その⑥ 針金横丁

 何故この細い路地が針金横丁という名前で呼ばれるようにになったのか確かなことはわからない。クネクネと曲がる形からして昔は小さな川が流れていたのだろうか…

 その路地を抜けると、突き当りに古いけどしっかり建てられたビルを見つけた。鉄筋コンクリート4階建て、空き家が目立つそのビルは正面入口に『横澤商会』と看板が掛っていた。

 再開発の候補にもならずに社会から取り残され忘れられた一角。どうもこの辺りの土地は大地主が握っているのか、もうこの国には持ち主がいないのか、誰も手を付けられないまま放ったらかされて積み残された放置地帯のようだった。

「ここですか?」

「どうやらこのビルだね。人っこひとりいない。なんでここなんだろう…初めから人が集まることを想定してないってことなのかなあ」

「50年ものの遺言状ですからね。形だけの公開なのかも知れませんね」

「形だけの公開…でも引っかかってる人がいるよね。僕に依頼が来たり。ああいうのは想定内なんだろうか…」

「先生、。おでこにシワが寄ってますよ」

 先生はおでこをさすりながら夕香に言う。

「そりゃあ大いにシワを寄せて考え事をしないと、仕事だからね。君の言っていたサボる人にはなりたくない」

 相手がいるんだかいないんだか分からないこの仕事は、過去の遺物を管理する亡霊を相手にする仕事で、誰も見てなくても真面目に出来る人にしか務まらない。先生はその点真面目だ。夕香のつまらない会話をかわしながら深層に迫るべく思考する。

「家族でこじんまりと集まるならこの程度の場所で十分なんだけどな〜実質その家族がいるのかも今の所疑問だからね。あの屋敷の家系は45年前の交通事故で途絶えてるって久我皇子が言っていた」

「え、ここに大勢集まる予定なんですか。何関係の人が?借金とかは残ってなさそうだし、管財人がちゃんと処理してますよね」

 先生が夕香の顔を見て不敵に笑う。

「え…それ、なに関係の笑みですか…」

「さあ、借金はなさそうだったよ。管財人が50年を持たすためにあらゆる知恵を使って筒がなく運営している。この笑は、これは…君を気に入ってる喜びの笑みだよ」

 え…無理…夕香は寒気がして肩を擦った。そんな生ぬるい顔で見られる理由など何処にも無い。

 そんなことより、ビルには何処にもこの部屋にも鍵はかかっていなかった。

「物騒だよな。誰かが勝手に入って事故でも起こしたら管理責任を問われそうだ」

「盗まれるものは無いにしても…無防備ですよね。これじゃあ」

「ん?、此処にもカメラが仕掛けられている。ここはバレてもいいのか堂々の首振りだ。スピーカーも設置してある。遠隔操作が可能になってるんだな」

「若者が勝手にたむろして夜中に遊んでて突然声をかけられたりしたら怖いですね。ビビりますよ。そんなの」

「確かに。でも必要だろ、放置したら若者が好んで集まりそうな廃墟なんだから。汚くもないし使い勝手も良さそうで、ちゃんと管理しないと勝手に使われて火事でも出したら亡霊に叱られる」

 小さなモーター音を立てて、カメラは静かに二人を追って動いた。

「このビルには定期的に出入りしている管理者がいる。さて誰だろうな」

「まあ管財人ってとこですかね。額田剛三郎弁護士。それ以外でここに入れます?ここを遺言状の開封に使うって言ってるんですから」

 妥当な夕香の判断にまた満足して微笑む先生だった。

 カメラの画像をWiFiで飛ばして誰かがこの場所を管理している。頭の中で画像が飛び交う。その先に思い当たるのは誰だろう…天井から壁から眺めながら一通り歩き回って調べる。

「外に出てきても同じですね。この感じ…人がいないって嫌な感じなんですね…」

「そうだな。人っこひとりいない景色は出現し難い。何故か…山でもなけりゃ道はどこかに繋がっていて、誰かが踏み入れたり、通り過ぎたりするからだ」

「此処は陸の孤島…なんですね」

「ご明察だな。今や知る人ぞ知る昭和の遺産みたいな地域だ。いやもうとうに忘れ去られてしまったのかな」

 この感じ、なんと表現したら良いのか、静けさが気味悪かった。猫も住んでいない。餌を渡す住人もネズミもいないからだ。生活する人の気配が皆無だった。

「もう一度、あの喫茶店に行ってみようか」

 原点に帰って探り直してみようっと先生が言った。

「良いと思います。近いですもんねここから、その線が何処かに繋がる気がします」

「そうだね」

 先生はまた、満足そうにそう呟いて、一旦車に戻った。そしてこのビルの所有者の欄を見つめる。弁護士事務所に行った後、調べてもらうように送ったメールの返事が届いていた。 

 何度も名義変更されて今の所有者は佐竹一郎となっている。佐竹ね…

「外国に売り渡されてはないみたいだね。持ち主は正真正銘日本人みたいだ…さてこの人物があのお屋敷の、または遺言状の依頼人なのかな」

 先生はそう言ってハンドルに手をかけた。



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