その④ 採用試験

 初めて立ち会った現場で、その後、あれが採用試験だったという事を聞かされた。どんな面接になったのかわからないまま合格と告げられ、先生から夕香を採用すると言う返事をその日のうちにメールで知らせてきた。

 その日から、夕香は先生の探偵事務所に自転車で通勤する事になる。先生の事務所は人通りを避けたい面倒な先生の性格のせいで、駅から何本も入った裏通り、自転車は必須だった。坂が多いので原動機付きを買うようにと先生自ら勧めてくれた。必要経費で落とせますからね。と優しくやんわりとそう言った。

「おはようございます」

「あ、おはよう」

「今日はどうしますか。もう一度あの家に行ってみますか」

「今日は、あの資料…君が大事そうに抱えててくれた。あれを読み込もう。なにが問題点なのか見つけ出さないとね」

 重い荷物を抱えて走っていた夕香を労ってか、先生がそう言った。

「わかりました。先生は珈琲ですか?用意します」

「君は?」

「私は牛乳買ってきました〜ここで朝食食べてもいいですか?」

「いいとも、どうぞ」

 食事くらいゆっくり食べるが良い。そんな態度で先生が答える。

 良い職場だ。好きな時に好きなものが食べたり飲んだり出来る。先生の片腕の敏腕パラリーガルの松川由美は美人で優しい人だった。

 雑踏から離れた不便な事務所で、静かな時間が流れる。先生は書類に目を通して何やらマーカーペンでメモをしている。夕香はぎこちなく、音を立てないように気遣って牛乳をレンジで温めた。

 初めて会った時も落ち着いた三つ揃えを着ていた。何時もキチンとした形をしている。適当な顔をして返事をするのに話はちゃんと聞いている。探偵ってどんな資格を持って仕事をしているんだろう…

 先生は探偵と言う前に弁護士だからそっちの依頼のほうが当然多い。夕香は探偵仕事のアシスタント。事務所の仕事が慌ただしく、動いているのを見ているのも興味津々で楽しかった。

「先生…なんで私なんかアシスタントにしたんですか。私この仕事合ってない気がして他に探そうかと思ってたんですよ。おっちょこちょいだし、雑ですしね」

 夕香は率直に聞いた。雇われなくても良いと思っていたからかご機嫌を伺うでもなく顔色を見るでもなく人見知りするということがなかった。

「まあ、そこが良い所だと思う。なんて言うとこの先努力しなくなるから言いたく無いけど。君のその欠点は…」

 夕香が反応して顔を上げたが先生は夕香を見もしないで話を続ける。

「人を無防備にさせる最良の仕掛けだね。それで採用している。僕は人の本質を見たいんだ。格好つけて澄ましているうちは本音が聞こえてこない。そこで君が無防備な顔でニコッとすると場が緩む。そんな時、リラックスしたすきに聞き出せる物があるね。なので君のバリアの無さは利用価値が高い。

 あの御婦人だって君に何でも楽しそうに話していただろう。君は、そのままで良い。心がウキウキすると人は何でも話したくなってしまうものだ。

 欠点は、僕やスタッフがカバーすれば良いだけのことだからね。そんな人材は此処にはたくさんいるよ」

 欠点…欠点…かなりショックな言い方なのに…サラッと言う。なんでムカつかないんだろう。

「また、それが君の美点でもある。まあ、僕は巻き込まれたくないので適度に距離を置きますけどね。あ、珈琲も上手く淹れることが出来る。満点です」

 まあ、複雑な感情は染み出してくるけれど、褒められたと思っておこう。どっちにしてもすました先生は夕香の好みではないし…ざっくばらんに言わせていただけば、このくらい距離が空いているほうが夕香としても丁度良い。

「所有者が誰もいなくなったらあの家はどうなるんですか」

「管財人が管理する。今だって所有者は無いに等しい。管財人が国に払う税金も全て管理しているんじゃないかな。お金が滞らなければ問題は発生しない」

「管財人って人に会ってみましょうか。遺言の中身は分からなくても今の管理状況は分かると思うんです」

「君、何も知らなくてもいい線いくね。まるで優秀なパラリーガルのようだ。発想が大事だから。ピンとくる。これが重要」

「は、はあ」

 先生におだてられて営業さながらに管財人との面会を頼んでみる。

 夕香は、机の上に拡げられた筆書きの『私を助けて欲しい』という一見ちぐはぐなパンチのある依頼書も印象に残っていた。

「あれ、誰が書いたんでしょう?あの筆書きのお手紙。気になります」

「あの御婦人の字ではない気がするね。とすれば…もっと複雑に人間関係が絡んでいるのかも知れない」

 先方にアポを取って、先生の愛車696トリブートフェラーリで出掛けた。先生に似合っているのかいないのか判断の難しいキュートな自動車だったが、夕香は大いに気に入っている。自分の車にしたいくらいだ。

「あの、管財人って身内の人がなるんですか。家の事情に詳しい人とか?」

「いいや、仕事で引き受けているとすれば、生前個人が経営していた会社の弁護士とか、もっと違う関係がある人かも知れないね」

「45年も…誰も監視している人がいないのに良く務まりますね。私ならサボってしまいそう」

「ハハそういう仕事だからね。ちゃんと真面目にやっていて欲しいもんです」


『額田法律事務所』

「大きい。大きいけど古いビル。うん、看板の文字があのお屋敷と同一線上というイメージね。此処に使われている石も同じですよね」

「そう思った?君の第六感が良い感じに働くと良いね。私のアシスタントに相応しい。これは大谷石と言って柔らかくて加工のしやすい当時流行った石なんだ。銀行とかにたくさん使われているよ」

 先生がそう説明してくれたが、それよりその前に話してくれた夕香に対しての先生の評価のほうが嬉しくて、しばらくこの仕事を続けるか〜と思うのだった。



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