シキとナツ


 ……さて。


「もう隠れてないで、出てくればいいんじゃないか? ナツ」


 私がそう言うと、社殿の影から気まずそうに、ナツが出てきた。

「なんで隠れるんだ。堂々と花見ぐらいしとけ」

「うっせー! 気まずいんだよ!」

 顔を赤くして叫ぶナツの右手には、既にビールが握られている。だがプルタブは開けられてなかった。なんだハル、買いに行かなくても酒ならここにあったじゃないか。

「もう俺ら、何年も会ってねぇんだよ!」

「そう言えば、ハルもそう言ってたな」


 私とはしょっちゅうテレビ電話で連絡をとるくせに。主に仕事関係で。

 彼が現地の発展途上国の復興支援活動を、私はこの国でその事務仕事を担当している。ハルは私たちの関係を知らなかったな。そう言えば仕事のこと言うの忘れてたかもしんない。


「私、なんで二人が疎遠なのか知らないんだが。喧嘩でもしたのか」

「……そんなんじゃねえよ」


 ナツが山桜の方へ歩く。

 根元までたどり着くと腰を下ろし、あぐらをかいた。ビールが三つ、彼の足元に置かれる。桜の花びらが、ナツのパーマがかった頭の上に落ちる。

 そう言えば、最近はずっとこの頭を見ていたけど、元々ナツの髪は直毛だった。ハルの天然の癖毛が「パーマをかけている」と生徒指導の教師に睨まれてから、ナツはパーマをかけ始めたのだ。ついでに私は髪を赤く染めて、一緒に怒られることにした。

 私たちは何時だって、三人のうちの誰かが理不尽な目に遭えば、駆けつけないわけにはいかない仲だった。


「じゃあなんだ。仕事関係か」

「……お前にはわかんねえよ」


 ナツの言い方に、私ははあ、とため息をついた。どいつもこいつも、意固地になると態度が思春期と変わらない。私には距離を置くことすら許さなかったくせに。

 さてどうしよう、と考えた時、すまん、とナツが言った。


「さっきの言葉なし。お前に言っていい言葉じゃなかった」


 その言葉に、私は驚いた。

「いつからわかった?」

 ナツの隣で屈んでから尋ねると、「ついこないだ」とナツは言った。

「LGBTQ+の講習会受けた時、アセクシャルの話があって。なんか、お前が前言ってたことだなって」

 ごめん、とナツは言った。

「俺、酔っ払った時、お前が嫌だって言ってた時も、無理やり嫌な話を続けたかもしんない」

「ああ、それは気にしないで」

 私は何も気負うことなく、滑り落ちるようにいっていた。

「他人からされたらしんどいが、ナツとハルなら平気だから」

 他人のセックス事情など聞くだけでおぞましい。それは今も変わりない。だが、二人の話なら幸福に変わる。

 今でも彼らの関係を、その意味を、本当の意味で理解はできない。でも、一歩進んでみれば、私は彼らの関係をあっさりを受け入れていた。

 それは、恋愛できない私にとっての救いだった。恋愛と性愛関係のある人間を、「怪物」なんて思わなくていい。異なる感情へ、純粋に祝福できる自分がいることが、本当に嬉しかった。

 今思えば、私がアセクシャルの言葉を知ってすんなり受け入れられたのも、恋愛感情や性愛を持たなくても、彼らの関係を邪魔することなく、祝福できる自分に気づけたからだろう。

 押し付けてくる何かから自由になれた。誰かが持っているからと言って、同じ形で返す必要は無いのだと。私なりに、想いを返せばいいのだと。それは性愛など関係なかった、ずっと昔からしていることだ。

 私は「愛を知れない」欠陥品ではなくなり、周りは怪物ではなく、私と同じ人間と思えるようになった。

 だからこそ、ずっと気がかりだった。なぜ彼らは別れてしまったのか、と。


「……母さんが、今の俺と同じ仕事をしてたんだ」


 ポツリとナツが言った。

「俺と父さんは、ずっと母さんの帰りを待ってた。ニュースで内乱とか、テロとか、そんな話が流れる度、うちの母さんは無事なんだろうか、って思ってた。だから父さん、耐えきれなくなったんだ」

 私は、ナツのご両親が、ナツが中学校に入る前に離婚したことを思い出した。そんな事情があったのか。

「母さんは戦場に行った。俺にとって、母さんの生き方は尊敬できるものだった。他人は『自分の家族より他人を選んだ酷い母親』なんて言うけど、違う。母さんが誰かを助ける原動力は、俺や父さんだったんだから」

 自分にとって、大切な人がいるように、ここで暮らす彼らにも大切な人がいる。

 ナツのお母さんは、危険な地域での人命救助をやめなかった。その奥底にあるのは、大切な人たちへの想いだったから。

 そして、ナツのお父さんも、ナツのお母さんを引き止めなかった。ナツのお父さんが好きなのは、そんなナツのお母さんだったから。

 それでも。人にはそれぞれ、耐久度がある。

「父さんの気持ちだってわかるんだ。俺だって、母さんが死ぬかもしれないって思う度不安だったんだから」

 なあ、とナツは振り絞るような声で言った。


 

「そんな想いを、ハルにさせられるか?」


 ……自分は、欠陥品ではなくなったけれど。

 それでも、ナツの心によりそうことも、ナツを奮い立たせる言葉も持ち合わせていない。

 私には、そんなふうに体を震わせるほど、誰かを恋しいと思ったことは無い。恋愛から生まれる失う恐怖も、壊れる恐怖も、私には無い。

 人は産まれる前に神によって魂を半分に分けられ、その魂の半分を見つけるまで探し続ける、なんて言っていた漫画はなんだったか。そんな言い回しがあるほど、きっと恋愛は命懸けだ。

 私は彼らのように、魂の半分と呼ばれるような存在には出会うことなく、ふわふわとこの世を漂って過ごしていくのだろう。

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