その⑬ お披露目の宴

 あの日から早くも一年が過ぎようとしていた。自転車で坂を駆け上がってきた夕香が郵便受けをのぞき、朝1番からけたたましく叫び、封筒を手に三村のもとに走ってきた。

「先生、先生!来ました。来ましたよ。招待状」

「今日はまた一段とけたたましいな。おお、ついに来ましたね。どれどれ、これはちょっと楽しみに待ってたやつだ。

 2023年3月28日…丸々一年後だ」

 と三村はハハハと笑って頬を緩めた。招待状には小さなクラッシックカーがコトコト走るイラストが描かれていた。

「ほほう、洒落てる。夕香さん色々あったけど、辞めなくて良かったね〜」

 異肉っぽく笑う。この日まで夕香と三村は何度も衝突を繰り返し、夕香が『辞める〜!』と叫んだことが幾度あったことだろう。夕香は気が進まなかったが三村の勧めで法律の勉強を始めていた。難し過ぎて、覚えることが多過ぎて、半分諦めながら怒りながら勉強していた。

「また意地悪言ってる。だいたい先生がこの私のままで良いって採用したんじゃないですか。私はパラリーガルじゃなくて先生の助手で良いんです。資格なんてなくても探偵の助手は務まりますから」

「ほらほら、そうやって楽な方に逃げようとする。勉強は貴重です。出来る環境ならしたほうが良い。こんなにたくさん法律の本があるんだ、本の何処に何が書いてあるか知ってる方が便利でしょ」

 確かに確認や資料探しに、本の中身を知ることは、なにより約に立つ。

「だから勉強はしますって、でもwebもあるし検索しながら頑張れば資格まで取らなくても大丈夫なんですよ」

 これが日常的に繰り返される二人の通常会話だった。

「じゃあ行かないんだね。久我邸には」

「はあ…なんでそうなるんですか。関係ないですから、その話と招待状は…行きますよ。絶対行きます」

 久我直之遺言状案件は、夕香が初めて携わった記念すべき第一号だった。

「まあ、君は僕のボディガードとしても優秀だと思っていますよ」

 と、シャドウボクシングのまねをした。

「またあ、それは言いっこなしですよ。止めて下さい。私の中じゃ黒歴史なんですから…」

「人生に黒歴史なんてあるはずがない」

 からかう材料は多いほうが良いと三村は思っている。そういう点でも夕香は最良のバディだった。


「有り難いね〜今回は車で駐車場まで入れる」

「なんと!変わりましたね〜、荒れ果てた庭が…先生あれから一度でも来ました。ここへ」

「いや、用もなかったし、鑑賞に浸ってる場合じゃない。過去とは向き合わない主義なんでね」

 庭には無駄な草一つなく、美しい、イギリス式庭園が見事に出来上がっていた。

「ブランコ新しくなってます。錆びついてた門も扉もきれいになってます、あの見上げるほど大きい樫の木が調和取れてますよ芝生と。もう思い出せませんよ。あの茫々のお庭」

 三村も美しく整えられた庭に呆然と佇んでいた。あの雑草だらけだった庭も時が止まったままのお城も何処にもなかった。

 監視カメラが首を振ってモーター音を立て存在感を示してた。もう隠れる必要もないんだろう。

「ようこそいらっしゃいました。長いことお待たせして。ようやくお披露目できるようになりました」

 出迎えてくれたのは幸智さんだった。

「素晴らしいです。すっかり見違えてしまいました」

「何をおっしゃいます。今まで通り慎ましく暮らしていますよ。大袈裟なことは出来ませんから、でも、先生にはどうしても見て欲しかったんです」

 幸智さんは歳を重ねているのに相変わらず可憐で美しかった。その横に佇むご主人だろうか…穏和な笑顔で挨拶をする。

「主人です。彼は横澤商会で一郎兄さんの秘書をしています。私の我儘を聞いて婿養子になってくれました」

 そこにもあの三人の暗躍を感じた。しかし…残された幸智をどうしていくかそれだけに明け暮れた50年。真面目に仕事を引き継ぎ、さらに発展させた。平和に幸せに過ごす事ができたら其れだけでいい。此処にいる者は誰しもそう思っているに違いない。

 外観は荒れ放題で誰も寄せ付けぬように見かけ放って置かれた久我家も、室内は手入れが行き届いていたようだ。どこも傷んでいないし、建立当時のままの美しさに保たれていたに違いない。出すところに出せば国宝級のお墨付きも得られるだろう。それをしないのが久我家の流儀なんだろう。

 地下も是非見て欲しいと案内される。下に降りるクラッシックなバスケット式のエレベータにため息がでる。

「おお、これは…」

「初めてお目にかかります。その節は大変お世話になりました、久我吉成です。名古屋で車の仕事をしています。あの日も行くつもりだったんですが急な用ができました。祖父のコレクションがそれは素晴らしくて、僕は子供の頃から車の仕事に携わりたかったのです。見てください。この見事なお宝たちを」

 クラッシックカーの大ファンの三村も度肝を抜かれるラインナップだった。

「これ全部…幻ですよ。すべての名車が、ここに隠してあったのかぁ〜ってくらいの…」

 そこから先は言葉を無くした。

「これお店にもありましたね。たしか…モンドリアン?」

 モンドリアンに有った模型が現実に存在している。地下にはクラッシックカーとともに多くの絵画が飾られていた。

「これだって骨が折れるコレクションでしょう。ヤバいな」

「いつか山路と相談して美術館にでも寄付しますよ。それも可能になりました」

 と、明るく吉成は言った。

 ここは久我家の地下。大き過ぎる空間が広がっているから照明がなければあの高窓から覗いても真っ暗だろうな。見事に並べられたよだれの出そうな車。車好きの久我直之の嬉しそうな顔が想像できた。

 三村が隣の小さな空間に気がついて足を踏み入れると、そこには鳥小屋があった。よく見ると…え?これ、拾い上げた羽は真っ黒だった。

「カラスの巣なんです。昔からここに巣を掛けるんですよ。慣れてましてね。襲ったり喧嘩したりしないんです。50年、カラスも何代替わったか分からないけど代々この屋敷を守ってくれました」

「カラス…」

 夕香が息を呑んで、気味悪と言った顔で三村を見る。

「明るいカラスの話をしようか」

「え、何で、突然カラスの話なんですか?」

「カラスは一夫一婦で一生同じ個体と添い遂げるらしい。意外と人に懐く個体もいると聞く。ナワバリ意識が強いので不審なカラスを見つけるとギャアギャアと騒がしく追い回すらしい」

「らしいらしいって何故突然カラスの話なんです」

「一年前、拾ったよねふたりで、ここに来た最初の日。キラキラ、あれの正体がずっと気になっていたんだ」

 きらきらの正体?三村の言わんとする事がわからない。ピンとこない夕香だった。 

「子供の頃あのカラスに少女の幸智さんは、地下伝いに遊びに来てお菓子とかあげたんじゃないかな。ここに置いておけば食べに来るだろ。きっとその包み紙やセロファンが落ちて風化して…」

「ああ、あのキラキラ、まさか…カラス…そんなことあるんですか?」

「さあね」

 最後がカラスの話なんて…でも、これで全部の疑問が解決してスッキリした。

 三村はそう思ったが、夕香は不服な顔をしてカラスの出入りのための高窓を不審な顔で眺めた。

「さあ上で、形ばかりの披露宴をさせてください。懐かしい顔ぶれが集まっていますよ」

 ああ、そうだ。他にも個性的な人たちがいっぱいいたな。とにかくすごい話だった。一族の硬い結束と優しさの塊をいくつも見せられて感動しっぱなしだった。

 こんな仕事もそうはないと思う三村に、

「あの弁護士さん。来てますかね。やり遂げた充実感で泣きそうでしたよ」

「もうベテランですよ。辞めてないと良いけど」

「ホントに、直ぐ辞めてしまいそうでしたよね」

 向こうから額田剛三郎がくしゃみしながら早足で近づいてきた。

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