その② 『私を助けて欲しい』

 お屋敷を出た足で坂道を下る。振り向くと大きな木々の影が突き当たりにこんもりと森を作っている。ひとつひとつの区画が大きく、外周の囲いがアメリカ柵だったり大谷石だったりする曖昧な感じは、高級住宅街と言うより、庭の樹木の生え方なども合わせて考えると、その昔は別荘地だったのだろうと思わせた。

 今や開発が進んで都市と郊外は境目がなくなってしまった。車で走るとそんな違和感にも気付けない。そんな雰囲気のある地域だった。

 次なる目的地。依頼人との待ち合わせの場所は、『カフェ・モンドリアン』という都内の大通りを一本入った人通りの少ない路地に張り付いた風変わりな喫茶店。存在を一度確かめて、駐車場をグルグルと探してまた戻る。

 風変わりとは…そもそも喫茶店としての主張が足りない。まず店の前に看板らしきものが見当たらないし、入り口は民家のようでこれと言ってウエルカムな感じがしない。かろうじて上の方に色彩豊かなステンドグラスをあしらった扉が目立つ。寄せ植えられた手入れの行き届いた花々。それらから喫茶店だろうなと想像しなくてはならなかった。

 問題はそこからで、何度走り回って探しても辺りに駐車場がない。喫茶店とはそもそも人が寄る場所で、これでは拒否されている感が強すぎる。ここよりもっと他に良い処がありますよとあえて主張している。あるいは徒歩圏の常連さんで賑わっている店なのか。そんな印象だった。

「場所はここで間違いない」

 ナビで確認した後、一旦通り過ぎて…最も近い駐車場に車を停めた。

 付近にらしいものが見つからないので少し離れたところのコインパーキングまで行って、歩いて戻った。10分くらい…もっと長い気がしたのは、道に迷ってクネクネ歩いたからだろうか…

 大きな荷物を抱えての10分はこたえる。先生は夕香に持たせるだけ持たせて両手をポケットに入れ、前を歩く。手を貸そうともしなかった。

 依頼人に会う前に依頼された家を予め見て、印象だけ抑えておいて、参考になる意見と照らし合わせる算段らしい。詳しいことはその後で、依頼人に話を聞いてからと先生は言った。

 夕香が抱える大荷物は、調査に当たって予め先生の右腕、有能なパラリーガルの松川が調べたお屋敷の登記簿や住人の情報。近辺の街の成り立ちや古い地図、家系図、それから、依頼人からの参考意見も聞き取るためにパソコンも持参した。

「何故、そんなに抱えてきたのパソコンに入ってるのに?』

 と優しい声で聞く、優しいけど冷たい。

『そう、調査済みの資料はパソコンの中に全て入ってる』と聞いた。それならプリントアウトしなくても良かったんじゃないかと思ったけれど、初めてで段取りがわからない夕香は、仕事してますとアピールしたい気持ちもあって、松川から先生経由で受け取った書類を確認もしないでそのまま大袈裟に担いで、持ってきたのだった。

「駐車場、もっと近くに有るんじゃないかって、大抵どこの喫茶店も店の前にあるじゃないですか、そしたら荷物の移動も気にならなくて大丈夫だと思ったんですけど…」

「確かに、この道程はなかなか遠いね。僕も最近歩いてなくてね、駐車場の有る喫茶店にして欲しかったな」

 そう言いながらもあくまで手ぶらで、涼しい顔をしてキイを放り上げながらスタスタと前を歩く、いや重要な役割として片手にした携帯のナビを見ながら目的地を目指している。

 それよりも…何よりも…先生ですから、バタバタしてたらみっともない。助手が四苦八苦して持つ図の方が相応しい。これで…良いんです。と、夕香は思った。


「此処か…」

 ”カフェ・モンドリアン”

「名前はあっている。此処だな」

 あ〜、メモにも書いてある名前だ。素通りするだけじゃ分からない小さな文字で扉に名前が刻まれている。このサイズ〜…お洒落すぎるでしょう…

 お店は昭和レトロな喫茶店で、小さく目立たないながらここで長い間営業してきたんだなと思わせる懐かしさが有った。入り口にガラスのステンドグラスがはまっている。色とりどりの幾何学模様の絵画が飾られていて一見画廊の様な佇まいだった。

「モンドリアンね」

 先生はそう呟いた。

 外観は昭和レトロな長屋風の民家。なのに店内に入ると天井は風格のあるむき出しの梁。何処からか移築した古民家ですか…と思わせるほど堂々とした佇まいだった。

 が、店内は人影まばらでガランとしていた。朝のひと波が過ぎて落ち着いたところだろうか、すでにお店の中ほどで年に似合わぬ化粧をした御婦人が紅茶を飲んでいた。席数は数えるほど、けして広くはない。腰掛けている椅子は籐で出来ていて古さはあるにしても全てが統一された繊細さが感じられた。

「おまたせしました。駐車場が遠くて道に迷いそうでした」

 と夕香が言い訳すると、

「時間より早く着いてしまって、まだお約束までに何分かありますよ」

 と優しい声で言った。みんな優しい…でもどこか冷たい。

「失礼いたします。よろしいでしょうか?」

 先生が冷静に声をかけた。気まずい雰囲気だがそういう仕事だろう。合う人はみんな知らない人だ。呑気な夕香も一瞬空気に飲み込まれそうになった。

「調査を依頼した久我皇子でございます。事務所まで出向けなくて申し訳ありません」

 と立ち上がって挨拶した。

「いえいえ、大丈夫です。こちらからお伺いすることも多いですから。

 この辺りにお住まいなんですか?」

 先生が営業スマイルで話す。

「滅相もありません。此処まで車で参りました。運転手は帰らせましたけど」

「では何故ここなんでしょうか?」

 あくまで優しく。でも、目が笑ってない。

「思いつきませんでしたの、他の場所を…人目につきたくなかったし、その昔、知り合いがこのお店が好きで、それを思い出したもんですから」

「なるほど、では、ここには久しぶりでいらっしゃいましたか?」

 一方的に質問ばかりを繰り返す。

「ええ、随分来てないわね。ああ、依頼した話をしましょう」

 一瞬、話をはぐらかした。先生はなにか言いたげに、でも直ぐ引っ込めて依頼の話を優先した。

『私を助けて欲しい』

「このご依頼の言葉の意味が私にはイマイチ分からないのです。どう解釈したら良いのでしょうか」

 携帯の画面に無機質に並ぶ文字を追いながら先生はさらに質問した。

 御婦人はそれに答えて抱えたバックから封筒を出し、二人の目の前に置いた。

『まあ、なんて達筆な筆文字』夕香は驚いて息を止めてしまった。封筒も中の字も全て美しく黒い筆文字で書かれていた。

 その達筆な筆文字から目が話せない。そのせいで中身が直ぐに理解できず、夕香は先生の言葉に反応することが出来なかった…

『私を助けて欲しい』そんな読めない依頼の中身を、興味深い顔で夕香はメモを取りながら聞いていた。

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