4.5話 屋烏の愛

「ふ〜」


(倉庫の中の整理も終わったしもうそろそろ戻ってもええかな?)


 一通り倉庫の中での作業が終わったから店の中に戻ろうと思ってわしが裏口のドアに手をかけた時やった、


「僕だってクロの今の状態がまともだったらなんの気兼ねもなく桜木さんを助けますよ!」


 店の中から幸人の大声が聞こえてきたのは。


「おっとっと、なんや幸人も来とったんか」


 幸人の大声を聞いた儂の手は、反射的にドアから離れとった。


(そういえば、あの男前が待ち合わせしてるとか言っとったな……えらい揉めてるみたいやし、まだ戻らん方がええか)


 どんな内容で揉めてるかは知らんけど、揉めてるのに儂が戻ったらアイツら気ぃ使って黙るやろうしなー、若いうちは喧嘩しといた方がええねんええねん。


「うーんどないしよ……あ、そういえば今日は確か、瑠璃が出てるドラマが始まるんやったな」


(ちょっとの間戻られへんし、ドラマが流れてる時間はまだ営業してる時間やから、店ではプロ野球流すやろうし、今のうちに録画しにいっといた方がええわな)


 瑠璃が出演しとるドラマを録画し忘れていたことに気づいた儂は、その足で2階のアパート部分へと続く外付けされた錆びた階段を登っていった。


ーーーーーー




『あなただーれ?』


『……っ!』

 

 初めて見た時、この子はなんてかわいいんだろうと、私が思わず嫉妬してしまうほど遥ちゃんはかわいかった。

 私を見つめるぱっちりとした真紅の瞳は、その当時私が持っていたどの人形よりも綺麗な瞳をしていて、肩の下まで伸びているさらさらの黒い髪は、ついさっきオイルを塗りこんだのかと思うくらい艶があった。そんな遥ちゃんの小さな体で白いワンピース着こなすその姿は、まさしく妖精そのものだった。

 笑うと少し細くなる目が好き。誰よりも優しい所が好き。私のことを好きでいてくれている所が好き。言葉なんかで言い表せない。とにかく大好きなんだ。

 だからこそ私は絶対にを許さない。遥ちゃんから何もかも奪ったあいつを……


ーーーーーー




「はぁ……遥ちゃん怒ってへんかな……」


 幸人にバックドロップをした後、私は1人で考えたくてリビングの隅に座り込んでうなだれていた。

 久しぶりに嗅いだ家の匂いはどこか心地よくて、憂鬱な気分の私を、少しずつなだめてくれる。


「なんでこうなったんやろ……」


 仕事で東京にいる間は早く会いたいと思うのに、いざ会ったらうまく話せなくて言葉が出なくなる。そんな自分が嫌になってしまい、遥ちゃんに顔も見せずに、こうして1人で思いふけってしまう。どんどん自己嫌悪に陥る負のサイクルだ。


「……? 誰?」


 その時、玄関の方からガチャッと、鍵が開く音がした。


「ただいま〜って、誰もおらんやろうけど……」


「げっ! パパ!?」


「瑠璃!? 帰ってきとったんか!」


 扉の向こうに立っていたのは、白色の荒々しい書体で店の名前が刻まれている、紺色の割烹着を着ているパパの姿だった。東京から帰ってくることを、伝えていなかったからか、パパはひどく驚いた様子だった。


「実の親に向かってげっ! ってなんや! ひどいわ〜!」


「なんでおるんよ……」


 両手を上げて大袈裟に驚いたパパは、その手で私の頭をくしゃくしゃっと少し乱暴に撫でた。しわにまみれてごつごつとした大きなパパの手は、触れられると温かい。


「店は?」


 そんなパパは、濃紺の生地に店の名前が大きく書かれた、店特注のエプロンをしている。休憩時間とはいえ、夜営業の仕込みとかがあるはずだから、こっちに戻ってくるのは珍しい。


「ちょっと野暮用思い出したからな、戻ってきたんや」


「……野暮用?」


「瑠璃の出とるドラマ録画すんの忘れとったからな、それをりにきたんや」


「別に録らなくてもいいのに……」


 パパの変に世話焼きなところはちょっと苦手だ。小さい時から学校のイベントごとには全部来るし、私が所属してる事務所の社長と初めて会った時も、両手で社長の手を握って『娘をよろしくお願いします』ってずっと言ってたのを思い出す。

 親としてはありがたい行為なのかもしれない、だけど私からすれば余計なお世話なのだ。


「店の切り盛りでリアルタイムでは見られへんからな、録画するしかないねん」


「ならいちいち見なくてもいいんじゃないの? そんなに面白いドラマでもないし……」


 今出ているドラマは、業界で最近人気のあるメンバーによるアットホームなコメディドラマ……と言えば聞こえはいいが、実際は台本を変えてまでゲスト俳優として起用されているアイドルたちの下手な演技力をなんとか誤魔化している代物だ。


(私がオーディションを受けた時はもっと素敵な作品やったのに……)


 ただ、台本が変わったおかげで仕事がもらえる人もいるから、一概に今回の事を全否定する事もできないのが難しい所だ。


「何言うとんねん! 娘が出てる作品は親にとったら全部アカデミー賞や! 1つも見逃されへん!」


「なにそれ……」


 パパは基本的に大袈裟だ。言うことはもちろん、行動に至るまでどこかうるさい。


「お前も親になったら分かるわ。せやからはよ結婚しいや〜?」


「はあ? まだ高校1年生の娘に何言ってんの?」


 唐突にパパの口から出てきた【結婚】という単語に、私は思わず首をかしげた。まだ未成年の私に早く結婚をした方がいいなんて、素っ頓狂な言葉にも程がある。


「今すぐになんか言ってへんやんか。役者さんとしての仕事が安定してきたら、幸人と一緒になることを考えたらええんちゃうか?」


「はぁ!? どうしてそこであいつの名前が出てくるの!?」 


 ただでさえ素っ頓狂なことを言っていたパパの口から、これまたとんでもない爆弾発言が出た。


「なんや違うんか? ちっちゃい頃に遥ちゃんとよお幸人の取り合いしとったやないか」


「いやあれは……」


 思い出すのは遥ちゃんと私が幸人の腕を片腕づつ、向き合って引っ張っている光景だ。


(あの時は確か、幸人が『痛い痛い痛い痛い!! 股から裂ける!! 股から裂ける!!』って絶叫してたっけ……?)


 ただ、別にあれは幸人の取り合いをしていた訳じゃない。私は遥ちゃん2人で遊びたかったのに、保護者である幸人が遥ちゃんにべったりくっついていたから、2人きりにしてもらおうとしたら、あいつがそれを拒んだからちょーっとだけ手荒くしただけなのだ。


(それをパパは……)


 どうやら何年もの間、私は大きな勘違いをパパにさせていたみたいだ。


(誰があんなやつ好きになるんよ……)


「パパの勘違いよ。あんなやつ好きでもなんでもないから」


「儂は全然反対しやんで〜、49年生きてきた中であんなに誠実な男は他に会ったことあらへんからな〜。結婚するならあいつにしとき」


 さっきから否定している私の言葉に、パパは聞く耳を持ってくれない。私が変に頑固なところは、間違いなくパパから授かったんだろう。


「だーかーらー! 違うって言ってるでしょ! あいつはただの幼馴染!」


 とにかくパパの勘違いをそのままにしておくとやばいから、私は改めてきっぱりと否定した。

 確かに幸人は誠実なのは事実だし、それに加えて行動力も早いから、昔からよく人助けをしてきた良い奴だ。私も多少、本当にごくわずかに幸人に好意を抱いているけど、それはどちらかというと尊敬のような感情で、そこに恋愛感情は微塵もない。


「私が好きなのは……!」


「?」


「私が……大好きなのは……!」


 私が恋愛感情と呼んでもいいかもしれないものを抱くのは……後にも先にも遥ちゃんしかいない。


「? 誰なんや?」


「っ……」


 ただ、その思いは言葉になってくれない。

 もし、私のこの思いが遥ちゃんにとって迷惑だったら? 

 嫌われたくない……私はそう強く願った。この思いを遥ちゃんに否定されたくなくて、臆病にも心の奥底に閉じ込めている。そんな私は……卑怯だ。


「もう出てって!」


「おわっ! なにすんねや!」


「いいから!」


「ちょっ! 瑠璃……!」


 思いを口にできなかった私は立ち上がってパパを家から無理矢理追い出し、そのまま扉の鍵を閉めた。私の行動に何かを察してくれたのか、パパが扉を開けることはなかった。


「……はぁ」


 パパを家から追い出した私は、急に力が抜けてそのまま玄関の扉の前で崩れるように座り込んだ。扉にもたれかかると鉄の匂いがして、少し背中がひんやりする。


「誰なんやとか……本当にパパはデリカシーないんやから……」


 少し落ち着いた私は深く息を吸って目を閉じた。

 私のまぶたの裏には、6年前から見ることができなくなった遥ちゃんの満面の笑みが浮かんでいた。


「もう1回だけ、あの笑顔が見たいな……」


 その時、どこからか「ガアッ」というカラスの荒々しい鳴き声が聞こえた。

 明日は雨が降るんだろうな。

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