その⑦ カフェモンドリアン
例の、客を呼ぶ気のない喫茶店、『カフェモンドリアン』の扉をもう一度叩いてみることにした。あの日、かの御婦人にばかり気を取られてまじまじと見ることを失した店内は、壁に、大小様々な絵が掛けられている。画廊に近いこの雰囲気に、三村はなるほどと思った。
棚には、配置されたグリーンの隙間にプラモデルが並んでいる。その一台一台が貴重なクラシックカーで手造りで作り上げられたぽくて興味深い。ホコリひとつ無いところを見るとマスターの趣味だろうか毎日丁寧に管理されている…時代は昭和30年代の、本物なら今では手に入れることも出来ない貴重なものばかりだった。
三村がひとまずリラックスしようと取りに行ったラックにも年代物の本が並んでいた。その中から選んだ本を熱心に見ている。まさか、そんな趣味も有ったのかと夕香が驚いた。
「おお、これ、かなりレアな本だ。今じゃ手に入らない級。譲ってもらおうかな。向こうの棚にも年代物のクラシックカーがズラッと並んでたよ。誰か好きな人がいるのかな」
「先生、そういうのが趣味なんですか?その割にはあんなに可愛い車に乗って…」
「あれ、あれはうちの、奥さんの趣味なんだよ。小回りが効くから都内では使い勝手が良くてね」
「え!」
突然の奥さんの出現に夕香は言葉を失った。
「奥さんいたんですね」
「当然」
そんな会話をしているとマスターが近づいてきた。今日は洒落た蝶ネクタイをしている。
「いらっしゃいませ。先日はどうも、何にいたしますか」
覚えている…常連の集う店なのか、確かに和気あいあいとした店内の空気。新参者は顔を覚えてしまう程少ないのかも知れない。
「ああ、先日は失礼しました。あの御婦人はよくいらっしゃるんですか?」
「はい。週に2度はいらっしゃいます。有り難いお得意様ですよ」
と嬉しそうに答えた。
「はあ〜、信じられない」
と、夕香が小声でつぶやく…
「よくあることだよ。信じる必要もない。問題でもない」
「だけど…」
そんな夕香の驚きなど気にも止めないで三村は話を続けた。
「この辺りにお住まいなんですか、住所を聞くのを忘れてしまって、今度お花を贈りたいと思っているんです」
「さあ、毎回車を横付けにして、これは内緒ですけど…とても品の良い御婦人と一緒にいらっしゃいますよ。車の人は来たことがないなあ。運転手さんなのかな」
マスターの口ぶりでは一緒に来るという御婦人の方に御執心のようだった。
夕香はここに来るなら車は横付けが良い。賢い利用法だと感心した。
「へ〜品の良い御婦人と一緒に…ところで、この辺りにお住まいの方は多いんですか?」
「そうでもないですよ。商店も歯抜けで開いてないところ多いでしょ。この店も今の所常連さんが来てくれるからあれですけど、地元に居た人が多いです。此処を離れてからも通って下さる。
子供の頃常連さんに可愛がってもらいました。親父の代は良かったです。街も賑やかで、僕もお店で遊んで学校に通ったもんですよ」
「学校というとこの近くで?」
「この近くに有ったんですけどね。統合でこの辺には無くなりました。この近くの小学生はもうひとつ向こうの学校まで通ってますよ。親が送ってくんでしょ、そんな時代ですよね」
「なるほど、マスターもこの近所の学校に通っていたんですね」
「まあ、同じ商店街で学校も同じ子供も多かったですよ」
「この会社をご存知ですか」
『横澤商会』のメモを見せる。
「『横澤商会』…懐かしいなあ、もう何ブロックか向こうにあった当時なんでも扱っていた商店ですよ。乾物や米、活気がありましたね、あの頃は…あそこの長男が僕のひとつ上で、遊びに行くと手のひらに煮干しやじゃこをもらったもんです」
懐かしそうに話すマスターが子供の頃に戻った様にはしゃいで笑った。
「この辺りに人の気配がないのはこの会社と関係があるんですか?」
「さあ、あのビルの裏にちょっとした接着剤を作る工場があったんだけど、膠とか使ってたかな。それで匂いで問題になって移転したんですよ。移転する前に問題になったこの辺り一帯買い占めて少しでも苦情を解決しようとしていたんだけど、匂いは中々解決できないでしょ。仕舞いには移転して、従業員も一緒に移っていったんです。それで今じゃあもぬけの殻。こっちも商売上がったり」
なるほどそれ以降この一帯はそのまま放置されてしまった…
「その接着剤も『横澤商店』が」
「主力商品だったと思いましたよ。あそこの爺さん伝統工芸に造詣が深かったって常連さんから聞いたことがある。膠は漆にも絵の具にも欠かせないものですからね」
「なるほど…色んなものを扱ってたんですね」
その後もここら辺りの土地は横澤商店が握ったままになっている。ということか…後からやって来た心の狭い人々がこのゴーストタウンを作った…と三村は合点がいった。それでこんな場所に…
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