6話 レッサーパンダといい男

放課後、俺は下駄箱から学校指定の黒い革靴を取って、今履いている上靴と履き替えると、遥と一緒に通用口の前で立ち止まっていた。


「あー……やっぱり降ってきたか」


 空を見上げると、さっきまで暗かっただけの雲から、ちょうど雨がぽつぽつと降ってきたからだ。雲の流れを見る限り、この後そこまで強くは降らないとは思うが、俺の手元には傘が無い。


(バス停まで5分くらい歩くからなー、面倒くさいけど事務室まで傘借りに行くか……)


 うちの学校は事務室に行くと、傘やカッパなどの雨具を貸し出してくれる。靴を履き替えたばかりなのに、もう一度校内に行くのは若干面倒くさいが、びしょ濡れになって2年生の校舎に行くよりは断然マジだ。


「仕方ないか」


「……おにぃ」


 観念した俺が、学校のどこに事務室があったか、脳内で地図を広げていると、


「これ……傘」


 遥が隣で透明感のある水色の折り畳み傘を広げて俺に手渡してきた。かわいらしい小さな雨蛙のマークがワンポイントで描かれている。

 遥が普段使ってる傘だからなのか、傘を持とうとすると、持ち手の部分が小さくて、俺の手で完全に覆ってしまえる。


「ありがとなー……って、あれ? 折り畳み傘1つ?」


「……うん」


「だったら、お兄ちゃんが今から事務室で借りてくるから遥はそれ使っていい……


 ただ、学校用のカバンに入りきらなかったのか、遥は1つしか傘を持っていなかった。

 そのため、自分用の傘を借りてくるために俺がもう一度脳内の地図を広げなおした時だった、


「んっ……」


「……遥さん?」


 遥が、傘を持っている俺の左腕にしがみついてきた。


「な、何してるんですか……?」


 ギュッと俺の腕を抱きしめる遥を見てると、レッサーパンダの赤ちゃんが、飼育員の足にしがみついているニュースを思い出す。


「…………おにぃの鈍感」


(おわっ……何、この子……世界一かわいい)


 何か怒っている様子の遥は、唇を尖らせて上目遣いで俺を見つめてくる。この上目遣いを仮に翔さんがされると、そのまま胸を押さえて幸せそうな寝顔で、尊死とやらをするんだろう。

 実際、こんな威圧感の無い怒りの表現の仕方は遥にしかできない。くっそかっわいい。


「何怒って……あ、そういうことか」


 遥の気持ちを察した俺は、遥と一緒に相合傘をしたまま、通用口を出た。


「そっちの肩濡れてないか?」


「……だいじょーぶ」


(遥は、俺と相合傘がしたかったんだ)


 その意図を俺が理解したことが嬉しかったのか、遥は嬉しそうに微笑んだ。傘が小さいせいか、どれだけ肩を遥の方に近づけても、もう片方の肩が濡れてしまう。


「じゃあ、行くか」


「……うん」


 さっきの屋上での出来事もあって、俺はなんだか恥ずかしくなって、照れ隠しに少し笑った。


ーーーーーー




「おーっす、昨日ぶり〜」


「お疲れ様です、すみません手間をかけさせて」


 指定された通り2年生の校舎の正門に着くと、そこには片耳にイヤホンをつけた翔さんが壁にもたれながら立っていた。

 翔さんは俺たちに気づくと、イヤホンをシャツの胸ポケットに入れて、こっちに手を振ってくれた。

 スタイルが良くてイケメンな翔さんは、どんな風にいても絵になる。


(確か身長180センチくらいって言ってたっけ? 俺より5センチくらい高いもんな)


 遥に至っては翔さんと30センチ近く差があるから、いつも目線を合わせる時には、翔さんは膝に手を当てて腰を落としている。


「気にすんな気にすんな〜」


 俺と遥がバスに乗ってる間に雨は止んだが、翔さんは今日傘を持っていなかったのか、制服や髪など、全身が少し濡れている。


「事務所で傘借りなかったんですか?」


「俺が学校出た時はまだ降ってなかったからな~、バス停からここまで歩いてくる間に濡れたんだよ」


 肩についていた雨粒を手で払いながら、翔さんは状況を説明してくれた。この人は一つ一つの動きが様になるからずるい。


「しかも、ここに着いた瞬間に雨止むんだから、神様も意地悪だよなー。お前んところの神様に文句言っといてくれよ」


 お前んところの神様、とかいうパワーワードはそうそう聞くことはないだろう。


「うちのクロに天候操作なんてものはできないですよ」


「あ、そうなの? まあ、おかげさまで、これが本当の水も滴るいい男ってか? あはは」


「実際いい男なんで、ツッコみづらいんですけど……」


「いい男でごめんなっ」


 調子が良い翔さんは、顔の前に開いた右手を持っていき、申し訳ないというジェスチャーをしている。子供のように無邪気な笑顔を見せた。イケメンの翔さんが、こうやってかわいらしい一面を見せてくると、無敵じゃねえかと思ってしまう。


「遥ちゃんも昨日ぶりだね」


「そう……ですね」


「相変わらず今日もかわいいね」


「っ……! からかわないで……ください」


「その反応すらかわいいね〜」


「っ〜! むぅ……!」


 そりゃこの人モテるわ。ちょっと会話をしただけで、遥の顔が赤くなっている。


「兄の前で妹口説くって、凄いですね」


「それほどでも」


「褒めてないです」


 ただ、ジメジメとした空気を払うかのように、爽やかに微笑んでいる翔さんを見てると、気分は悪くならない。むしろ心が浄化される。


「ほら、相手待たせてるんで早く行きますよー」


「はーい。そうだ、遥ちゃん、迷子にならないように手でもつなぐ~?」


「えぇ……!?」


「あはは~、冗談冗談。じゃあ、行こっか~」


「遥のことあんまりからかわないでくださいよー?」


 このいつも通りの翔さんの感じが、緊張してる俺の肩の力を適度にほぐしてくれるからありがたい。


「はーいはい」


「んぅ……」


 遥もいつも通り困っていたけど……

 


ーーーーーー




「お待たせ~」


 教えてもらった通り2年7組の教室に翔さんが先陣を切って入ると、


「……あなた達ですか? 私に用があるっていうのは」


 窓側の1番前の席に女の子が座っていた。窓の外のどす黒い雨雲の隙間からはみ出ている煌々とした夕陽が、彼女をライトアップしている。


「そうそう、君が桜木彩ちゃんで間違いないかな?」


「間違いないですよ」


「っ……」


 夕陽に照らされた彩さんを見た時、俺は思わず自分の細い目を大きく見開いた。それほど彩さんはかわいらしい容姿をしていた。

 彩さんの目は普通にしている今の状態ですら、糸目の俺が見開いた時より大きくてぱっちりとしていて、そんな大きな瞳をしているのに、色彩が薄い茶色の瞳をしているせいか、視線がどこか弱々しく感じる。


「あれ、3人も来たんですか?」


 髪の毛は少し茶色がかった黒色で、綺麗に手入れされていて、太陽の光に当たるとキラキラと輝いて見える。長さはミディアムって言うのだろうか? 肩の上くらいまで伸びていて、毛先が外にぴょんと跳ねている。

 座っているから正確には分からないが身長も小さくて、丸顔な彩さんは1つ年上だけど、遥やクロみたいなロリ感がある。


(これを口に出すと、遥が拗ねちゃうからなー……危ない危ない)


「急に大勢で来てしまってすみません」


「別に大丈夫だよ」


 うちの学校で男子生徒が着用を義務付けられているネクタイに入っているラインの色で俺と翔さんの学年が分かるからか、彩さんは翔さんには敬語を、俺には少し砕けた喋り方で接してきた。どちらにせよ、口調は落ち着いている。


(遥と共通点があって余計に幼く思えてくるな……)


「……っ」


(……おにぃ絶対変なこと考えてる)


 さっきから遥がジト目で俺を見てくるのは何故だろう。


「聞いてはいたけど、こんなにかわいい子だったなんてびっくりだよ〜」


「……はぁ」


 翔さんが挨拶代わりに彩さんの容姿を褒めると、なぜか彩さんは深いため息をついた。


「あれ……? 変なこと言っちゃった?」


「いや、言われ慣れたなぁと思って」


「お……おぉ」


「ははは……」


 彩さんのこの返答には、俺と翔さんも目を合わせて苦笑いするしかなかった。


(遥と似てるっていうのは間違いだな……どっちかというと、瑠璃に似てるな)


 ただ、瑠璃はドヤ顔で同じような事を言っていたのに対して、彩さんはこれを天然で言っているみたいだった。

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