうか。では、そろそろいただくとするかの~」


「や、優しくしてくださいね……?」


「ふふ、任せておくのじゃ〜」


 神様はもう我慢できないのか、口元のよだれを手で拭うと、私の耳元に息がかかるほど口を近づけてきた。改めて、今から精気を吸われると思うと、全身にグッと力が入る。後は神様に身を委ねるしかない。

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