2.5話 ①先輩と妹の場合

神楽坂翔かぐらざかしょうの場合】


「ふ〜んふ〜ふ〜ふふふ〜ん」


 今日の学校の帰り道は夕陽が綺麗だったが、イヤホンから流れてくる歌は月のことを歌っている。そんな小さなことで、俺はなんだか気分が良くなった。

 小さな幸せというものはふっと力を抜くと案外簡単に見つかるものだ。


「はっ、くだらねえな〜」


 そう言いながらも俺は少し吹き出した。くだらないが面白い、そう思えるくらいに心が軽くなったのはあいつらに会ってからだ。


「……っ? 幸人?」


 突然、初期設定のままの着信音が携帯から鳴り出し、たった今流れていた名曲を遮った。

 噂をすればなんとやら、当の本人から電話がかかってきた。


「もしもーし」


 明るい口調で電話に出た俺とは正反対に、幸人は神妙な声でこう言ってきた。


「翔さん……助けてください」


「いいぞー」


 そう言われたら、俺が答えるのはこの言葉しかないだろう。


ーーーーーー




「じゃあまた後でなー」


(いきなり助けを求められたにもかかわらず、即答で応える俺ってどんだけ頼りになるんだ……!)


 自分の気前のよさが怖くなる。


「多分、神様絡みだろうなー」


 詳しいことはこの後大吉で聞くことにしたが、あいつが素直に助けを求めてくるなんて十中八九神様絡みのことだろう。

 姿は見たことないが、幸人が言うには狐の姿をしている幼女らしい。いつか姿を見たいが、いつになるやら……


「ん〜!」


(それはそれとして、気に入ってる後輩と、気になってる後輩にいいところを見せられるんだし、先輩として頑張らないとなー)


 イヤホンから幸人の声がしなくなると、さっきまで聞いていた曲が終わり、同じバンドのさっきとは違う曲再び流れてくる。


「さあて、頑張るか」


 その曲に感化された俺は、改めて気合を入れた。


ーーーーーー




芹沢遥せりざわはるかの場合】


げんさん、おあいそしてもろうてええか?」


「まいど! えーっと、親子丼と豚汁で750円やな」


「ほなこれで」


「ちょうどやな、また来てなー」


「ごちそうさーん」


 壁にかかっている時計がちょうど17時を伝えてくれている時、店に来ていた常連のおじさんが帰ってお客さんが誰もいなくなると、お店の中が静かになった。

 漆うるしが塗ってある四角い木のテーブルの少しクセのある匂いがして、壁の上の方に貼り付けられている時計の針がチクタクと動く音が、そのまま壁を伝ってお店の中に響いている。単調な音なのになんだか心地がいい。


「さてと……遥ちゃん、ちょうどええしまかない食ってええで。何がええ?」


 さっきの張りのある声とは違って、私をびっくりさせないように源さんはやさしい声で今日の賄いを聞いてきた。


「パフェが……いいです」


「いっつもそれやな~」

 

 いつも通りの私の回答に、源さんは頬にしわができるほどの笑顔を見せてくれた。

 源さんはやさしい。こうしてお店のメニューには無いものを私のために作ってくれる。


「おいしい……から」


「遥ちゃん、嬉しいこと言ってくれるやんか~! よっしゃ! 今日のやつは張り切るで~!」


 源さんは紺色の割烹着の裾をめくり上げると、冷蔵庫から材料を取り出してパフェを作り始めた。いちごやバナナ、オレンジ、どれも私が好きなフルーツが、綺麗な堺包丁で手早く繊細に切られていく様子はまるで芸術で、思わず見惚れてしまう。


「ん? そないまじまじ見られとったら、なんや恥ずかしいわ~」


「……っ! す……すみません……」


 確かにずっと見られて良い思いはしないし、ミスを犯したと私は思った。


「いやいや、怒ってるんちゃうで? ほら、瑠璃なんか最近家帰ってきてもおっちゃんと話してくれへんからな~」


 だけど、やっぱり源さんは優しくて、頭を下げた私に対して、また笑顔を見せてくれた。


「るーさんが……?」


 るーさんは最近お仕事が忙しそうで、そのせいからか、会ったとしても会話をするどころか目も合わせてくれない。昔はあんなに遊んでいたのに、どこか遠くの世界に行ってみたいで寂しくなってしまう。


「そうやでほんまに。せやから、同い年の女の子に手先ずっと見られとったら、なんや汗かいてくるわ」


「じゃ……じゃあ、さっきの……テーブル綺麗に……」


 常連のおじさんがさっきまで居たテーブルを片付けていなかったから、私はテーブル拭きとおぼんを持って厨房から出た。


「あー、そういや片してへんかったな。うん、お願いするわ。その間におっちゃんはパフェ作り終えとくわな」


「分かりました……」


 テーブルには親子丼の丼と豚汁のお碗、そして源さんがサービスしたお漬物の小皿。苦手だったのか、きゅうりが残してある。


「ん……よいしょ……」


 大きな丼は私の小さい手には片手では収まらない。そう思って両手で丼を持った時、お店の暖簾が揺れた。


「大将、2人大丈夫?」


「らっしゃい。大丈夫や、もう1人は幸人か?」


 見ると、指を2本立てた翔さんが顔を出していた。学生服を着て、肩からは学校のカバンを下げている。学校帰りなのかな?


「そうそう、また頼られちゃってさ~」


「なんやまたかいな。まあ、とりあえず適当なとこ座って待っといてくれへんか? 今、遥ちゃんのパフェ作ってんねん」


「はいはーい」


「い……いらっしゃい……ませ」


「お、遥ちゃん。元気にしてた?」


 声になったか分からない私のあいさつを拾ってくれた翔さんは、私に手をひらひらと振って調子を聞いてきた。


「はい……」


「あはは~。俺のこと、まだ怖いかな?」


「そ、そんなこと……!」


 この人が悪い人じゃないことは分かっているけど……まだ怖い。心を許すのが怖い……


「遥ちゃん、パフェ出来たで~」


「あ……ありがとうございます」


 そんなことを考えているうちにパフェが出来たらしい。厨房に行くとごろごろとフルーツが山盛りになっている美味しそうな特製パフェが用意されていた。


「せっかくやし、イケメンの兄ちゃんと一緒の席で食いや」


「えっ……!?」


「お、大将いいこと言いますねー」


(源さん急に何言って……!)


「まあ、おっちゃんには負けてるわ」


「大将と比べられたら敵わないなー」


「かーっ! ほんま世渡り上手やな~」


 関西らしいノリを一通りすると、源さんは翔さんの頭をわしゃわしゃと撫でた。綺麗にセットされている髪の毛が、無造作に散らばる。それでも絵になっているのは翔さんのビジュアルの良さがあるんだろう。


「よく言われまーす」


「なんやそれ。ま、茶でも飲んで幸人待っときや。おっちゃんは裏で作業してくるから、なんかあったら呼んでな」


「ありがとうございまーす」


「あぁ……」


 私を置いて、いつの間にかトントン拍子に話が進んでいくと、源さんは店の裏口から倉庫に消えていった。


「……遥ちゃん?」


「っ! は、はい……?」


「一緒のテーブルで待ってていいかな?」


「あぅ……い、いいです……よ?」


「ありがと〜」


 私のことを気遣ったのか、翔さんは私に確認を取り、4つ椅子があるテーブルの1つを引いて私を座らせると、その前に座った。

 こんな時どうしたらいいのか分からない私は、思わず下を向いてしまった。


「……っ」


 すると、なんだか重たい空気になってしまい、お店の明るいはずの照明が間接照明ほどの輝きしか放っていないように見える。


「あ、俺のこと気にせず食べていいよ?」


「は、はい……!」


 翔さんに勧められて初めてスプーンを持った私は、パフェの上にあるクリームをすくって口に運ぶ。


「はむっ……んっ……」


「おいしい?」


「っ……おいしいです」


 本当は緊張して、味なんてほとんど分からなかった。スイーツは食感しか分からないし、唯一分かったのは、ホイップクリームが甘いということぐらいだ。


「そっかそっか、俺も作ってもらおうかな~」


 そうやって緊張している私とは正反対に、翔さんは爽やかな笑顔を見せながら、私がパフェを食べている所を見ている。ただ、私の喋り方が拙いせいで会話の流れが悪くて、なんとなくまだ空気が重く感じてしまう。


「……あの」


「どうしたの?」


「よかったら……私が作りますよ……?」


 何度も作ってもらっていて、それを食べているから何となく作り方は分かる。それに、私はとにかくこの重い空気を何とかしたかった。


「え!? ほんと!? 食べたい!」


 そんな私の言葉を聞いて翔さんは目をキラキラさせている。まるでおもちゃを買ってもらえると知った子供だ。


(そんなにパフェ好きなのかな……?)


「つ、作っていいか聞いてきます……」


「ええで~」


 倉庫に行こうと足を出すと、聞こえていたのか裏口の向こうから源さんのオッケーが出た。


「……よし」


 厨房に行ってエプロンをした私は1つ深呼吸をした。


「でも、なんで急に作ってくれようと思ったの?」


「なんで……?」


 材料を出していると翔さんが質問してきた。


「おにぃが……お世話になってる……から」


 これが私を納得させる理由だった。


「そっか。じゃあ、お願いするね」


「……任せてください」


 そして私は包丁を握った。


ーーーーーー




【芹沢幸人《せりざわゆきと》の場合】


「あー……しんど。クロの奴、1ヶ月分は吸い取ったな……? 体だるぅ……」


 足取り重く大吉に向かっている途中に、俺はさっきのクロの言葉を思い返していた。


『助けるかどうかじゃと? 貴様、1年も我の従者をしておるというのに分からぬのか? あるこーる助けるのじゃ』


「多分、オフコースって言いたかったんだろうなー……」


 間違えて覚えているのにドヤ顔かましていたのは、それはそれはクロらしかった。


「はぁ、強欲とバカは紙一重だな」


 今回の事で俺は自分の主は、心底バカなんだと再確認した。


「ほんと、憎めないな」


 だが、そんなバカなところもクロの良いところなのだ。そして、そんなバカにこうして振り回されている俺も、またバカなのだ。


「あーあ、いつの時代も下っ端は大変ですなー」

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