その⑤ 若き管財人

「わざわざお越しいただいて、さあさあどうぞどうぞ」

 腰低く椅子を勧めてくれたのは想像も出来なかった、粋なホストみたいな乗りの若い弁護士。この博物館的古めかしい建物には不釣り合いな…と、あたりを見渡す。空気からして替えてしまうような厳かな雰囲気の…これが弁護士事務所なのか…

 夕香がキョロキョロと辺りを見渡してやがて考える、やはりこの人も判で押した様に、弁護士のユニフォームとでも言うべき堅苦しい三つ揃えを着ている。弁護士はこうでなきゃダメなんだな…

「何処でお聞きになったんですか?それとも探偵でも雇って探したんでしょうか?」

 そうペラペラ話す若造に、先生が躊躇いなく名刺を差し出す。

「ああ、弁護士、探偵、三村寿紀。失礼…あなたが、その、探偵さんなんですか?」

 明るい声で答える。この人には警戒心という物がないようだ。

「あの建物の所有者の姪っ子さんから雇われています。一度ご挨拶をと思いまして」

「どうも、こちらこそ、あの屋敷の管財人です。姪っ子さんと言うと久我…皇子さんかな」

 書類をたぐりながら特定する。

「祖父から受け継いで私は三代目になります。なぜか早々と父も現役から引退して、家の事務所の用務員みたいな、何でも出来る近所のおじさん的立ち位置で…体良く毎日監視されてます。その案件は…最近僕が引き継いだところです」

 額田剛三郎…三村が名刺と若造の顔を交代で眺める。

「お父様は今日はお留守ですか?」

「気まぐれなんですよ。今日は見かけないなぁ、ゴルフかなあ」

 気さくで屈託なく話す人だった。優秀かどうかはまだわからないけれど…

「僕が知らされているのはまもなく遺言状の公開があります。そのための公示をつい最近行いました。そういった手順も別紙に書かれていまして。かなり、周到な方だったんだと思います。祖父と念入りに打ち合わせしたんですかね。なんでこんな急に私に引き継いだのかは謎なんですけどね」

「と言いますと」

「親子2代で50年関わってきた案件ですよ。まあ祖父が主ですけどね。最後まで父がやれば良いんじゃないかって」

「まあ、普通そう思いますよね」

「その通りなんです。関わってきた年月を思えば、最後までやり遂げたいと思わないのかなあって」

「お父様の年齢は?おいくつになられますか」

「60になります」

「それはお若い。まだ隠居の歳ではありませんね。よほどなにか事情がお有りなのかなあ」

「まさか、ずっと言ってたんですよ。私が資格を取ったら引退するって、性に合わなかったんじゃないですか祖父の仕事を引き継いだもののね」

「そうなんですか。それにしてもまた、思い切りのいい方ですね。まだまだバリバリやれる年齢なのに…」

「ま、僕も同じで性に合ってるかどうか、宙ぶらりんな感じです」

 どこまでも気さくに身構えずに話す。三村はそれでも必要以上のおしゃべりにはならずあの御婦人とは違った。

「公開に立ち会わせていただいてもよろしいですか?」

「もちろん構いません。そのための公示ですからね」

 渡された書類には公開場所と時間が示されていた。東京都墨田区…

「これあの喫茶店のそばじゃないですか?番地が近いですよね」

「うん」

 そういって三村はそっと人差し指を唇に当てた。

「あ、すみません」

 余計なことを言ったのかも知れない。

「あの、もうひとつお聞きしてもよろしいでしょうか。お父様はこの日は出席されるご予定ですか?」

「すると思いますよ。いくらなんでも最後まで僕に任せっきりにはしないと思います」

「わかりました。ではその時にご挨拶させていただきます」

 夕香は、事務所の中の人の気配を確かめながら30分くらいの間そこに窮屈そうに座っていた。今どき珍しい事務服を着た女性にお茶を出していただいた。絵柄が古い年代物の湯呑。和菓子が乗せられた七宝焼きの皿。

 奥に書庫が有って調べ物をしているパラリーガルっぽい人がひとり、曇りガラスで仕切られたパーテーション越しに、別の面会をしている人がひとり、この事務所の中に4人のスタッフと別件の依頼人がいた。

「さあ、どうしようか。このまま帰りますか?」

「え、ランチでもします」

「いや、そうじゃなくて他にやれることは…」

「この住所に行ってみましょうよ。当日迷わないように」

「そうだね。君は優秀です」

 三村はその度に夕香を褒める。『先生の事務所は人が定着しづらいところなのかなあ。今まで何人も辞められて助手をいい加減に扱わないようにと、あの松川さんから釘でもさされているのか』と不審な気がした。

「何か気になったことは?」

「どうしてこの期に及んで担当があの若い先生に替わったんでしょう。経験なさそうでしたよね」

「うん、経験の無さを全面に出して簡単に済ます気か、あるいは最後の切り札に自分は隠れていようと思っているのか」

「私みたいな人でしたもんね」

「ハハハ」

 三村が遠慮なく大いに笑った。

 そして、流石に勘が鋭いと先生が目で褒めてくれた。

「どうも、あの御婦人が嫌ったこの辺りが鍵かな。昭和の感じがするレトロな景色…あの大戦で焼け残った古い町並みの中にヒントが有る気がするね」

 三村の考えはわからないけれど、懐かしい、郷愁のある町並み。シャッターが降りている店舗も多い。ここに鍵が…?何もない誰もいない町並み、そこは、ゴーストタウンだった。

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