3.5話 おもいやり

「いや〜、幸人のやつがいなくなると暇じゃの〜」


 幸人が神社を出ていくと、神は部屋へと戻った。


「うぅ……少し寒いのぉ。そうじゃ、だんぼーをつけるかの」


 夕刻、と言ってもほとんど太陽は地平線に沈んでおり、初秋特有の暑いのか寒いのかよく分からない空気が、神の黄金色の毛を撫でている。

 だが、流石に夜が近いからか、神でもどうやら少し肌寒いらしい。


「リモコンはどこにやったかの〜、ん? あやつめ几帳面じゃのぉ……えーっと、だんぼーがつくのはこのリモコンじゃったかの、ピッとな!」


 エアコンのリモコンは、小さな網かごの中でテレビのリモコン等と一緒に綺麗にまとめられていた。恐らく幸人があらかじめリモコン類をまとめていたのだろう。

 神がリモコンを手に取り、エアコンの電源を入れると、温風には程遠い冷たい風が吹いてきた。


「そういえばすぐに暖かい風が出るわけではなかったの。もう少し待つかのぉ」


 だが、その後10分以上経っても風は冷たいままだった。


「うぅ……なぜじゃ? まさか故障でもしておるのか?」


 永遠と冷たい風が流れるエアコンに我慢できなくなった神は、震える手でリモコンを操作して電源を切った。

 この時、神は【冷房】をつけていることに気づいていない。


「くぅ〜……寒いのじゃ……」


 寒さを凌ぐために神は部屋の隅にあった毛布で身を包む。いつどんな時でも毛布は柔軟剤の心地よい香りがするのは、幸人の従者としての努力の結晶だ。


「これしきのことすらできぬとは……われはあやつがいないと何もできぬ体になってしまったのかのぉ……」


(我が今着ている巫女服が綺麗に洗濯されておるのも、リモコンがすぐに見つかるように整頓されておるのも、全てはあやつのおかげじゃ。そして……今の我が存在できておるのも……)


 それに改めて気づいた時、神はふと怖くなった。


「いつか、あやつがおらなくなった時……我はどうなるんじゃろうなぁ……」


(人間とは脆く、儚いものじゃ。瞬きのうちに生まれ、そして消えてゆく……)


 悠久の時を生きる神にとって、1人の人間の寿命など一瞬のことなのだ。もちろん、幸人も例外では無い。


「あやつのおらぬ世界か……考えるだけで、胸がきゅぅっと締め付けられるのぉ……」


 そう言って神は悲しそうな顔で胸を押さえる。物理的に苦しいわけではない。それなのに神の胸が痛くなるのは、それほど幸人の存在に安心感を覚えているからだろう。


「じゃが、あやつに無理をさせるわけにもいかぬ! あやつは我に無理をさせぬために、それ以上の無理をしてしまったことが何度かあるからの」


 神のためならば幸人はなんでもするのだ。それは、幸人が神に対して絶大な恩義を感じているからだろう。


(今回の事も、あやつは内心では反対していたがそれを口には出すことは無かったのじゃ)


 幸人の心を読むことができる神は、内心反対しているのにも関わらず、今回の件のために動いている幸人に対して、罪悪感を感じていた。


「あやつはいつもより我の身を案じておったからのぉ……」


(あの時、本当のことを言っておったら……あやつはどうやって我を止めていたかのぉ……)


「んっ! のじゃ?」


 そんな風に考え込んでいた神を正気に戻したのは、神自身の腹の虫だった。


「ふむ……食ったばかりじゃが腹が減ったのう」


 ぎゅるるぅと、子犬の鳴き声かと思うほど情けない腹の虫が鳴った神は食べるものを探した。


「うーむ……」


(ただ、幸人がここにおらぬ今、まともに食べられるのはかっぷらめんくらいかの〜)


 基本的に神の食事は幸人が作るため、幸人がいない時に神の小腹が空いた場合のおやつとしてお菓子やカップ麺類などの軽食が用意されている。


「確か幸人のやつがここにかっぷらーめんを入れて……」


 カップ麺類の入っている棚は、幼女の姿をしている神の頭の上に扉がある。そこに神が手を伸ばした時だった。


「っ……のじゃ!?」


 強い頭の痛みが神を襲うと、すぐさま神は立っていられなくなってしまい、その場に倒れた。


「くっ……」


(ずーっと誰かにこうべを金槌か何かで叩かれているような感覚じゃ……)


 体を丸くして頭を抱えるように抑えている神の顔は、苦痛で歪んでいる。


「…………やはりすこ〜しばかり……我も無理をしてしまったかのぉ……」


 そもそも神という存在は腹が減ることなどあり得ないのだ。それは、神にとって食事とは信者からの信仰心から得られる精気に他ならないからだ。その信仰心が今あまり無い神は、常に空腹状態にあるようなものなのだ。


(力も湧かぬこんなちっこい姿にしかなれぬ時点で、もう我は既に限界を迎えておるのかのう……)


 その空腹感だけでも満たすために神は幸人にかなりの量の食事を作らせる。そうでもしない限り、神は立つことすらままならないだろう。今こうして神が床に伏せているのは、時を戻すために力を使い、精気を使ったからに他ならない。精気というのは神が能力を使う際に必要になり、存在を保つためにも必要なのだ。


(残り少ない精気を無理に使えば、そりゃこうなるじゃろうな……いつからじゃろうな……こんな無理をするようになったのは)


「はぁ……はぁ……」


 神は着ている巫女服の胸元をしわができるほど強く握り、己を鼓舞する。


「まだ……我は音を上げるわけには……あやつを救ってやらんと、いけぬからのぉ……」


 それは、神と幸人が9月7日に来る前のことだったーーーー




『クロ様……無理はしていませんよね?』


 少し震えた声で幸人は神に声をかけた。神に本当のことを言って欲しいのか、先程神を叱った時とは違いとても穏やかな表情をしている。


『なんじゃ幸人、もしや神である我のことを心配しておるのか~? そんなものいらぬ心配じゃぞ~?』


 そんな幸人の思いとは裏腹に、神は偽物の笑顔を作り、幸人を安心させようとする。ここで神が無理をしていると言ってしまうと、幸人は桜木を助けることを死に物狂いで止めるからだ。

 だが、を神は望んでいなかった。


『……僕は心配なんですよ、クロ様まで俺の前から居なくなるんじゃないのかって……』


『ん? ……なーに泣きそうな顔をしておるのじゃ! 自分の眼で我をまっすぐ見てみよ! 我はこの通り元気なのじゃ!』


 そのため、必死に感情を抑えてなんとか神から本当のことを聞こうとする幸人を、それ以上に感情を抑えた神が本心に気づかれることなく拒んだのだ。


『そう……ですね。すみません俺の考えすぎでした』


 泣きそうになる幸人を安心させようとする神の姿には、いつものわがままな子供のような面影はなく、神としての慈愛がそこにはあった。


『よいよい。ところで、戻すのは2週間でいいかのー?』


 神にあまりメリットがないとも考えられる美奈の依頼。それを引き受けたのは、神のとあるおもいが故の行動だった。

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