1話① 死ねない理由。

『幸人、遥が起きたら言ってやってくれ、もう大丈夫だって、悪い奴はお父さんがやっつけたって……遥のこと、任せたぞ』


 本来白いYシャツが、返り血を浴びて紅色に染まっている。そんな姿なのに、父さんは俺を安心させるように微笑みながらそう言った。

 その日から、俺たちの時計は止まったままだ。


ーーーーーー




「っ!」


(何で今、あの時のことを……)


 日が地平線に沈み、神社特有の不気味さが出てきた頃、俺は社務室しゃむしつの台所でお湯を沸かしていた。


「そろそろかな」


 俺は音を立てながら湯気を出すやかんを確認すると、火を消してお茶の用意を始めた。


「ジャスミンティーにするか。あれ美味しいし」


 お茶が好きなクロのために、俺は日頃から台所の引き出しの中にお茶を10種類ほど用意している。その中でも、クロのお気に入りのジャスミンティーは、本場中国、福建省から取り寄せているもので、苦みが少なく、俺も好きなお茶だ。

 引き出しから茶葉を取り出し、ぶくぶくと沸騰したお湯と一緒にポットに入れると、茶葉からじんわりとジャスミンティーが抽出されてきた。

 俺が慣れた手つきでお茶が作れるのは、普段からこの神社の御神体であるクロにお茶を淹れている賜物だろう。


「ていうか、そもそも幽霊ってお茶飲めるのか?」


 俺が入れるお茶の数は3つ。1つは自分のため、1つはクロのため、そして最後の1つは……幽霊を名乗る美少女のためだ。 


「お主は兄妹とかはおらぬのか?」


「えーっと……」


 後ろから、その神と幽霊の会話が聞こえてくる。この場に居る3分の2が人間ではない。そんな異常とも言える状況に、普段から神様であるクロと接してる俺ですら少し困惑していた。


「ふぅー……」


(なんだこのジ〇リ感あふれるメンツ)


 俺は大きなため息を吐くと、天井を見上げて先ほどの境内での出来事を、この話の始まりを思い出していた。


ーーーーーー



「私……幽霊なんだけど……」


「幽、霊?」


「そう、幽霊」


 少女が言い放った【幽霊】というものは非科学的で、存在するかどうかの論争は今までもたくさんされてきているものだ。だが、あろうことか少女は自分のことを、そんな幽霊だと名乗ったのだ。


「そんな幽霊さんがここに何しに来たんですか?」


「そうだよねー、信じられないよねー……え?」


「っ? どうしました?」


 しかし、少女が幽霊と名乗ったことに何も引っかかることなく俺は少女に質問した。


「いや……そんなに簡単に飲み込まれたら逆に驚くんだけど……」


「まあ……」


 そんな俺の態度に少女は目を丸くするが、俺が何の疑いもなく少女が幽霊だということを飲み込んだ理由はいたってシンプルだ。


「こういうことには慣れてるんで」


 神に仕える身の俺は、非現実的なことに耐性が出来ているからだ。俺だってクロに仕える前までは、神も幽霊も宇宙人も信じないような人間だったが、クロに仕えてからはある程度の非現実的なものは信じるようになった。


(神の中で問題児と呼ばれているクロに仕えていると、何かとトラブルも多いし……)


「……そうなんだ」


「あと」


 あまり納得のいってない少女を納得させるために、少し分かりやすい理由を俺は付け足す。


「足無いですし」


「あっ……」


 少女の下半身に俺が目線をやると、少女は自分の足元に目線を向けた。


「ほんとだ……」


 少女は今更ながら、自分の太ももから下が綺麗に無くなっていることに気がついたみたいで、呟くように驚きの声を出した。


「はぁ……」


(今気づいたのか)


 そんなことも知らなかった少女に対して、俺は憐れむようにため息をついた。自分が幽霊になったことは気づいているのに、足が無いことに気づかないことなんかあるのかと、俺は少し少女を疑ってしまう。


「でー……ここに何しに来たんですか?」


「っ! ……そ、それは」


 非現実的なものや、それがもたらすトラブルに耐性があるからこそ俺は知っている。人外が神のもとに訪れる時、それは気まぐれか、面倒ごとのどちらかだ。面倒ごとが持ち込まれた場合は、神としてクロは少女を救おうとする。そのため、クロのカバーをする俺は忙しくなるのだ。

面倒ごとになるのなら、俺がどんな仕事をすればいいのかは早く知っておきたい。


「……っ」


 俺の質問を受けた少女は言葉が引っ掛かったのか、喉を鳴らして下唇を噛んでいる。


「生き返り……たくて」


 ようやく口を開いたと思うと、今にも消えそうな、か細い声で望みを漏らした。自分の足が無いことに気づき、死んだことを深く自覚したからだろうか、少女の不安を体のすべてが伝えてくる。


「生き返りたい? どうしてですか?」


 それは、死んでしまった少女が願うには当然のものだ。ただ、俺とクロが見るのはその動機、何故生き返りたいかによって対応は変わってくる。


「そ、それは……! 友達と遊んで家に帰ったらおいしいものを食べてって……そんな日常をもっともっと過ごしていたいから……! です……」


「日常……ね」


 下を向いていた少女が、俺の目をまっすぐ見つめて、生きる事への希望を語ったその時、少女の目は輝いていた。それは、少女の後ろで煌々と輝く夕日よりもはるかに美しく、力強いものだった。


「……あと」


「……?」


「私……キスしたことすらないし……」


 少女はそれに付け加えるように、ぼそりと呟いた。


「きす?」


 あまりに突拍子もない単語に驚いた俺は、変な発音で聞き返してしまった。


「い、いやっ! な、何でもない!」


 真っ赤になった顔を手で隠しながら自分の発言をなかったように求める少女は、小動物のようなかわいさがあった。


「こほん。とにかく、今のあなたの1番の願いは【生き返りたい】でいいですか?」


「う、うん!」


 そんな少女のかわいさに免じて、俺はわざとらしく咳をして聞かなかったことにした。


「ですってー、クロ様いるんでしょー?」


 少女の願いを聞いた俺は、クロを呼んだ。


「にゃっ! 何故気づいた!?」


 俺に呼ばれたクロは、先程とは違う近くの茂みから出てきた。


「しっぽ見えてましたよ?」


「ぐぬぬ……」


 クロは自分の黄金色のしっぽを触りながら、ちょっと不機嫌な顔をしている。


「女の子……?」


 一度死んだ彼女の生きたいという儚い希望。それを叶えるか、叶えないかの決定権は俺には無い。

 だからこそ俺はその決定権を持つ主に尋ねたのだ。茂みから黙って見続けようとしていたが、久しぶりに来た参拝客を間近で見て完全に舞い上がり、近くまで来て聞き耳を立てていた自分の主に。


「あー、紹介します。一応この神社にまつられてる神様です」


 獣耳としっぽを生やしたクロがいきなり出てきて、困惑している少女の為に、俺はクロの紹介をする。それが俺の役割みたいなものだ。


「いちおーってなんじゃ! 我はれっきとした神じゃぞ!?」


(なんかクロが言ってるけど無視無視~)


 わーわーと喚いているクロをスルーして、俺は幽霊の少女に、神様の幼女を続ける。


「神様……?」


「そうです。あなたが願いを伝えるべき相手ですよ」


「なんか……ちっちゃくてかわいい」


「体型は小学生1年生なんで、そこはご了承ください」


「これこれ! 我を無視するでない!」


「っ……」


「……? 安心してください。こんな見た目してますけど、本当に神様ですよ」


 目の前のケモミミ幼女が神様だということに、言葉を失っている少女に俺は安心させるように、再度クロは神だと説明する。


「一体、どうしてここまで怪しまれるんだ……?」


「貴様が変な言い方をするからじゃろうがっ!」


「っぐ! ……~~っ! み、みぞおち殴らなくても……」


 とぼける俺のみぞおちに、クロからのボディーブローが決まった。幼い子供の姿をしているが流石は神だ、めちゃくそ痛くて嗚咽が漏れてしまった。


「男のくせに泣くでない。まったく……調子に乗った貴様が悪いのじゃ」


「場を和ませようとしただけじゃないですか……」


「……ふふ」


 そんな俺とクロの一連のやり取りを見ていた少女が笑いをこぼした。


「ほれ見ろ、貴様がおかしな態度をとるから笑われてしまったではないか」


「いや僕じゃないでしょ」


「あははは……ほんとにおかしい人達だなぁ……」


 笑い泣きとでもいうのだろうか、少女は涙を流しながら笑っている。そこまで面白い会話でもなかった気がするが、この人の笑いのツボが浅いのだろうか。


「とりあえず、場所を変えますか」


 一旦、ゆっくり彼女の話を聞くためにも、俺は場所を変えるように提案した。


ーーーーーー



 というわけで今に至る。


「お茶出来ましたよー」


 クロも少女も俺の提案に賛成してくれて、社務室まで移動してきた。


「ご苦労なのじゃ」


「あ、ありがと」


 俺は3つの湯呑みをさっき作った料理が並んでいるちゃぶ台に置くと、少女と向き合っていたクロを膝の上に乗せ、少女の前に腰を下ろした。


「んっ……さてと、じゃあ僕らから名乗りましょうか」


 お茶を口の中で少し転がし、のどを潤したところで俺は切り出した。


「そうじゃな」


「えーっと……芹沢幸人せりざわゆきとっていいます。九条高校の1年生です。で、この女の子みたいなのが」


 最低限の自己紹介を済ました俺は、クロの自己紹介を促す。


「……む? 貴様はもう終わりか?」


「まあ、これといって紹介することもないんで」


 お茶を飲んでいたクロは、俺がもう少し長く自己紹介をすると思っていたのか、拍子抜けと言わんばかりに俺の方を見てくる。


「悲しい奴じゃのぉ……」


「大きなお世話です」


「あはは……」


 あまりにも短い俺の自己紹介を聞いたクロが、俺を憐れんでくる。やめろ、余計に悲しくなるだろ。


「ふむ、我はこの神社の御神体じゃ。こやつにはクロと呼ばれておるが、これと言って名乗る名はない。好きなように呼ぶのじゃ」


「は、はい」


「何を司っているかも説明した方がいいんじゃ?」


「あー……そうじゃな。我が司るのは、『時』じゃ」


「時……?」


「簡単に言うと、時間を止めたり、戻したり、早送りしたりできるんですよ」


 クロの雑な説明に首をかしげている少女のために、俺は説明を補足する。ここまで言っても混乱する部分は多いと思うが、そこは少女に納得してもらうしかない。


「すごい……」


「そうじゃろ~そうじゃろ〜? 我はすごいのじゃ!」


(褒められるとすーぐ調子乗るんだから……)


 まさか、その結果クロが調子に乗るとは思わなかった。しっぽをブンブンと横に振って、分かりやすい喜び方をしているクロのにやけ顔はどこか憎めない。


「貴様は余計なことを考えなくていいのじゃ」


「あー、心が読まれるって怖いなー」


 読心術なんてものじゃない、クロは人の心が読める。何故かと聞いたこともあるがその時の答えは「神だからに決まっておるじゃろ」とかいうなかなかの暴論だった。


「じゃあ、僕らの自己紹介はこれくらいなんで、お願いします」

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