5話② 雨雲の膝枕

「っ……遥さん?」


「……何?」


 屋上に着いた途端、何故か俺は黒い雲の真下で、遥に膝枕されていた。雨が降る前特有の湿っぽい匂いが、ツンっと鼻の奥を刺してくる。

 遥の白くて細い太ももの温かい感触と、コンクリートの冷たい感触が対照的で、体の感覚がバグりそうだ。 


「何で俺は膝枕されてるんですか……?」


 しかも、膝枕されたはいいが、10分くらい遥が一言も喋ってくれないのだ。

 実の妹に膝枕されているだけでも少し恥ずかしいのに、さすがに10分間もこの状態で放置されると、俺は耐えられなくなり、沈黙を破った。


「いいから……黙ってされてて……」


「は、はい……」


 だが、どうやら強制的にこの状況は続行らしい。ただ、昼休みはもう半分を切っていて、そろそろ昼食を取らないと休み時間が終わってしまう。


「あのーこれどうやってお弁当食べたら……うぐっ! はむ……んぐ……!? すっぱ!!」


 弁当のことをことを話題に出した俺の口の中に、急に酸っぱい味覚が広がった。


「あーん……」


 見ると、遥が俺の口の中に弁当の中身を無理矢理ねじ込んできている。


「な、何これ!?」


「今日は……梅干しにレモン汁かけてみた……」


(なんだその全人類をむせさせる食べ物は)


 表情があまり豊かではない遥が無表情で、俺の口の中に【レモン汁かけ梅干し】を突っ込んでくるこの図は、他人が見るともはや拷問だ。ただ、俺が食べやすいように梅干しの種をあらかじめ取ってくれているあたりは遥の優しい性格が表れている。

 苦痛とやさしさを同時に受けて、今度は思考がバグりそうだ。さっきから遥の行動の意図が全く分からない。


「しゅっぱい……遥、なんでこんなにすっぱいものばっかり……んっ!」


「あーん……」


 あまりのすっぱさに顔をしかめる俺をよそに、遥は箸を動かす手を止めない。俺の口の中から梅干しが無くなるたびに、遥は流れ作業かのように次々と梅干しを入れてくる。


(これあと何個梅干しあるんだ……?)


 俺は今の段階で、軽く5個は梅干しを食べている。

 どこにもゴールが見えないこの傲慢に、俺はついに意識すら失い始めていた。何をどうしたら、このプチ拷問が終わるのかを教えてほしい。


「ごほっ! ごほっ! ストップストップ!!」


「っ!」


 俺の目から光が失われかけたその時、思いっきりむせてしまった。大きく咳き込んだ俺を見て、流石に遥の手は止まる。


「……おにぃ、大丈夫……? その……迷惑だった……?」


「げほっ……! いや、その……迷惑っていうか、今日の遥なんか変だぞ? なにかあるなら言ってくれた方が助かるけど……」


 俺からの問いかけに、遥は申し訳なさそうな顔をして、俺の目を見ている。そして、小さな声でこう言った。


「……おにぃが無理……してるから……ちょっとでも疲れを取ってあげたくて……」


「遥……」


 さっきからの拷問チックな遥の行動は、不器用な遥なりに、疲れてる俺のことを癒そうと考えての行動だったのだ。


(ちょっと不器用すぎるけど……)


 酸っぱいものに含まれるクエン酸は疲労回復に効果があるし、遥が俺にしてくれている膝枕も、俺の疲れが取れると思った故の行動だろう。実際、めっちゃくちゃ癒されている(精神的に)。

 結果はどうであれ、献身的に俺のことを癒そうとしてくれた遥が、罪悪感を感じることなんてないのだ。


「おにぃ……ごめんなさ……っ? 電話……?」


 目に少し涙を浮かべて、体を震わせながら俺に謝ろうとしてきた遥の言葉を俺のスマホの着信音が遮った。


「……翔さんか」


 スマホの画面を見てみると【神楽坂 翔】と、翔さんの名前が目に映った。翔さんと聞いて遥は桜木さんの件だと察したのか、口をキュッとつぐんでいる。


「もしもし、お疲れ様です」


「おーっす、今大丈夫かー?」


 なんだか気まずくなっている俺達とは違って、翔さんはいつも通りの明るい声では電話に出た。


「はい、大丈夫です」


「ん? なんか風の音聞こえるけど、今どこにいるんだ?」


「どこって聞かれると……遥の膝の上です」


「……遥ちゃんに膝枕されてんのか?」


「……そうです」


「何だその羨ましい状況、代われよ」


「なんでですか」


 色々といつも通りの翔さんに、俺はなんだか安心した。


「なんかお前ばっかりずるいぞ~」


「バカなこと言ってないで、桜木さんの件はどうだったんですか?」


「あー、それがな……」


「っ? どうかしたんですか?」


「いや〜……その」


 そんな翔さんだが、桜木さんの件になると急にお茶を濁しだした。何かまずいことでもあったのだろうか?


「なんて言ったらいいか……」


「何かあったんですか? はっきり言ってくださいよ」


「はっきりね〜……うーん、いなかったわ」


「……? いなかったっていうのは」


 はっきり言われてもよく分からなかった俺が質問しようとすると、それに被せて翔さんは衝撃的なことを俺に告げた。


「この学校に【桜木美奈】っていう生徒はいなかったよ」


「ぇ……?」


 一瞬思考が止まり、変な声が出た。


「そ、それって……?」


(桜木さんがいない……? でも、あの人はこの学校の2年生だって自分で言ってた……! 桜木さんを助けるためにタイムリープしてきたっていうのに、その助けるべき相手がいないなんてことがあってたまるか!)


「それじゃあ何のためにクロは力を使って!」


「ただ」


「……ただ?」


 思いがけないこと出来事に、声を荒げた俺を翔さんは一声で静止させる。


「2年生に同じ名字の女の子ならいたぞ。えーっと、2年7組の桜木彩ちゃんだ。確か、桜木美奈ちゃんも2年生だっただろ?」


「そうですけど、桜木彩さんって……同性っていうだけなんじゃないんですか?」


 桜木なんて特別珍しい苗字でもないし、翔さんが言う桜木彩さんが桜木美奈さんと関係あるとは思えない。だが、


「それがなー、俺も直接見たことはないけど、その子のことを見たことある2年生の奴が言うには、相当かわいくて、綺麗な黒髪らしいぞ」


 今回は偶然という一言では済ませられないみたいだ。


(どういうことだ? 存在しない桜木美奈さんの特徴を兼ね備えた桜木彩さんという人物……)


「そうなると……会ってみないと分かりませんね」


「だな、この子と同じクラスの奴に足止めしててもらうわ」


「ありがとうございます」


 とにかく桜木彩さんに一度会って、話を聞いてみるしかない。その際に問題になるのが、1年生の校舎から2年生の校舎に行くまで、バスと徒歩を合わせて45分ほど時間がかかってしまうことだ。それがこの学校の特徴なので仕方ないと言えば仕方ないのだが、何故こうやって校舎を離しているのか未だに理解できない。他学年……といっても俺は翔さんくらいだが、人に用事がある時にこうして校舎が離れていると不便で仕方ない。


「あ、そうそう」


「どうしました?」


 何か思い出したかのように翔さんは話を折って、最後に俺に忠告した。


「そろそろ遥ちゃんの太ももが痺れてると思うからどいてあげろよー? じゃあな~」


「え?」


「~~っ……!」


 俺が見上げると、遥は下唇を噛みながら、全身をぷるぷると震わせて、太ももの痺れと戦っていた。


「遥~!」


 すぐに俺が遥の膝枕から頭を離すと、よっぽど我慢していたのか、遥は流れるようにコンクリートに体を崩した。


「大丈夫か!?」


「う、うん……それより……ちょっとでもおにぃを癒せたかな……?」


「っ! ……遥」


 どうして、ここまで遥は献身的になれるのか、俺には分からなかった。そこまでして俺のことを……

 遥の思いを受け取った俺は、改めて気合いを入れ直した。


「うん、めちゃくちゃ癒された……ありがとう。お兄ちゃん頑張るから」


「んっ……おにぃ……」


 気づいたら俺は遥のことを抱きかかえていた。


「どうしたの……?」


 遥の体は小さいが、脈が大きな鼓動で俺に伝わってくる。一定のリズムで伝わってくる鼓動は、俺のことを落ち着かせる。


(……何してんだ俺)


 実の妹に学校の屋上で抱き着いて息を整える。他人から見れば異常な光景だ。

 自分でも何故こんなにも胸が痛むのかは分からない。明らかに無理をしているクロのことはもちろん、この学校にいなかった美奈さんのことや、不安材料がいっぱいあることが原因のうちの1つということは違いない。


「なんでもない……けど、ちょっとだけこのままでいさせてくれ……」


「うん……わかった」


 その後、遥は何も言わずに俺に体を委ねてくれていた。

 本来、過去というものは変えられないのだ。それを俺たち2人は身をもってよく知ってる。

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